第3話 聖女降臨
ある新月の夜。
三つの帝国に住む三人の魔女達が同時に天の声を聞いた。
『 近い未来に魔物が出現する。世界を救うのは帝国に現れる一人の聖女 』
魔女達はそのお告げを自国の皇帝に進言した。
世界を救う為に聖女が現れる事を。
世界には三つの帝国がある事から、どの国に聖女が現れるのかは分からない。
なので、帝国の皇帝達は互いに連絡を取り合い、秘密裏に決め事を交わした。
全面的に魔女の進言を信じた訳ではないが。
今まで魔女の森でひっそりと暮らしていた魔女達が、このような進言をしてくるのは初めての事だった。
そして……
魔女達の進言どおりに本当に聖女が現れたのだ。
それはエルドア帝国に。
レイモンド皇太子殿下の腕の中に。
その日も新月の夜だった。
暗い夜空が突然銀色に輝いた。
「 !? 」
この日は騎士団での夜の訓練中だったレイモンドは、この異変に直ぐに気が付いた。
「 まさか……聖女が現れたのか? 」
魔女の進言があった事は父皇から聞いていた。
『
確信の無い事に騒ぎになってはいけないと、上層部と騎士団にのみにその事が伝えられ、皇宮内には箝口令が敷かれた。
信憑性のない話にレイモンドも半信半疑ではあったが、今、正に有り得ない異変が起きようとしているのだ。
ここにいる皆が聖女の出現だと思うのは当然の事だった。
レイモンドは騒ぎ立てる騎士達を制して、夜空に輝く銀色の光を静かに見守っていた。
やがて銀色に輝いていた箇所がパカッと割れた。
まるで卵を割ったように。
「 !? 」
騎士達からは大きな響きが起こった。
そしてその割れた空間からは一人の女が現れた。
髪は黒く短い。
丈の短いドレスからは白い脚を出している。
この国ではあり得ない様相だ。
そして瞳の色も黒い。
レイモンドは両手を高く上げて、黒髪の女を受け止める態勢を取った。
騎士達が固唾を呑んで見守る中、両手を高く差し出しているレイモンドの腕の中に黒髪の女はフワリと舞い降りた。
黒髪の女を抱き止めたレイモンドは、彼女を抱き上げたままに優しく笑った。
「 ようこそ我がエルドア帝国へ 」
その瞬間に騎士達からワッと大歓声が湧き起こった。
「 聖女はエルドア帝国にやって来たーっ!! 」
「 聖女は我が国のものだーっ! 」
「 これで我が国は安泰だーっ!」
万歳万歳とその場は大騒ぎになった。
これは……
レイモンドとアリスティアの結婚式を、2ヶ月後に控えての出来事だった。
***
聖女がエルドア帝国に現れたニュースは世界中を駆け巡った。
魔女が聞いた天の声も同時に世界向けて発表され、世界中の人々は近い未来に出現する魔物の恐怖に怯えた。
しかし、それを救うのが聖女だと言う事で、世界の人々は勿論だが、聖女が自国に現れたエルドア帝国の国民達のその熱狂振りは凄まじかった。
『 ようこそ我がエルドア帝国へ 』
レイモンド皇太子が聖女を受け止めた時の姿絵と、彼の歓迎の言葉が活字になって世界中に出回った。
この時、二人は恋に落ちたのだと言うロマンスと共に。
二人の出逢いの絵が、何とも幻想的な美しい絵だった事から余計にロマンスに花が咲いた。
そしてその後は、二人の逢瀬が続けられていると毎日のようにニュースになっていた。
『 エルドア帝国の若き皇太子と異世界から現れた聖女の時空を超えた恋 』
そんなドラマチックなロマンスは世界中を魅了した。
レイモンド皇太子殿下には婚約者がいる事を無視して。
そう。
民衆は政略結婚などには興味が無い。
世紀のロマンスこそがお伽噺の世界には必要なのだから。
聖女を保護した皇宮は、決められた者以外の人々の出入りがシャットアウトされた。
聖女を守る為に。
皇太子の婚約者であるアリスティアがお妃教育に通えなくなった事から、街には様々な憶測や噂話が溢れた。
黒髪に黒い瞳を持つ聖女は、大層神秘的な少女。
