第5話 静寂への道筋
この日、マイトリーは、座して目を閉じ、心の中に広がる静寂を感じながら、カルヤーナミッタのもとで学んだ修行の日々を思い返していた。最初の頃は、心が乱れ、瞑想に集中するのが難しかった。だが、カルヤーナミッタの言葉は常に彼の指針となり、少しずつ心の波は静まっていった。
あの日、呼吸に意識を向けるように言われた時のことを思い出す。カルヤーナミッタは、穏やかな声で彼に語りかけていた。
「息を吸うとき、吸っていることを知り、吐くとき、吐いていることを知るのじゃ。長い呼吸は長いと、短い呼吸は短いと、ありのままに感じ取ることが大事じゃ」
当初、息に集中するという単純な行為が、こんなにも難しいとは思わなかった。心は次々と他の思考に飛び、過去の出来事や未来の不安が頭を駆け巡った。しかし、カルヤーナミッタの静かな声が再び響いた。
「呼吸は心の鏡のようなものじゃ。呼吸を観察し続けることで、心が次第に透明になり、清浄な集中に至るのじゃ」
彼の言葉に従い、マイトリーは再び息に集中した。息が体に入る冷たさ、吐き出すときの温かさ。その単純な感覚に集中することで、心の中に少しずつ静けさが広がり、いつしか心は次第に穏やかになっていった。
だが、別の日、次にカルヤーナミッタが彼に示したのは、さらに深い瞑想だった。土を見つめることで、物質の無常さを感じ取るという教えだった。彼は四方に広げられた赤褐色の土を手に取り、その感触を確かめながらカルヤーナミッタの言葉を思い出す。
「土を観ることによって、物質的なものが変化し、崩れるものだと理解するのじゃ。この身体もまた土のように無常で、常に変わりゆくものじゃ」
マイトリーはじっと土を見つめ、その重みと冷たさを感じた。固く見える土も、やがて崩れ、風や水によって形を失う。自分の身体も、同じように変わりゆくのだと理解したとき、物質への執着が薄れ始めた。カルヤーナミッタの言葉が、彼の心に響いた。
「土は堅固に見えるが、風や水で崩れ、やがて消えるものじゃ。わしらの体も同じこと。全ては生まれ、崩れ、生滅する。永遠に堅固なものは何もない」
その教えが彼の中に深く根を下ろし、マイトリーは物質的な世界に対する執着を少しずつ手放していった。
修行が進む中で、カルヤーナミッタは歩く瞑想を勧めてきた。庭の中を静かに歩き、一歩一歩に集中する、そんな単純な瞑想だった。
「歩くときは、足が地に触れ、離れる瞬間に意識を向けるのじゃ。一歩一歩を感じ取り、心がそれに従っているかを確認することじゃ」
マイトリーは庭をゆっくりと歩きながら、足の感覚に集中し始めた。足が地面に触れ、重さを感じ、持ち上げられて進む感覚。最初は動きの中で心を整えるのが難しかったが、次第にその感覚が自然と彼の心を静めるようになった。
「歩行瞑想は、座している時と同じく心を整える方法じゃ。動きの中で正念を保ち、足の感覚に集中すれば、心は安定し、知恵と静寂を得る」
歩くごとに心が澄み、何かに焦ることなくただその瞬間に集中することができるようになった。
そして最後に、カルヤーナミッタが彼に教えたのは、慈しみの心を広げる瞑想だった。
「まずは、自分自身に『私は幸せでありますように』と慈しみを向けるのじゃ。自分自身を1番大事にしなさい。そして、他の生き物も同じくらい大事にしなさい。親しい者、友、知り合い、そして全ての生き物へとその慈悲を広げるのじゃ。わしはこれが1番大事な瞑想と思っておる。全て手放しても善友と慈悲の心で生きることは嬉しいからな。全て手放して気楽になった後は善友と慈悲の心で楽しく生きる。それはこの道の全てと言っていい」
マイトリーは、最初に、自分自身に慈しみの言葉を向けることに戸惑いを覚えた。彼は長い間、自分を責め続けてきたからだ。だが、カルヤーナミッタの言葉を信じ、少しずつその感覚に慣れていった。そして、次第に心の中に温かな光が差し込むような感覚が広がり始めた。
「慈しみの心は全ての者に平安をもたらす。敵意を抱いてはならぬ。全ての生き物に対して、無限の慈しみを育むのじゃ。敵にも慈悲の祈りを向けなさい」
彼は自分の中で広がる慈しみを、他者へと広げていった。親しい者、友、そして憎しみを抱いた者にさえも。その過程で、彼の心は次第に軽くなり、他者に対する敵意や不安が消えていった。
マイトリーは、ゆっくりと瞑想から目を開けた。カルヤーナミッタの教えは、彼の心に深く根を下ろし、少しずつ彼の内面を変えていった。苦しみと葛藤の中で始まった修行の日々が、今や彼の心に静けさと安らぎをもたらしていた。
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