第4話 魔女降臨

 



 エルドア帝国のレイモンド皇太子殿下と、異世界から来た聖女タナカハナコの婚姻が発表されてから1ヶ月後。


 大聖堂では二人の結婚式が執り行われた。


 レイモンドとアリスティアの結婚式が行われる筈だった日に。   



 白の軍服の正装姿のレイが祭壇の前に立っている。

 その姿は誰よりも素敵な皇子様。


 その皇子様の隣に立っているのは純白のウェディングドレス姿の聖女。


 そこはわたくしが立つ場所だった。

 愛しい皇子様と誓いのキスをするのもわたくしの筈だった。    

 

 アリスティアは祭壇の前に立つレイモンドと聖女を静かに見つめていた。


  

「 あら?招待されたのね? 」

「 皇太子殿下と聖女様の熱愛振りは耳に入っていないのかしら? 」

「 婚約破棄をされなかったのはやはりグレーゼ公爵だからよね 」

 

 グレーゼ公爵家の席に座るアリスティアに、聞こえるように広げた扇の向こうから女性達がクスクスと嘲笑う。


「 自分の結婚式がすげ替えられるなんて、わたくしなら惨めでこの場に来れないわ 」

「 悪役令嬢ですもの。神経が図太いのよ 」

「 でも、流石に聖女様には手を出せなかったみたいですわね 」


 もっと耐え難い言葉も吐かれたが、アリスティアは耐える事が出来た。

 それはあの夜のレイモンドからの説明があったからで。


 公爵令嬢らしく凛として前を向いて座っている。

 ロイヤルブルーのドレスを身に纏って。

 


 そんなアリスティアが座るグレーゼ家の一族の席は、まるでお通夜席のようになっていた。


 長兄のカルロスも領地から出て来てこの席に座っていて。

 第二子を妊娠中の夫人は来てはいなかったが。



 そんなグレーゼ家の1番前の席に座るハロルドは、ずっと苦虫を噛み締めたような顔をしていた。

 

 それは、やはり王家からは一言の謝罪も無かったからで。

 聖女はあくまでも側妃であり、正妃はアリスティアなのだからと言って。


 レイモンドの秘書官であるオスカーからの、数少ない説明を聞くだけで。

 彼の辛い立場を分かっている事から、疲れきった様子で時たま帰宅するオスカーには何も言えなかった。


 憔悴したアリスティアが、自分が着る筈だったウェディングドレスを、悲しげに見つめている姿を見ながらも。



 ここまで蔑ろにされるなら、いっその事婚約破棄をしてくれた方がマシだと思っていて。


 レイモンドと聖女の結婚が発表された日に、ハロルドは皇帝に婚約破棄を懇願したが、彼から返って来た言葉は辛辣だった。


「 異世界から来た聖女では皇太子妃は務まらない。皇太子妃になるのはそなたの娘、アリスティア嬢である事は変わらない 」

「 だったら……聖女様よりも先に私の娘と結婚式を挙げさせて下さい 」

「 魔物は何時現れるのかが分からない。それだけに早急に聖女を高みに上げる事は、帝国間の申し合わなのだ。聖女をとしない事を有り難く思え! 」

 そう言って最後は言葉を荒くした。


 もう何を言っても無駄なのだと言わんばかりに。

 ハロルドはもうそれ以上は何も言えなかった。



 後に……

 聖女を正妃にしないのは、レイモンドの意向だと言う事をオスカーから聞いた。




 ***




 アリスティアが初めて見た聖女は、黒髪の小柄な女性。

 頭にはベールがあるから顔は見えなかったが、髪の色が黒だと言う事は分かる。


 皆が言うようにきっと神秘的な女性ひとなのだろう。


 レイモンドが一目で恋に落ちたとにある程の。


 

 聖女、タナカハナコは異世界から突然この世界にやって来た少女だ。


 年齢はアリスティアと同い年の19歳。

 この国に転生して来た日から彼女は毎日泣いていると言う。


「 帰りたい」と言って。


 家族とも離れ、言葉も通じない世界で、どれだけ不安な思いでいるのかと。

 聖女と同い年であるアリスティアも、彼女の置かれた境遇に同情しないではいられなかった。



 魔物から世界を守る聖女は、我が国だけではなく世界が大切にしなければならない存在。


 我が国の皇太子殿下として、レイモンドが彼女を気に掛けるのは当然の事。

 

