第7話 転生前のこの佳き日



 エルドア帝国の皇太子レイモンド・ロイ・ラ・エルドアと、公爵令嬢アリスティア・グレーゼの結婚式の日取りが正式に決まった。


 永らく婚約関係であった二人の、国民に向けての記者会見がこの日に行われた。



「 ただ今より、レイモンド皇太子殿下とアリスティア公爵令嬢の結婚式の日を発表致します 」


 司会者にアナウンスされて、恋人繋ぎをした二人が記者達の前に現れた。


 ロイヤルブルーのお揃いの衣装を着て、アリスティアの首元を飾る瑠璃色のネックレスはレイモンドの瞳の色。


 それはアリスティアの16歳の誕生日に贈られた、レイモンドからのプレゼントだ。



「 永く婚約関係にあった私、エルドア帝国の皇太子レイモンドとグレーゼ公爵の長女アリスティアとの結婚式の日が決まりましたので、ここに報告致します 」


 レイモンドがそう言ってアリスティアの顔を見ると、アリスティアがレイモンドを仰ぎ見た。


 慈しむように婚約者を見て優しく微笑む美丈夫な皇太子と、頬を染めて嬉しそうに皇太子を見つめる美しい公爵令嬢。


 それは誰が見ても幸せそうな二人だった。



 そんな幸せそうに寄り添う二人の姿絵が世に溢れた。

 それは美男美女のお似合いのカップル。

 誰もが羨む程の。


 皇太子殿下と公爵令嬢と言う、エルドア帝国で最も高い身分の若い二人だった。



 生まれた時から決められていた政略結婚だったが、レイモンドはアリスティアの初恋の人であり、ずっとずっと大好きだった人との婚約が成就する。


 アリスティアは幸せの絶頂にあった。



 帝国の皇太子妃になる未来。


 アリスティアはその為にも努力をして来た。


 美容にもお金を掛け、勉学にもお金を掛け、最高の淑女になる為にはあらゆるお金と努力を惜しまなかった。


 レイモンドを狙うあらゆる女性達を蹴落とす努力も。



 皇太子殿下レイモンド・ロイ・ラ・エルディアの相応しい婚約者であり続ける為に。


 愛する婚約者と結婚をする未来を信じて疑う事はなかった。


 きっと帝国中の誰もが。



 結婚式を3ヶ月後に控えたある新月の夜に、魔女の森に住む魔女が天の声を聞くまでは。




 ***




 レイはどうしてこの日にわたくしを転生させたのかしら?


