第2話 喫茶店〈odd eye〉

「あぁ、青春したい……」

「またそれですか?」


 床をホウキで掃きながら、そんな愚痴をこぼしていた。

 昨日の任務の翌日、私たち二人はいつも通りにカフェで働いていた。


 商店街にひっそり佇むカフェ‘odd eye’。


 歴史ある街並みの中にありながら、都会的なオシャレな建物だ。

 私たちは今、ここでバイトをしている。

 お昼のピークを過ぎ、店内を清掃していると、窓の外からカップルが見え、青春への憧れが湧いてしまった。


「だって、あのカップル、すごく幸せそうじゃん! 彩優もそう思わない?」

「私に聞かないでください」

「……聞く相手を間違えた」


 彼氏持ちの彩優に聞いた私がバカだった。


 彩優は彼氏がいる。しかも、彩優が通う学校で一、二位を争うほどイケメンで、スポーツ万能、おまけに彼女思いの優しい人だ。

 わざわざバイト先まで彩優を迎えに来たときは、まるで恋愛ドラマのようでキュンキュンしてしまった。

 そんな青春を謳歌している彩優と比べると、自分が虚しくなる。


「はぁ〜。どこかにいい相手はいないかなぁ〜」


 店内にも響くような大きな独り言をつぶやいた。

 口に出すと、ますます余計に虚しさが増してしまった。


「あなたにそんな暇はないわ」


 声のした方を見ると、エプロンを着た女性――矢野麻衣の姿があった。彼女はこの店のオーナーで、私を助け、殺しの全てを教えてくれた師匠だ。


「無駄口を叩いてる暇があるなら、仕事、をしたらどうかしら?」

「えぇ〜。仕事じゃなくて恋したいよ〜」

「あぁあ。あなたの借金を肩代わりしたのは誰だっけ?」

「うっ……」


 師匠は口を尖らせ、まるで諭すように私を咎めた。


「あのままだったら、今頃、あなたの臓器はなくなってたかもねぇ。ま、恩を感じてないなら話は別だけどねぇ?」

「ぐぬぬぬぬ」


 師匠の言い分に私は唸るしかなかった。


 そう。あの時私を助けてくれた人こそ、目の前にいる師匠だ。

 助けてくれなかったら、今頃どうなっていたかわからない。

 その上、衣食住だけでなく、殺しの技術まで教わった。いわば母親代わりのようだ人だ。私にとっては感謝してもしきれない大恩人だ。

 しかし助けてくれたはいいが、借金を肩代わりしてもらっただけで、いずれ返さなければならない。その一環で働いているのだ。

 師匠の言う通り、青春を送っている時間など私にはないのだ。


「でも、少しくらい青春に憧れてもいいじゃないですか!」

「あなたには絶対に無理よ」

「なんで⁉」

「さぁ? なんででしょぅね?」


 小馬鹿にした笑みを浮かべる師匠。


「そんな師匠だって、旦那さんに逃げられたくせに」

「灯里! それは!」

「……あ」


 ミスを自覚したときにはすでに遅く、鬼のような形相で迫ってくる師匠がいた。


「あ、あのですね師匠。これには深いわけが……」

「問答無用!」


 無力にも捕まってしまい、プロレスの締め技を次々と受けてしまった。


「うぐぅぅぅぅぅ」


 うめき声を上げながら倒れる私。

 すでに満身創痍だ。


「灯里ねぇちゃん。またお母さんにやられたの? いい加減学習しなよ」


 倒れた私を見下すように声をかけてきたのは少年――矢野遊矢だ。

 名字からもわかるように師匠の息子だ。


「お母さんにそのことは禁句でしょ。どうして毎回言うんだよ?」

「……ついムキになりまして」

「はぁ、これだから低知能は困る」

「なんだと遊矢!」


 上から目線で話す遊矢を、今度は私がヘッドロックで締め上げる。


「どうしてあんたは上から目線の物言いしかできないわけ!」

「ね、ねぇちゃん。ギブ、ギブ」


 腕をバンバン叩いて降参の合図をしてくる。


 遊矢とは小さい頃から一緒に暮らしていた。

 だが遊矢は他の人たちとは違う特徴があった。

 それは、周りの人たちよりもめちゃくちゃ頭が良かったことだ。しかも、ただ頭がいいだけでなく、試しにIQテストを受けたところ、なんとIQ200という数値を叩き出した、本物の天才なのだ。

