第3話 石像になろうぜ
マイトリーは、床に膝をつき、苛立ちと絶望が入り混じった視線でカルヤーナミッタ(石像)を見上げていた。胸の奥に広がる虚無感と焦燥感が、彼をさらに追い詰めていた。
「どうして……どうして私は死ねなかったんだ」
彼の声は震えていた。
「すべてを終わらせたかったんだ。もう、心は何も感じない。成し遂げたいことはもないし、何一つこの世に生きる意味なんてないんだ」
マイトリーは声を上げて泣き始めた。カルヤーナミッタ(石像)は、静かに彼を見つめたまま動かない。その表情は、まるで何もかも見通しているかのように穏やかだった。
「苦しんでおるな……まるで嵐の中を彷徨う船のようだ」
彼は柔らかい声で言った。
「だが、心の波を沈める方法がある。まず、落ち着こうな?」
「落ち着けって……?」
マイトリーは、混乱したようにカルヤーナミッタ(石像)を見つめ返した。
「何をどうしたらいいんだ? すべてが意味を失っているんだ。生きることそのものが、もう……」
カルヤーナミッタ(石像)は微笑を浮かべながら、軽く肩をすくめた。
「うむ、確かにそれは大変じゃ。… じゃが、わしは石像になってしまったんだがの。ついさっきまでは、木の上に座っておったはずなんだが」
確かにそれはそうかもしれない。もしかして自分の魔法書のせいかもしれない。元に戻せと言われるのだろうか。そんな方法はわからないぞ。
「これでは女も抱けないし、力もない、めしも食えない。じゃが君の方が大変そうじゃな。君も石像にならないか?」
マイトリーは一瞬、何を言われたのか理解できずに固まった。
「肩が凝っても自分でマッサージできんのが一番困りそうじゃがな」
「肩が凝るって……石像が?」
カルヤーナミッタ(石像)は穏やかな表情で頷いたように見えた。
「動けんし、あくびもできんし、ハエが飛んできても追い払えん。まぁ、元々それでもじっとしておるのが、わしの仕事じゃったからな」
「お前、面白い奴だな……」
マイトリーは、先ほどの絶望感から少しだけ解放されたように感じた。死ぬ気分はどこかタイミングをずらされてどこかに抜けてしまった。
カルヤーナミッタは、にこりと笑って言った。
「笑うのは良いことじゃ。笑いは心を軽くするものじゃからな。だが、さらに心を落ち着けるためには、一つの練習が必要じゃ。そう、正に石像になる練習がいる。お前はアーナーパーナ・サティをやったことがあるか?」
「アーナー……なんだって?」
「アーナーパーナ・サティ。息に集中する瞑想法じゃ。わしみたいに座って、石像のようにじっとして、呼吸だけに意識を向ける。吸って、吐いて……それだけで心は静まっていく。」
瞑想、アーナーパーナサティ。知らない言葉が多すぎる。だが、この石像を少し信じてみる気分になった。マイトリーは少し考えてから、笑いながら言った。
「石像に呼吸を教えられるなんて、思ってもみなかったよ……でも、やってみるか。」
マイトリーは石像のように床に座り込んだ。
カルヤーナミッタ(石像)は嬉しそうに微笑んだようにみえた。ゆっくりと説明を続けた。
「そうじゃ、それでいい。まずは息を吸って、感じてみるんじゃ。息が体に入るとき、そして出ていくとき、その感覚を意識するのじゃ。他のことは考えず、ただその瞬間だけに集中しつづけるんじゃ」
真剣なカルヤーナミッタ(石像)の表情を見て、静かに目を閉じ、息を吸い込んだ。静かな呼吸に集中し、心のざわめきが少しずつ和らいでいくのを感じ始めた。
「早く死体にならんか。何があっても動かないくらいに鼻先の息の流れに集中するんだ」
カルヤーナミッタは、優しく彼を見守りながら静かに言った。
「心は、嵐のように荒れ狂うものじゃ。しかし、呼吸に身を任せれば、その嵐もやがて静まる。石像になった気持ちで、ただ息に集中するのじゃ。それだけでまずは良い」
マイトリーは不思議な出会いに困惑しつつ、ひたすら息に心を合わせた。確かにそれさ一瞬の平安を彼に齎したのだった。
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