 アリスティアは湯船に浸かりながら考えた。


 邸に戻って来た時間はお昼過ぎ。

 転生前にはこの時間に記者会見を開いていた。



 しかし今日は、アリスティアが行方不明になった事で二人揃っての記者会見は延期になっていた。


 アリスティアの体調不良だと言う事にして。


 勿論、アリスティアが行方不明になった事はグレーゼ家だけの秘密で、王家や新聞社には伏せている。



 まさか今日がそんな日だとは思わなかった。


 そして、そんな大事な日に朝日を浴びに行くと言う、あり得ない嘘を吐いてしまったアリスティアは、追及の念を送ってくる父母にしどろもどろの言い訳をした。


「 今日みたいな佳き日は……あ……朝日を浴びるのが良いと……本に書いてあったのよ 」

「 ……… 」

「 そこで、具合が悪くなって吐いてしまって、ドレスを汚してしまったからこのドレスを買ったのですわ 」

「 吐いた? 」

「 ティア……貴女……本当に具合が悪いの? 」

 母親のキャサリンが心配そうな顔で、アリスティアの額に手を当てた。



 アリスティアの着ているドレスは、どうみても今まで着た事の無い貧相なドレスだ。

 公爵家の皆の衣服は全てオーダーメイドなのだから、この嘘には信憑性があった。


「 丁度通り掛かった小作人に荷馬車に乗せて貰って、適当な用品店でこのドレスを買ったのですわ 」

 心配する母親には申し訳無かったが、何とか誤魔化せたとアリスティアは胸を張った。


 そんなやり取りがあって、今湯浴みをしていると言う。



「 良かった 」 

 記者会見が延期になった事に取りあえずは安堵した。


 まだ結婚式の日を公にしていないのなら、結婚の取り止めも出来る筈。



 レイがこの日にわたくしを転生させた理由。


 やはり……

 結婚式の日を発表して欲しく無かったのだと思わずにはいられない。


 本来ならば婚約前に転生させれば一番良いのだけれども。

 わたくしは生まれる前からレイの婚約者。

 婚約する前に転生なんか不可能。


 だから結婚式の日を発表するこの日が、丁度良いと思ったのよ。


 これはレイからの強いメッセージ。

 聖女を殺してしまう未来などあってはならないと考えての。



 そう。

 レイが願うのは


 嫉妬に狂い魔女になったわたくしは、聖女を殺した上に皇都の街を破壊し大量殺戮まで犯した。


 そんな魔女は皇太子妃には相応しくない。



 アリスティアはそれが正解だと考えた。


 何よりも……

 レイはこの美貌とこのナイスバディのわたくしよりも、あのチンケで不細工なタナカハナコに一目惚れをしたのだ。



 アリスティアは浴室の姿見の前に立った。

 勿論、スッポンポンで。


 形の良い上がった眉毛に大きな切れ長の瞳はヘーゼルナッツ色。

 これまた形の良いすっとした鼻に形の良い赤い唇。

 絹のような質感の髪は程よくウェーブが掛かっていて、それが腰までの長さだ。


 持って生まれた顔の美しさに、自分で見ても惚れ惚れするような美しいバディが自慢だ。


 絹のようなきめ細やかな透明感溢れる白い肌に、形の良い胸は大き過ぎず程よく、細い腰は括れていて、スラリと伸びた長い手足もバランスが良い。


 その理想的なナイスバディは、食事制限をして維持している。

 なので、大好きなスィーツを食べるのはレイモンドとのお茶会の時だけ。


 全てが皇太子殿下に相応しい婚約者である為に頑張って来た成果だ。



 タナカハナコの顔は不細工で、背も低く身体も貧相だった。


 アリスティアは殺る前に見たタナカハナコの、あのいやらしい勝ち誇ったを思い出した。


「 あんな女に負けたのだわ 」

 またもや身体の中心に熱が集まるのを感じた。


 いけないわ。

 ここで魔力が暴走したら元も子もない。


 やはり……

 この嫉妬心は無くならない。


 世界の平和の為にも、わたくしはレイの前から消えなければならないのですわ。



「 お嬢様! 」

 その時、デイジーが浴室のドアを開けた。


 何時もならば彼女や他の侍女に身体を洗って貰っているのだが、この日は考え事があるからと下がらせていた。



「 お嬢様?何か悪い事を思い付いたのですか? 」

 湯船から立ち上がったアリスティアが、仁王立ちのスッポンポンで腕組みをしていて。


「 おだまり! わたくしは世界の平和を考えていたのよ! 」

「 まあ!それはご立派ですわ。それよりもオスカー様がお戻りだそうです 」

「 オスカーお兄様が? 」

 そうよね。

 記者会見をキャンセルしたのだから当然来るでしょうね。



 アリスティアが浴室から出て来ると、ソファーに座っていたオスカーが慌てて立ち上がった。

 

「 アリスティア! そんなに具合が悪いのか? あれ程楽しみにしていた記者会見を中止にする程に? 」

 オスカーはレイモンドの側近で、アリスティアの兄でもある。


 彼もこの記者会見を楽しみにしていたのだ。



「 レイが心配してる 」

 もしもアリスティアが感染症ならば、皇太子であるレイモンドはここには来る事は出来ない。


 なので、先ずはオスカーがアリスティアの様子を見に来たのである。


「 頭が痛くて、お腹も痛くて、吐き気もするのよ 」

 お風呂上がりのアリスティアは、ほんのりピンク色のツヤツヤとした顔で苦しそうな顔をした。



「 お前……何かあったよな? 」

「 た……体調が本当に悪いだけですわ 」

 オスカーお兄様は何事にも勘が鋭いから要注意だわ。


「 だから、今日はこのままベッドに入りますわ 」

「 医師は呼んだのか? 」

「 今から診て貰いますわ。だからオスカーお兄様は早く出て行って貰えます? 感染症でしたらお兄様に 移ったら大変ですから 」


 アリスティアの嘘を信じた母親が、先程医師を呼んでいた。

 今頃使いの者とこちらに向かっている筈だ。


「 分かった。医師の診断を必ずや伝えろよ 」

「 はい 」

 オスカーはそう言ってソファーから立ち上がった。



「 オスカーお兄様! レイは……ですか? 」

「 ? 」

 アリスティアの唐突な質問にオスカーは眉を顰めた。


 そして少し考えるように手を顎にやった。


「 まあ、レイのブス専はあり得るかもかもな。ナイスバディの妖艶な美女から裸同然の格好で迫られても、少しも靡かなかったしな 」

 外遊先ではそんな事はしょっちゅうだったとニヤリと笑って。


 何ですってぇーっ!?