 あの時。

 レイモンドが聖女との結婚を伝えに来た時に、聖女の名前であると言いかけて途中で止めたのも、きっと名前を呼び合う程に親しくなっていたから。


 

 そして聖女が彼に恋をしてしまう事も当然の事。


 レイモンドは誰もが一目で恋に落ちてしまうような様相の上に、とても優しい皇子様なのである。


 女性ならば誰もがそうであるように。


 だからこそアリスティアは、レイモンドに言い寄る女を蹴散らして来たのである。


「 レイの横に立つのはわたくしだけですわ 」と、婚約者の特権をフルに活用して。



 そんなアリスティアでも、聖女が側妃となる事は理解していた。

 帝国間での取り決めを遵守しなければならない中で、聖女の意向が彼との結婚ならば、それも仕方が無いと。


 しかし、そうであるならばきちんと筋を通して、レイモンドの婚約者であるアリスティアに聖女と引き合わせて叱るべき事なのだが。


 皇家はそれをしなかった。



 きっとわたくしが嫉妬深いからだわ。

 だから聖女様に会えば、わたくしが危害を加えるかも知れないと思ったのよ。


 これも今までの自分の所為が原因。


 悪役令嬢のわたくしを、聖女様に会わせられないのは当然の事だわ。


 アリスティアはそんな風に自分に言い聞かせていた。



 あの夜は婚約破棄を告げられると思っていた。


 家族の皆もそう思っていたようで。

 アリスティアが幸せそうな顔をして戻って来たのを見て、皆は安堵した。


 こんなに嬉しそうなアリスティアを見るのは久し振りだと言って。




 ***



 

 「それではベールを上げて誓いのキスを 」

 神官が二人に向かってそう述べた時、皆の視線が一斉にアリスティアに注がれた。


 アリスティアがどんな顔をしているのかと興味津々で。



「 ティア、これから先何があろうとも僕を信じて欲しい 」

 そう言って優しく抱き締めてくれたレイモンドを思い出す。


 そこにあるのは、聖女よりも先にキスをしたのは自分だと言う小さな


 それがあるからアリスティアは、ギリギリの所で耐える事が出来た。


 凛として。

 聖女のベールを上げて、小柄な聖女に向かって腰を折り、誓いの口付けをする二人を見つめた。



 皇太子妃になるのはわたくし。

 それはレイの意向。

 今を耐えたら、きっとレイはわたくしに寄り添ってくれる。



 その時……

 またもや女性達のひそひそ話が聞こえて来た。


「 キスと言えば、皇宮の庭園のガゼボで殿下と聖女様がキスをしていたらしいわ 」

「 もう何度も庭園で逢瀬を重ねているとか。それは聖女様がやって来て直ぐからだそうよ 」

「 やっぱりあの姿絵の通りに、お二人は初めてお会いしたあの瞬間に恋に落ちたのね 」


 女性達お喋りは止まらない。

 チラチラとアリスティアの反応を伺いながら。



 しかし……

 この話はどうしても看過出来なかった。

 今までの話はスルー出来たが。


 皇宮の庭園のガゼボは、レイモンドと二人でお茶会をしていた場所。

 あの場所は二人の逢瀬の場所だった。



 そこで聖女と?

 何度も?


 その時、カランカランと大聖堂の鐘の音が鳴り響いた。


 

 嘘つき。

 嘘つき。

 信じて欲しいと言っていたのに。


 私とキスをした時にはもう聖女とキスをしていた?

 あの逞しい胸の中で聖女は抱き締められていた?


 わたくしよりも


 嘘つき!

 嘘つき!