小柄で華奢な様相は庇護欲を唆る程で。
それは皇太子の婚約者であるアリスティア公爵令嬢とは正反対の可憐な少女なのだと。
「 きっと皇太子殿下は、可愛らしい聖女様に癒しを求めたのだわ 」
「 あの高慢ちきで我が儘な悪役令嬢にはうんざりしていたのよ 」
「 彼女の束縛が酷かったですからね 」
皆はここぞとばかりに、アリスティアの悪態振りを囁き合った。
今まで表立っては言えなかった事を。
そんな事から、嫉妬深い悪役令嬢が聖女様に危害を加えないように、彼女は出入り禁止になっているのだと人々は噂した。
アリスティアに向けられた人々の感情は『 ざまあ 』だった。
それが決定的になったのは聖女が現れてから1ヶ月が過ぎた頃。
この日。
聖女の歓迎舞踏会が皇宮で開催された。
しかしそこにアリスティアは招待されなかった。
生まれた時から、レイモンドの皇子の婚約者であった公爵令嬢アリスティア・グレーゼは、皇家が聖女を優遇するあまりに蔑ろにされる事になった。
議会でも聖女をいかに守るのかの話題ばかりで、アリスティアの事に言及する者は一人もいなかった。
聖女の事を悪く言う者は悪と言う風潮になるのに時間は掛からなかった。
それ故に……
「 聖女様の意向 」だと言われれば、異を唱える事さえ出来くなってしまったのだ。
そんな事からグレーゼ公爵家の立場としても、皇家が抱え込んだ聖女の処遇に対して物言う事は出来なかった。
そして……
アリスティアのいない舞踏会で、皇太子殿下と聖女の結婚が発表された。
それはアリスティアとレイモンドが結婚する予定だった日に。
要は花嫁の摩り替えだ。
この発表に黙って耐えているグレーゼ公爵に、宰相がニヤリとほくそ笑んだ。
彼はグレーゼ公爵の長年のライバルだった男。
エルドア帝国の三大公爵家の内の一人、ニコラス・ネイサン公爵。
レイモンドが正式に皇太子と確立された時に、グレーゼ公爵は今までいた宰相の座を降りていた。
しかし宰相の座を降りていても尚、グレーゼ公爵の権力は絶対的で、彼の影響力は衰えなかったと言う。
聖女の登壇でネイサン宰相の発言権が大きくなっていた。
それは、聖女の後見人がこのネイサン公爵になったからで。
『 世界を魔物から救う聖女 』
裏では様々な政治的思惑が交差する皇宮で。
すっかり神化した聖女は、とんでもない存在になっていた。
***
流石にレイモンドと聖女の結婚の話は、前もってアリスティアには伝えられていた。
それはレイモンド自身の口から。
ある夜。
グレーゼ邸に突然にレイモンドがやって来た。
深刻な表情をしているレイモンドに、もしかしたら婚約破棄を伝えに来たのかと皆は緊張した。
レイモンドと聖女のロマンスは公爵家の面々も、勿論見知った事なのだから。
それ故に、聖女が現れてからの1ヶ月間のアリスティアの消沈振りは見てはいられない程で。
己の美貌をあれ程誇っていたアリスティアの目の下にはクマが出来、その均等の取れたナイスボディはみるみる内に痩せ細っていった。
「 先ずは彼女と話をさせて欲しい 」
出迎える執事にレイモンドは開口一番にそう言った。
二人が会うのは2ヶ月振りだ。
地方への視察に2ヶ月近くも行く事もあり会えない事も多々あったが、皇宮にレイモンドがいるにも関わらず、こんなに会えない事は初めての事だった。
色んな噂はアリスティアの耳にも入って来ていて、心配した両親からは領地へ行くか?とも言ってくれていた。
しかし、アリスティアはレイモンドを信じていたのだ。
レイモンドも、きっと自分の事を好きでいてくれていると言う自信もあったからで。
居間のソファーに二人で向き合って座ってはいるが。
二人の間には重い沈黙が続いていた。
この2ヶ月近く離れていた時間は、二人の間にかなりの距離を作ったようにアリスティアは感じた。
「 ティア……ちょっと庭に出ないか? 」
