神様は大学生(2)

鏡子さんの就職が決まった話を聞いたのは、大学3年生も終わりを告げ、来年度から4年生が始まろうとしている春休みの朝、毎日散歩で通っている公園であった。お互い大学近くのアパートに下宿しており、早朝に散歩をするルーティーンを確立した者同士、公園で出くわしてはブランコに座り、雑談をするのが日常となっていた。


「この度ですね~無事第一志望の企業から内定を頂きましてね~」


鏡子さんは、僕と同じ大学に通う同級生であり、文学部に所属している。寄道鏡子と書いて、よりみちきょうこ、と読む。珍しい苗字に素敵な名前だ。文武両道、容姿端麗を兼ね備え、昨今の就活早期化の荒波にもめげず、この時期に内定という栄光切符の獲得に成功していることから、彼女のハイスペックっぷりが伺える。


「本当か。それはおめでとう。」

「ええ、学くんのおかげですよ~」

「いやいや、僕は何もしてないよ。鏡子さんの努力の賜物さ。」


学くん、とは僕のことである。鏡子さんと同じ学び舎に通うしがない大学生で、工学部に所属している。夕凪学とかいて、ゆうなぎまなぶ、と読む。珍しい苗字に平凡な名前である。僕はというと、社会に放たれる恐怖から就活にそうそう見切りをつけ、自分の可能性を研究活動を通じて最大限模索する、という便利な名目で大学院進学を決断している。進学したところで結局は殆どが就職するため、単なる延命治療に過ぎない。


「学君は進学するんですよね?」

「うん、入試はこれからだから、まだ確定じゃないけどね。」

「お互い進路が決まったら何かお祝いしたいですね~」


くそ、かわいい。

勿体ぶらずに予め言っておくと、僕は鏡子さんが好きである。likeではなく、loveの方の好きである。ラブコメだと、恋愛にウブな主人公が、あんなイベントやあんな交流やあんなアクシデントを通じて可憐なヒロインとの仲を深め、やがて内なるモヤモヤの思いに気付き、「この気持ちはなんだろう...?」という谷川俊太郎ゾーンを経過し、たいそう丁寧に、かつ時間をかけて、やがてその想いが恋であることを自覚させるものであるが、僕はもうその恋の自己認識フェーズは既に終えている。なんならかなり昔に終えている。ていうか一目惚れである。となると後はこの想いを鏡子さん本人へ玉砕覚悟でぶつけるのみであるが、それができたら苦労しないのはお察しの通りだ。僕は恋の自己認識の手続きに関しては、匠の技のごとく実にスムーズに終えることができたが、それを告白という形で表現するフェーズは現在進行形で遂行中である。いや、正しく言うと、なーんにも進んでいないので、現在停止形で足踏み中である。


「来週から新学期で4年生ですか~ほんと早いですね~」

「うん、そうだね。鏡子さんと出会ったのが3年前なんて、信じられないよ。」


まるで英語初学者が覚えるようなぎこちない会話のキャッチボールが繰り広げられている。驚く事なかれ、鏡子さんとはかれこれ大学1年生で出会った時から何年もこのブランコで雑談をしているが、ずーっと人間関係構築序盤段階で切る手札のようなことしか話していない。


僕は変化が怖いのである。もはやベタもベタすぎて粘着性がとんでもないことになっている考えであるが、告白、という行為は変化を生じさせるものである。僕はもう鏡子さんと出会って3年も経ち、牛歩とはいえ毎日なんらかの言葉を交わすくらいの人間関係を築きあげてきた。だがそれは「鏡子さん、君が好きだ、付き合って下さい」という一文で良くも悪くも大きく変わってしまう。勿論良い方向へ転べば、それはとんでもなく素晴らしいことではあるのだが、悪い方向へ転がれば目も当てられない事態になる。何を当たり前のことを言っているんだと思われるかも知れない。その通りである。人はそれを奥手という。


変化を怖れる僕の究極ともいえるエピソードをご紹介しよう。

僕は毎日8時35分に必ず行うことがある。それは、教育テレビ番組「まいにちうきうき!」を見ることだ。この番組の対象年齢は0~2歳の乳幼児である。御年22歳となる僕はこの対象年齢から著しく離れた場所に位置してるのだが、そんなことは気にもとめずにこの番組を欠かさず視聴している。それは、生を受け日本に爆誕した時から続いており、今日も今日とて「まいにちうきうき!」視聴歴22年目の大ベテランとして、番組の視聴率向上に貢献しているのである。


