第四十話 清子への”当たり前”
清春の怪我は思った以上に酷かった。
ある程度治療したあと放り出したのではなく、頭を切ったあとそこをやけどさせたのが止血に繋がっただけだというのが治療している内にわかった。
だけどその時一番驚いたのは清子のことだ。
二人で手当をしていると清子の手に血が滴ってきて、何事かと思ったら本人の唇から血が出ていた。清子が自覚する以上に悔しかったんだろう。清子も唇を噛んでいることにそこでやっと気付いたんだから。
そして、その日の夕方に清春が目を覚ました。
「…!気分はどう?」
清子が涙を浮かべながら聞くけど返答はない。
「ここは六条邸。あなたは外で倒れていたの。」
「…。」
少年からの返事がないのはきっと緊張していたりするからではないんだろう。
清春は喋ることが出来ない。
清子もそれは重々承知なんだろうけど、姉としての感情は抑えられないんだろう。ただこのままでは大事なことがわからない。見た感じ話すことは出来なくてもこっちが言っていることは理解しているようだ。
「君は清春なの?」
「…!」
私が聞くと少年は目を見開いて小さく頷く。
永久が言った通りこの子は清春だったのか…。ならしょうがない。この子から情報を取れるだけ取ろう。
「あなたは月隠れを知っている?」
「…。」
清春はその名を聞くとすぐに耳を閉じるように手を当て、何度も首を縦に振る。清子はそんな清春を見てすぐさまぎゅっと抱きしめる。
「夕顔様!そういうことはまた後にしてください。」
「だめです。子どもは大人よりもずっと嘘を付くのが上手いですから頭があまり活動していない今のうちに聞けるだけ聞かないと。」
私だってこんな事やりたくない。だけどこの事件を解決しないと…。
あれ?解決したら何かあったっけ?
「そういう問題じゃありません!清春がこんなに怯えているのに…。子どもが嘘を付くのが上手いと言うなら、子どもはそれ以上に心が弱いです。そこに付け入るなんて…夕顔様らしくありません!」
清子の言葉にハッとする。そうだ、今清春から無理やり情報をとって清春が弱ってしまったらやっていることが朧月夜と一緒だ。
それにこの事件はすでに起こったことだからどれだけ急ごうが結果は変わらない。それなら確かに清春のことを優先したほうが良い。
「清春くん、清子様…申し訳ございません。少し躍起になっていたのだと思います。」
清子は数秒確かめるようにじっと見るといつもの表情に戻る。どうやら許してくれたらしい。清春も意外と早くに立ち直ってくれて、今は初めて見る屋敷に興味津々のようだ。
「取り敢えず、清春くんのことですが…。」
「分かっています。言葉を口に出す練習ですよね。でもおかしくありませんか?言葉を聞くことが出来て話すことが出来ないなんて。」
「それは多分…清春くんは言葉を発することに並々ならない抵抗があるんだと思います。」
清子はハッとしたように目を見開く。
「それってもしかして…。」
「もしかしてって…。何か予想があるんですか?」
「はい…。清春は昔言葉を発するたびに暴行をくらっていたんだと思います。そしたら言葉を発することが痛いことと認識して言葉を発さなくなってしまうんです。実際私も未だに正座以外の座り方が出来ません。それ以外をすると殴られていたから怖いんです。」
なるほど…。なら清春が言葉を操れるようになるうえで大切なのは言葉を声にすることにおそれを感じないようにすることか。
「取り敢えず最初は日常会話の必要最低限を教えたほうが良いですよね。」
「そうですね。じゃあ夕顔様が紙に書いてそれを口にするようにすればいいですかね。」
「でもそんなに紙を使って…。」
私たちは同時に仕事机の上にあるいらないお手紙を見る。これなら誰も文句は言わないだろう。
私はまず挨拶を書いていく。
「じゃあ清春くん、私の後に続いて読んでね。”おはようございます。”」
「…。」
駄目かぁ…。まあそんなにあっり上手くいったら世の中苦労しないよね…。気を取り直して今度は清子が言う。
「清春、一文字ずつ声に出してみて。”お”」
「…。」
清春はさっきと同じように声を出さずに首を横にふる。
「やっぱり…まずはここが安全な場所だということを教えなきゃいけませんよね…。」
「そうですね…じゃあ…清春くん、こっちおいで。」
私が出来る限り可愛く言うと清子はだいぶ引いてきたけど幸いなことに清春は近くに来てくれる。
私はそのまま清春を抱きしめる。何歳になってもギュッとされるのは安心できて嬉しくなる。
実際私は小さい頃母がいないことでいじめられた時、お父さんが優しく抱きしめてくれたから立ち直れたんだ。
それに今でも永久に抱きしめられた時安心できた。ここにいてもいいって思えたんだ。
だけど、そんな私の期待を裏切るように清春は拒絶した。
私の腕を振り払うと部屋の端に逃げてプルプル震えている。その目にははっきりと恐怖が張り付いていた。
「…どうして?」
「夕顔様…夕顔様は会って間もない人に抱きしめられて嬉しいですか?」
そうだった。私が安心できたのは抱きしめられたからじゃなくて大切な人たちのそばにいることが出来たからだ。
恥ずかしさと申し訳無さで項垂れていると清子が背中をさすってくれる。
「大丈夫ですよ…清春だって完全に心を閉ざしたままではなくなっています。」
「えっ!?」
小声で耳打ちされた言葉に驚いてつい大声を上げてしまう。清子は静かにと人差し指を立てると話を続ける。
「もし心を許していない相手なら断ることも出来ずにいやいや従っていると思います。少なくとも月隠れの教育を施されてきた清春なら。だけどさっきあの子は拒絶した。つまり…。」
「拒絶をする程度には心を開いてくれた…ってことですか?」
「そういうことです。小さいことかもしれませんが清春からしたらとてつもなく大きな判断だったと思います。…月隠れの命令に従っていたときは、命令に背くことは死を意味していたので。」
そっか。二人は想像もつかないほど過酷な過去を背負っているんだ。それにまだ過去として片付けれないというのも実情だ。
なら、私が今二人にできることは一つしかない。まだ清春には出来ないけど…清子とはそれなりの信頼関係を築いてきたつもりだ。
私は黙って清子を抱きしめる。
それだけ、それだけで良いんだ。私はここにいる。あなたのことを信じている人は…ここにいる。そのことがどれだけ人を安心させることか。
清子は急なことに驚いたみたいだけどその後私をギュッと抱きしめ返してくれた。次第にその手は力が強くなり、段々と震え始める。
清子は確か十四、五歳。私よりも幼いのに私なんか比にならないものを背負ってきたんだ。辛かったよね、誰かに伝えたかったよね。
清子の涙が肩を濡らしていくのが着物越しでもわかる。
涙を全部出し切れたのか、清子は少しだけ涙を浮かべたまま離れて笑う。
「急に何するんですか?」
清子の言葉にあの日のことが浮かぶ。
そうだったんだ。あなたが言いたかったのは、こういうことだったんだね。
「何って、当たり前のことですよ。」
「はい?」
「大切な友人が寂しそうにしていたら、一緒に乗り越えたくなる。それは特別じゃなくて、当たり前のことだと思うし、そうでありたいと思っています。」
永久が私に当たり前と言ってくれたこと。それはこういうことだったのかもしれない。彼にとって私は特別なときだけ寄り添う都合の良い人間じゃなくて、一緒にいることが普通で、当たり前の存在として写っていたのかもしれない。
清子はなにそれとつぶやきながらヘヘッと笑う。
「そうですね、なら夕顔様が困っているときは私が助けますよ。一友人として。」
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