 そのせいもあって、学校ではうまくいかず、元来持ち合わせている人を見下す性格も相まって不登校になってしまった。

 今は自室にこもり、アニメやゲーム、マンガやラノベを読み漁っている。天才でありながら、生粋のオタクになってしまった。


「灯里もその辺にしておいてください」

「だってこいつが!」

「中学一年の子に、なにムキになってるんですか……」


 そう言った彩優は、がっちり固めている私を振り解き遊矢を助けてくれる。


「怖かったね。もう大丈夫」

「……別に怖くないし」


 遊矢の頭を優しくなでる彩優に、顔を真っ赤にしてカッコつける遊矢。


「まただよ。彩優には素直なんだから」

「あなたもあれくらい愛想がよければいいのにね」

「……うるさいです」


 師匠に指摘されたが、余計なお世話だ。

 私だってあれくらい、やろうと思えばできるんだから。やろうと思えばね。

 でも、やる気が出ないんじゃどうしようもないな。


――カランコロン


 なんて考えていると、お客様の来店を告げる鐘が店内に鳴り響く。

 入り口を見ると、そこには彩優の彼氏である――七瀬颯斗の姿があった。


「こんにちは。おじゃまします」

「は、颯斗! どうしてここに?」

「彩優がバイトしてるって聞いて、遊びにきたんだ。……邪魔だったかな?」

「そ、そんなことないです! う、うれしい……です」

「そっか……なら、来た甲斐があったかな」


 そう言って、とびきりのスマイルを見せるイケメン彼氏。

 その笑顔を向けられた彩優はものすごく照れた顔をしていた。

 目の前で繰り広げられるラブコメのような雰囲気に、キュンキュンする気持ちが溢れ出てきそうだった。


「あらぁ〜、熱いわね、あなたたち」

「こんにちは、麻衣さん。すみません、お邪魔しちゃって」

「いいのよ。彩優がものすごく乙女な顔をしてるから、それだけで来てもらった甲斐があったわ」

「ま、麻衣さん!」


 照れ隠しにこれでもかというくらい大きな声をあげる。

 そんな姿が初々しくて、まるで少女マンガを見ているかのようだ。


「まぁまぁ、彩優もそんなに怒らないの。七瀬さん、ゆっくりしていってください。コーヒーでも入れますよ。彩優が」

「どうして私が?」

「入れたくないの?」

「……私が入れます」

「じゃあ、お言葉に甘えてゆっくりしていこうかな」


 私にも爽やかフェイスを向ける七瀬くんはカウンターの席に座った。


「あんたも、いつまでがっかりしてるつもり?」

「……そんなんじゃないです」


 楽しげな会話の中でも、一人だけ悲壮感に満ちた人物がいた。

 私は慰めるように遊矢の肩に手を置いた。


 彼は密かに彩優に心を寄せていた。

 きっかけは彼女がここに来た日、彼女を見た遊矢は一目で惚れてしまった。

 理由を聞いたが、その時ハマっていたアニメ『少女の思いは秘密だらけの花園』の主人公にそっくりという、なんとも意味不明な理由だった。

 片思いをしていた遊矢だが、程なくして彼女に彼氏ができた。

 しかもその彼氏は自分よりもイケてるし、優しいし、とても敵う相手ではないと悟ってしまった。

 それ以来、七瀬くんが来て彩優が普段とは違う表情を見せるたびに、こうやって慰めている。


「まぁ、痩せ我慢せずに、たまには私に相談してもいいんだぞ!」

「灯里ねぇちゃんに相談しても……」

「なんだとコラァ!」


 慰めても結局、卍固めをすることになるのもいつもの日常だ。

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