レイモンドがそう言って席を立った。
人払いをしているのに、それでも言いにくい事なのだとアリスティアは察した。
勿論、聖女の事に違いない。
広い庭園を歩いている間も沈黙が続く。
二人だけなのに手を繋いでくれないのは初めてだ。
「 僕は聖女と結婚をする事になった 」
「 えっ!? 」
重い口を開いたレイモンドは、アリスティアに背中を向けたままにそう言った。
王族に側妃がいるのはどの王族も同じ。
現に皇帝陛下にも側妃がいる。
アリスティアもそれは理解している。
まだ医療の不確かな時代。
王族の繁栄の為に、王子にはスペアが必要だと言う事は。
「 結婚式は1ヶ月後だ 」
「 1ヶ月後は……レイとわたくしの…… 」
「 君の代わりに聖女と結婚式を挙げる事になった 」
レイモンドがアリスティアの声に被せるように声を荒らげた。
「 ………では、わたくしとは婚約を解消する…… 」
「 いや、それは無い! 」
アリスティアを振り返ったレイモンドはキッパリと否定をした。
「 ……意味が分からないわ 」
アリスティアは涙をグッと飲み込んだ。
レイモンドは、聖女との結婚をしなければならない理由をアリスティアに説明した。
魔女達から天のお告げを聞いた帝国の皇帝は、お互いに連絡を取り合い、秘密裏に密約を交わし聖女を迎える準備をしたのだと。
聖女が現れた帝国が責任を持って聖女を保護する事。
聖女の意向を尊重する事。
聖女の身分を確かなものとする事。
など、様々な事が決められた。
何故なら聖女は、世界を救う唯一無二の無くてはならない大切な存在なのだからと。
「 だから……この結婚は形だけなんだ。3ヶ国での取り決めにあるように、異世界から来たハナ……いや聖女には、地位を早急に与えなければならないと議会で決まった 」
それには皇太子である自分の側妃にするのが一番だと言う事になったと。
「 それは理解できます……でも、何もわたくし達の結婚式でなくても…… 」
「 僕達の結婚式には各国の王族を招待している。彼等の前でそれを示すのが良いとなったんだ 」
聖女はそれだけ大切な存在なのだと言って、レイモンドはアリスティアの瞳を見つめた。
世界に向かって、聖女はエルドア帝国のものだと示す必要があるのだと。
要は……
自国に聖女がいれば魔物が襲って来ても直ぐにやつけてくれる。
その為にも、聖女をこのエルドア帝国に縛り付けておく必要があると言う事なのである。
「 分かりました 」
アリスティアは顔を上げてレイモンドを仰ぎ見た。
公爵令嬢らしくちゃんと胸を張って。
「 アリスティア・グレーゼは、レイモンド皇太子殿下のお気持ちに従います 」
そしてレイモンドに向かって最上級のカーテシーをした。
下げた顔からは、キラキラと光る涙がボトボトと地面に落ちて来た。
ここで泣いてはダメなのに。
わたくしは我が国最高位の公爵令嬢。
どんな時でも毅然としていなきゃならない立場。
頑張れ!
頑張れアリスティア!
ボロボロと大粒の涙が次から次へと零れ落ちてくる。
涙が止まらないから顔を上げられない。
「 ティア……ごめん 」
レイモンドはアリスティアを掻き抱いた。
そして……
アリスティアの頬を両掌で包み込むと、涙に濡れたアリスティアの目に自分の唇を寄せた。
そのままレイモンドはアリスティアの頬に唇を寄せ、アリスティアの唇に自分の唇を重ねた。
これが二人のファーストキス。
こんなに永い間、婚約関係にあったのにも関わらず。
「 ティア……これから先、何があろうとも僕を信じて欲しい 」
唇を離したレイモンドはそう言って、もう一度アリスティアを強く抱き締めた。
アリスティアが憧れていた二人の初めての口付けは、何とも辛くて切なくて……
悲しい涙の味がした。
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