 アリスティアの身体の中心に凄い熱が溜まって行くのを感じた。


 いけない、いけない。

 アリスティアは気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。


 危うくオスカーに魔力を放出する所だった。


 アリスティアは、早く出て行けとばかりにオスカーに向かって手を振った。

 しっしっと。



「 やっぱりだわ 」

 世の中にはそんな男もいるとデイジーに聞いた事がある。

 現にデイジーの弟の歴代の恋人は、皆ブスな女ばかりだとデイジーは嘆いている。


 わたくしはどう考えてもレイのタイプでは無かったのだわ。

 だってわたくしはこんなにも美しいのだから。


 今までの努力は無駄だったのだと、アリスティアは項垂れた。



 この後、医師がやって来たタイミングで、アリスティアは本当に体調不良になった。


 生で食べたじゃがいもにあたって、食中毒になってしまったのである。

 熱も出る程に。


 嘘から出た誠。

 いや、そもそもあんな物を食べたのがいけなかった。

 デリケートなアリスティアの身体は悲鳴をあげたのだ。




 ***




 レイモンドに心臓を刺された時に着ていたロイヤルブルーのドレスがクローゼットにあった。

 あの時つけていた瑠璃色のネックレスも、ちゃんと宝石箱に仕舞われていた。


 ドレスはこの発表の日の為にレイモンドとお揃いに仕立てて貰ったドレスだ。


 ネックレスは、アリスティアが16歳の成人になった時の誕生日に、レイモンドから貰った彼の瞳の色の宝石があしらわれたネックレス。


 晩餐会や舞踏会など重要な時には、何時もつけていたアリスティアのお気に入りの。



 この突き付けられた現実に、アリスティアはベッド中で咽び泣いた。

 食中毒の症状に苦しめられながら。


 全てが夢だったら良かったのにと。


 泣き苦しむアリスティアに、家族の皆はやはり相当体調が悪かったのだと涙した。

 アリスティアは記者会見の日を本当に楽しみにしていたのだから。



「 記者会見の日はお前が健康になった後に、また陛下と相談して改めて日時を決めるから 」

「 そうですよ。先ずは元気にならなければいけませんわ 」

「 今はゆっくり療養するようにとレイが言ってたぞ 」

 そんな皆の慰めが余計に辛かった。


 もう二度とそんな幸せな日は来ないのだから。


 アリスティアのこんな憔悴振りが家族から王家に伝えられた事で、重病説となり2週間の療養と言う事になった。



 そして……

 ベッドの中で、アリスティアの出した結論はやはりだった。


 それは考えに考えて出した結論。



 未来は変えられないのならば、必ずやタナカハナコは異世界からやって来る。


 それはリタの言うとおりに。


 そしてタナカハナコがレイモンドの側妃になる事も変えられない未来。


 レイモンドの気持ちがタナカハナコに無かったのならば、彼女が形だけの側妃になる事には理解が出来た。


 しかし、レイモンドがタナカハナコに心を寄せているのならば話は別だ。



 嫉妬に狂った自分が、またもやタナカハナコを殺ってしまうのは目に見えている。


 それは自信を持って言える事。


 涙を浮かべて苦しそうな顔をしたレイモンドの顔が思い出される。


 苦渋の決断をしたレイが、時戻りの剣を使ってわたくしを転生させたのに、またもや聖女を殺ってしまっては本末転倒である。


 タナカハナコは世界を救う聖女なのだから。



 しかし。

 皇家の決めた婚姻を、公爵家が一方的に破談にする事など出来ない。

 ここは円満に婚約を解消をしなければならないのだ。


 アリスティアは自分が魔女だと打ち明ける事に決めた。

 まさか魔女を皇太子妃には出来ないだろうと考えて。



 婚約の解消をして、家を出て魔女の森に行き、魔女の修行をして、魔女として事がアリスティアの導き出したこれからの自分の未来。


 学園生活はまだ卒業までには9か月もあるが、それまでは休学届けを出して、卒業試験だけを受ける事にした。



 アリスティアは学年でもトップクラスの成績だ。

 これも、妃に相応しくあらねばと勉学にも励んだ結果である。


 ましてや一度卒業試験を受けているので、来年度の卒業試験は楽勝だ。

 卒業までの授業も然りで、既に受けている事から新たに受ける必要は無い。


 アリスティアは学園だけは卒業したかった。


 魔女の自分には最早必要の無い経歴なのだが。

 やりかけた事を途中で投げ出す事は出来ない性格なので。



 こうして……

 医師から診断された2週間の休養期間を利用して、アリスティアは魔女として生きていく準備を始めた。









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