こう聞くと、この「まいにちうきうき!」はとてつもなく面白い番組なのだと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。確かに、まるでプリクラでとってつけたようなキラキラエフェクトがついた状態がデフォルトの眼である乳幼児からしたら、目に映るもの全てが新鮮でとても面白い番組だと感じるだろう。しかし、世の中のいろんなものを見て、酸いも甘いもある程度は経験し、社会へ放たれゴールのない労働を続ける未来を見据え「まいにちいやすぎ!」な生活を送る者の眼では、カラーテレビから放たれるまいにちがうきうきな映像に対する輝きエフェクトは完全に消え失せてしまっている。端的に言ってしまえば、特別この番組が面白いから視聴しているわけではない。また、そもそもこの番組の対象年齢が0~2歳である以上、その範囲から限界に限界突破を重ねた僕がこんなことを言うのはお門違いであることは十二分に理解している。おかしいのは僕の方だ。


ではなぜ見るのか。「まいにちうきうき!」を見ないと調子を崩すからである。乳児期からの視聴が習慣として染みついたはいいがその結果、習慣を通り越して依存してしまうようになった。「まいにちうきうき!」を見ないと、どことなくぎこちなく、気持ちが悪いのである。本来、あくまでエンタメの範囲に収め人生を豊かにする補助的役割として投じたはずの番組だったが、いつの間にかそれは必須栄養素となり、欠乏したが最後、体調不良を引き起こす原因として機能するのだ。なんていうことだ。したがって、健康を人質に取られた悲しき傀儡として、僕は晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、嵐の日も、「まいにちうきうき!」を視聴するのである。そんなことある?


「おっと、もうこんな時間か。」


わざとらしく公園にある時計を見て、わざとらしく言う。8時15分。今日も鏡子さんとはたわいもない話しかできなかった。


「僕は研究室に行かなきゃいけない時間だから、失礼するよ。」


嘘である。大学の研究室は10時からだ。8時45分、今日も今日とてまいにちうきうきして健康を維持するためである。


「あら、勤勉で素晴らしいですね~」


屈託のない笑顔で鏡子さんは言う。可愛すぎる。やはり鏡子さんは笑顔が似合う。


「では、そんな真面目な学くんに、ブランコの新技をお見せしましょう~」

「ああ、完成したのか。」

「ええ~では、ちょっと失礼しますね。」


僕はブランコから降り、慣れたようにスペースの外に出る。というのも、彼女は二刀流だからだ。より具体的に言うと、彼女はブランコを2台同時に漕ぐ技を身につけているからだ。


「ではいきま~す!」


大変申し訳ないが、僕の語彙力では、この後起こった出来事を詳細に記述することができない。ただ一つ確実にいえることは、彼女のブランコテクニックは、完全に常軌を逸していることである。超人なんていう枠組みには収まりきらない、圧倒的に豪快かつダイナミックに、とはいえどこか繊細さすら感じられるブランコ演舞はまさに芸術である。あれだ、いい例えを思いついた。あなたは今公園にいます。そこで、水が満タンに入ったバケツを両手に持ってください。それを思いっきり振り回して下さい。時計回りに、時には逆時計回りに。緩急をつけながら、滑らかに、艶やかに、時折クロスしながら。そう、時に重力に逆らいながら、時に重力に身を委ねながら。バケツをブランコに置き換えて下さい。それが、今僕の目の前で起きている現象です。人は、ブランコの可動域が180度超えた瞬間、鳥になるのです。この大空に、翼を広げ、飛んで行きたいのならば、ブランコをするのです。鏡子さんは鳥なのですから。2台のブランコがそれぞれ翼となり、鏡子さんを明るい未来へと誘うのです………


「どうでしたか~?」


素晴らしいブランコ演舞を終えた鏡子さんは、相も変わらず屈託のない笑顔で言った。


「すごいね!」


以上が、僕の感想である。ボキャブラリーが貧弱で恥ずかしい限りだが、人というのは、あまりにも超次元的なものを見たとき、それが防衛本能からくるものなのかどうかはわからないが、一時的にIQがとてつもなく下がる。そういうものだ。


「ふふ、昨日完成したんですよ~学君のために練習したんですからね!」


僕のために。なんて嬉しいんだ。好きだ。付き合って下さい。


「ありがとう!」


IQが大幅低下した僕にはそんなことはいえない。ごめん嘘ついた。通常時でもそんなことはいえない。


「素敵なブランコをどうも!ではまたあした!」

「ええ~また明日!」


鏡子さんと別れの言葉を告げ、公園から出る。


恋愛マスターの方に伺いたいが、圧倒的ブランコテクニックを見せてくれるのは脈アリのサインなのだろうか。僕のためにブランコを練習してくれたのは脈アリのサインなのだろうか。僕はわからない。全く。


そんなことを思いながら家路につくが、僕はこの後、さらに超次元的な現象にでくわすことになることはまだ知る由もなかった。何よりも変化を怖れる僕に対し、おそらく人生で最大級の変化が生じる運命が待ち受けているだなんて。


多分、ブランコよりも衝撃的なことだと思う。多分。

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