神様は大学生(4)

ドアを開け、部屋に入る。8時30分。絵京先輩との会話でやや時間を食ったが、なんとか35分からの「まいにちうきうき!」には間に合った。テレビをつけ、教育番組のチャンネルに変え、そのまま朝食の準備をする。いつもの朝である。


朝食は、一人暮らし御用達の冷凍ご飯に納豆、さらには作り置きの豚汁がスタメンとなっている。本当は生卵をかけてたまご納豆としたいところだが、生憎そこまでの贅沢はできない。ここ亀山荘では、生卵は満月荘への忠誠心の象徴として扱われていた時代があり、亀山荘に対する反抗心の表れとして、一度ごはんに卵を落とそうものならついでにその人の評判も落ちることがあったのだとか。あくまで昔の噂話である。


朝食の準備ができたと同時に「まいにちうきうき!」の放送が始まった。これより8時50分までの15分間の視聴をもって、僕の朝食の栄養は完全なものとなる。先述したが、別に僕はこの番組が特別面白いから見ている訳ではない。あくまで健康維持のためである。したがって、テレビに釘付けになるわけではなく、ご飯を食べ、今日の予定を確認しながら見るのである。いつもの朝をかたどる縁の下のペースメーカーとして、あくまでそこに存在している、という事実が大切なのだ。


しかし、そんな僕でも今日は思わず集中して見てしまった。「まいにちうきうき!」に出演している体操のお兄さん、まえだお兄さんの卒業が発表されたからである。年度末の卒業シーズン、教育番組における世代交代はよくあることだ。まえだお兄さんは、柔軟な発想と臨機応変な対応力の促進が狙いな、アドリブパートを取り入れるという前代未聞の革新的舞踊「かんがえるなかんじろたいそう」を長年担当している、本番組の大ベテラン演者である。体操のアドリブパートでは、彼の代名詞でもあるブレイキンが見事に繰り広げられるのだが、その時に流れるBGMのテンポが少しずつゆっくりになっていたことから、寄る年波には勝てぬ身体能力の低下が示唆されており、引退が近いことは予想されていた。物心ついたときからアクロバティックなパフォーマンスを見届けてきた身としては、ながらで見ているとはいえ、感慨深いものがあった。


番組では、まえだお兄さんが涙目になりながら、番組への感謝だったり、視聴者へのメッセージを述べている。思わずこちらもうるっときてしまった。


「テレビの前のみんな~!僕は、3月をもってこの番組を卒業します!でも、これまでみんなと過ごしてきた楽しい思い出は、これからも!ず~っと!永遠に残り続けます!」


隣にいる、てつろうおにいさんとゆうこおねえさんは泣きじゃくっている。長年共に番組を築き上げてきたパートナー同士、一層感じるものがあるのだろう。なんでまえだお兄さんだけ苗字なんだろう、という疑問ははるか昔に自然消滅してしまった。


「そんなまえだお兄さんから、最後に!皆さんに伝えたいことがありまーす!」

「人生というのは、いつ、なにが起こるかわかりません!だからこそ楽しいんです!変わることを怖れないで、いろいろなことにチャレンジしてくださいね~!」


ふ、深い。変化を怖れるだのなんだのほざいている僕にブっ刺さる言葉だ。まえだお兄さん、あなたの金言、しかと受け取ったぜ。


「僕も、26歳でやさぐれている時、北関東の立ち飲み酒場で飲み比べ勝負をして仲良くなったおじさんが、元ブレイキンのスーパースターで、その人にダンスのいろはを教えてもらった結果、今に繋がってます!本当に人生は何が起こるかわかりません!長い間、ありがとうございました!」


おいそれはちょっと気になるぞ。

そう思うや否や番組は終わってしまった。まえだお兄さんの生い立ちに対する興味が最高潮に達したところでお別れとは。体操のお兄さんを引退した後、その経歴を活かしてタレント活動をすることを見据え、視聴者の興味を引きつけつつ終わる作戦であったとしたらクレバーすぎるぜ、まえだお兄さん。北関東の云々は言わなくても良かっただろ。


少しイレギュラーな形ではあったが、番組の視聴を終えると同時に朝食を食べ終わった僕は、食後のコーヒーを楽しんだ後、歯を磨き、洗濯物を干し、気付けば9時30分になっていた。皿洗いは夜の僕に託すとしよう。研究室のコアタイムは10時からのため、今自宅を出れば十分に間に合う。忘れ物の確認をし、家を出ようとする___


ピンポーン。


家のインターホンが鳴った。今朝の絵京先輩との会話が頭をよぎる。

(今朝、ついさっきお前さんが散歩している間、客人が来てたぜ。)

誰だろう。キッチン横に設置されているマイクに話しかける。


「はい。」


インターホンは映像付きではないため、ここからでは誰かは確認できない。


「お届け物です。」


亀山荘のオンボロインターホン音質でも伝わる、びっくりするくらい透き通った綺麗な声で返事が来た。なんだ、宅急便か。

拍子抜けした気持ちで玄関へ進み、ドアを開ける。

思えばこの時、ドアスコープを確認すべきだった。


「はい___」


今朝、鏡子さんのブランコを観測したとき、人というのはあまりにも超次元的なものを見たとき、それが防衛本能からくるものなのかどうかはわからないが、一時的にIQがとてつもなく下がる、と言った。それは、本当に、その通りで____


「夕凪学さんで間違いないですね。」

「……はい。」


ドアを開けた先にいたのは、絵京先輩の言うとおり、めちゃくちゃ綺麗な女性がいた。その女性は、にこやかに微笑みながら、こう言った。


「私、天界から参りました、風間と申します。」


「……」


「この度、夕凪様へのお届け物と、大切なお話がございまして。」


「……」


「朝早くに大変申し訳ありませんが、少しだけお時間の方よろしいでしょうか。」


セリフだけ見れば宗教勧誘や不審者の類だと思うだろう。しかし、それらの選択肢はすぐに打ち砕かれた。風間と名乗る彼女には、羽が生えていた。素人目でも、一目見ただけで本物だと直感的にわかるような、人智を超えた美しさ。まさに、神。いや、天使か。


(人生というのは、いつ、なにが起こるかわかりません!)

まえだお兄さん、あなたの言うとおりだったよ。

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