第三十五話 清春と、”雨垂れ石を穿つ”

長かったお正月休みも終わって、私はまた六条邸に戻ってきた。

みんなどこどこの神社に行ったとかの話で少し盛り上がっていて、何だか冬休み明けの学校を思い出す。

そういえば、私はあんまりどこかへ行くってことがなかったな…。

母のいない私が、いつも忙しそうな父にどこかへ連れて行ってと言うのは流石に忍びない感じがしていたからだ。

だけど、離れたからわかる。きっとお父さんは私と一緒にどこかへもっと行きたかったんだろうなぁ…。

だって私、お父さんとどこかにあんまり行かなかったこと今すごく後悔してるもん。

話が一段落したところで女房たちは各々の仕事に戻る。


「夕顔様はお体を休めることは…あまり出来なかったみたいですね。」


私と向き合うなり清子が少し笑いながら言ってくる。私はちょっとムッとして思わず語気を強めてしまう。


「そんなにおかしいことですか?休暇で体が休まらないのは。」


「あっ…いえ違うんです。ただ、疲れも一気に取れるような進捗があったんですよ。」


清子は最初こそ申し訳無さそうに話しだしたけど、途中からまた笑顔が止まらなくなっている。


「進捗…というのはあの石箱のことですか?」


私の中でかすかな期待が芽生えてくる。


「はい。それを伝えたら御息所様の部屋に案内しろと秋葉様から言われていますからね。」


清子はそう言うとルンルンで私を御息所の部屋まで案内する。

私たちが石箱の前に座ると御息所が口を開いた。


「夕顔、お前の考えた通りこの石箱は酢をかけたら開くようになった。それで出てきたものなんだが…。」


私は中の物を覗き込んで一瞬息をするのを忘れてしまった。


「これは…。」


「おそらく、漢字の読み書きだろう。そしてここに書いてあるものが…。」


「清春…。」


真意はわからないが、前東宮が言ったという”特別”な彼に与えようとしたものなのだろうか?

漢字の読み書き練習帳と、必要最低限の熟語が書かれた紙には愛情が感じられる。

これを、いなくなった内膳童、清春という少年に渡そうとしていたんだろう。


「御息所様…。」


「あぁ、もちろん探し始めている。内密にな。」


さすがは御息所、抜かりがない。

だけど、時期を考えると御息所は清春に会ったことがあるはずだ。


「御息所様、清春という少年に心当たりはなかったんですか?」


聞いてみると何故か少し気まずそうな顔をする。


「一応あるにはある。だが、あの子は喋らなかった分沢山働いてくれていたように感じているからなぁ…。」


「ちなみにその子は何歳くらいだったんでしょう?」


「確か…十前後だったはずだが。」


清子の弟と考えたら、清子が物心つく頃には会うことがなかったということを考えると辻褄が合う。清子もそう感じていたのか、御息所の言葉一つ一つに熱心に耳を傾けている。

清春…。その子が今までの事件の実行犯というわけか。

可哀想に…。

きっとその子は自分がしていることが悪いことと感じてもいなかったんだろう。なのに、バレたらこの子は確実に死刑となる。


「ただ、一つ気になるのが東宮はどうしてここにこの読み書きを入れていたかだ。」


「それは…清春という子に渡したかったからじゃないんですか?」


「それなら尚更こんな開けるのに時間のかかる箱に入れないだろう。ということは東宮はどうしてもこれを清春に渡せない事情があったんじゃないだろうか。」


なるほど…。御息所の言う通り、渡すならさっさと手渡しすれば良いんだ。それなのにこうやってなかなか開かない箱に入れた理由、それは一体何だ?


「…東宮様は気付いていらっしゃったんじゃないですか?自分を殺そうとしている人物が、清春と関係があることを。」


清子の声が静かな部屋に響き渡る。その声は今までに聞いたことがないほど冷たかった。


「私は月隠れと実際にあったことはなかったですけど、月隠れは良く言えば非常に合理主義、悪くいえば冷酷です。自分にとって不利となるものが増えたら、迷わずそれを切り捨てるでしょうから。」


「つまり…清春に言葉を教えることが、月隠れにとって迷惑でしかなかったということか?」


「おそらくは…。私と兄は月隠れの支配下に置かれたときにはすでに言葉を覚えていましたが、出来る限り私たちから情報発信能力を消したかったでしょうからね…。」


じゃあ、話すことの出来ない、つまり月隠れにとって操作しやすい人間はどこに置いておく?

私なら、危険がないんだったら確実に指示が通るように自分の手元においておく。ということは、月隠れが朧月夜で確定っぽいことを考慮すると、清春がいるのは右大臣家。

敵は今右大臣家に集結している。

ただ私は今迷っている。月隠れが右大臣家の娘、朧月夜を指しているということを言っても良いのかを。いや、多分言っても良いんだけど、源氏物語のストーリー、つまり四、五年後に朧月夜が入内することを知らないとこの二つに関係があることを伝えるのは厳しい。

だったらどうやって…。


「夕顔、なにか言いたげな顔ですね?」


秋葉がじっと私の顔を見てくる。そんなに顔に出ていたんだろうか、でも自分でも気付かない内に眉間にシワが寄っていたみたいだし、相当悩んでいたんだろう。


「今から言うことは…単なる妄想に過ぎないと聞き流してくださいね。」


「あぁ、わかった。」


御息所がこういうということは、きっと今から言う私の話に理由を求めないと解釈していいだろう。なら、完全に自由に話せる。


「月隠れというのは、月が雲に隠れている状態を指します。その空を何と言いますか?」


「朧月夜…だな。」


「はい…私は、今回の事件で一番得をするのは朧月夜…つまり右大臣家だと思っているんです。」


「つまり…弘徽殿の女御から生まれた一の御子が現東宮となったことが、右大臣家の狙いだったと?」


「それもありますが…更にその一の御子に右大臣一族を結婚させたら…完全な右大臣政治が完成するでしょう。」


だいぶ推測に過ぎない感じにまとまったけど、御息所は面白そうに笑っている。


「随分な推測だな…!だが、そういうのは嫌いじゃない。夕顔、お前の言うことにかけてみるか。」


「かけるって…何を?」


私がイマイチ状況を掴めなくなって御息所に聞く。

すると、秋葉が代わりに答えた。


「夕顔には夕顔のやり方があるように、私たちには私たちのやり方があるんですよ。」


秋葉はそう言うと立ち上がる。


「さて、準備しましょうか。六条の名物、物の怪を。」


私はその言葉にゾクゾクっとしながらも、何故だか頼もしく感じてきた。

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