第4話
撮影のために借り受けた広い敷地の一画で、ケータリングのドリンクを手にした二人は、他のスタッフから少し離れて座った。
「演技のことももちろんだけど、その前に……」
亜蘭がほんのわずかのためらいを含んで、舞花の顔を正面から見つめた。
「はい?」
男の人なのに、美しい。そう、舞花は感じた。亜蘭は常に何かしらの項目を冠した俳優ベストスリーには名前を連ねている。
それで、何を話そうと? そういう思いはおそらく舞花の表情が如実に物語っている。
「実はね、うちの事務所に取材したいという打診があったんだ」
「取材、ですか?」
舞花の言葉に複雑な思いが絡まっている。
「そう。君と俺とを一緒に」
「ああ……、それは……」
成程、彼への、ではなく自分たち二人への取材なら尋ねられた理由も解る。
「分かってる。君は今までただの一つも取材を受けていない」
「はい」
「それはどうして? 何か理由でもあるの?」
あくまでも亜蘭の言葉は穏やかで、詰問も興味も詮索も含んではいない。
「……。その……、いろいろと事情があって」
「そうか、じゃあ断っておくよ」
言い淀んだ舞花を待つでもなく、取材の件について執着はせず、あっさりと亜蘭は退いた。正式なオファーでなかったことは想像がつくし、おそらくは亜蘭の個人的な人脈を頼っての、ダメ元の打診だったのだろう。
「すみません」
舞花はこくんと頭を下げた。
「いいんだ、気にしないで」
それから、二人は同時に一口、冷たいコーヒーを飲み込んだ。
このドラマがヒットしようがしまいが、舞花が俳優として世に名を残すのはこれが最初で最後になるだろう。舞花の主演は、上の事情によるものであり、舞花の望んだものではないからだ。ただし、そのことはすべてのオンエアが終了するまでは口外無用という契約が為されている。
「あ、そうだ。それからね」
亜蘭は再び舞花の顔を正面から見つめた。吸い込まれそうに澄んだ眼差しが舞花を縛り付ける。
この人はいつも誰にもこういうふうに話をするのだろうか、と舞花は思った。
「?」
どうぞ、ご遠慮なさらずに、それがストレートに伝わるような表情を舞花は返した。
「キスシーンのことなんだけど」
「はい」
そうだ。撮影のこの先にキスシーンが設定されている。そのシーンには詳細なディレクションどころか、台本の中にト書は一切ない。
「したように見せるのも、軽いのも、深いのも、任せると言われてる……」
舞花の反応を確かめるような亜蘭の言葉だった。
「ええ」
「君は、どうしたい?」
「まだ分からないんです」
聞かれて、ためらうことなく正直な気持ちを舞花は伝えた。
「分からない、ってどういうこと?」
舞花の言っていることがまったくの理解の外にあって、亜蘭は訊ねた。
「わたし、小さな頃から、物語の作中の人物になりきってしまう癖があって……、自分ではその世界にいる間の感情をコントロールできないんです」
「なるほど。あかりでいる間の気持ちは舞花の時には分からない、そういうこと?」
「はい。だからその時でないと……」
実際問題として、今、現在、月城舞花は、岩渡亜蘭に恋をしてはいない。演技のために疑似的恋愛を現実世界でするという段階でもない。
恋愛対象ではない人物とのキスシーン、それを演技だと割り切るという現実そのものが、劇中のあかりとしての意識に宿るとは思えない。つまり、舞花があかりとしてその状況になってみないことには、自分自身でも分からないのだ。
「共演者泣かせだねえ、君は」
惑い苦笑して、同時にフッと肩の力が抜けたように亜蘭は言った。
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