 信じていたのに。


 レイが聖女に一目で恋に落ちたと言うは本当だった。



 アリスティアの身体の中に熱い何かが燻り始めた。

 それは熱い熱いエネルギーの塊。



 祭壇の前での式が終わると、晴れて夫婦となった二人が挨拶の為に参列者の方に向き直った。


 レイモンドの腕に手を回して寄り添っていた聖女が、徐にアリスティアに視線を向けた。


 黒髪に黒い瞳の聖女は、アリスティアと視線が交わるとニヤリと笑った。


 タナカハナコはそれはそれは下品ないやらしい顔をして。



 その瞬間。

 アリスティアの身体は宙に浮き上がった。

 ミルクティー色の綺麗な髪の先は逆立っている。


 スッと胸元まで上がったアリスティアの指先は、タナカハナコに向けられ赤く光った。


 そしてその指先から、タナカハナコに向かって熱が放出された。


 それは赤い熱。


 赤い熱は凄い勢いでタナカハナコに向かって飛んで行く。


 その赤い熱に当たったタナカハナコは宙に舞い上がった。

 バーンと言う音が辺りに鳴り響く。


 タナカハナコは大聖堂の天井にあるステンドグラスの窓にぶち当たり、そして床に叩き付けられた。



 それからの事はよく分からない。

 レイがタナカハナコに駆け寄る姿を見たような気がする。


 もう。

 どうでも良い。



 それを境に、赤い熱がアリスティアの身体の中でどんどんと作られていった。

 それは熱くて熱くて自分ではどうしょうもないエネルギー。


 身体に溜まったその熱いエネルギーは、やがて身体の外へ次々に放出されていくのを感じた。



 そして気がつけば……

 アリスティアは大聖堂の屋根の上まで浮き上がっていて、辺り一面が瓦礫の山と化していた。


 地上で、泣き叫びながら逃げ惑う人々や倒れている人々をアリスティアは見下ろしていた。



 誰かわたくしを止めて!


 この熱は何?

 何故自分で止められ無いの?



 そんな願いも虚しく、アリスティアの身体のからほ赤い熱があちこちに放出され続けた。


「 目が赤い! あいつは魔女だ!」

「 魔女が街を襲撃してるぞー!!」

「 誰かあの極悪な魔女を殺してーっ! 」


 人々の怒号が足の下から聞こえる。



 わたくしが魔女?

 違う!魔女なんかじゃない!

 魔女なんか知らない。


 だけどこれが魔力だとしたら、やはりわたくしは魔女になったと言う事になる。


 それは……

 醜い嫉妬と、信じていた婚約者ひとからの裏切りへの怒りから。



 誰かわたくしを殺して。




 そんなアリスティアの放つ魔力は、街の建物や人々を破壊したが、足下にある大聖堂には放たれなかった。


 遠くに聳え立つ皇宮も。



 皇宮はレイモンドがいる場所。

 そして大聖堂は二人が結婚式を挙げる筈だった場所。


 死ぬ時は大聖堂の祭壇の前で死にたいと思った。


 それはアリスティアの願い。

 愛しいひとへの悲しき慕情だった。



 地面に降り立つと、騎士達に追われながらアリスティアは大聖堂の祭壇の前に逃げ込んだ。


 すると直ぐに駆け込んで来た騎士達に取り囲まれた。

 皆の手に持つ剣先は、アリスティアに向けられている。


 その時アリスティアは大聖堂の柱の陰にいる宰相の顔を見た。

 ニヤニヤと笑っている。


 カッと身体が熱くなるのを感じた。


 この男だけは殺りたい。


 お父様が言っていた。

 こんな事態になったのも、全てが聖女の後見人になった宰相ニコラス・ネイサン公爵の企てなのだと。


 身体に残った僅かな魔力を指先に込めた。

 指先が赤く光る。

 アリスティアの赤い瞳の色も更に赤くなった。



 その時。

 弓兵がアリスティアの前に現れた。

 彼らは矢を引く構えをした。


 ああ……

 わたくしは宰相を殺れずに死ぬのだわ。


 指先に集められた魔力は、宰相に向かって放つ程には強くは無かった。



「 待て! 」

 それは愛しい婚約者ひとの声。

 アリスティアは声がする方を見やった。


 道を作った騎士達の間を歩いて、レイモンドが現れた。


 手には銀色の剣を持って。



 ブロンドの髪はステンドグラスの窓から降り注ぐ陽の光でキラキラと輝き、その瑠璃の青い瞳がアリスティアを見つめた。


 誰よりも素敵な皇子様。

 生まれた時からずっと側にいたわたくしの愛するひと



「 レイ……わたくしを殺して 」

 貴方の手で死にたい。



 レイモンドの綺麗な瑠璃色の瞳には涙が溜まっていて。

 その美しい顔を悲し気に少し歪めて。


「 ティア……生きて……」

 剣に突き刺された心臓に鋭い痛みが走る。

 真っ赤な血が涙と共に吹き出して来る。


 すると……

 心臓にある剣から銀色の光が放たれた。


 その後のレイモンドの言葉は、アリスティアにはもう届かなかった。







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