神様は大学生
トンケル
神様は大学生(1)
あなたは神を信じるだろうか。いや失礼、決して怪しい話をする訳ではない。
ここ日本では、結局のところ無神論者が殆どを占めている。食事前にブツブツと何かを唱えたり、毎週決まった時間に教会へ行ったりして、己が信じる神という存在に対し、日々信仰を深める者は小数である。
かといって、その無神論者たちが、そんな神様の存在をまるで全く認識していないような振る舞いをしているといったら嘘になる。お正月には参拝に行き、お賽銭を納めて、今年一年のお願いごとを神様にお伝えする。受験や大会といった一大イベントの前では、どうかうまくいきますように、と神様へ祈願をする。体の調子が悪かったり、身内に不幸が重なったりしたときは、厄除けをしてもらうこともあるだろう。
普段の生活では、神はもっと身近なニュアンスで用いられている。友達が何かナイスなことをすれば「まじ神!ありがとう!」と言い、今日も全国各地には神が爆誕している。体に合わないものを食べてお腹を壊した時には、便器に座りうずくまりながら、「神様、どうかお助けください」と祈り、神を究極の下痢止めとして臨時雇用することもある。大抵、その瞬発的な信仰心は排泄物とともに流れ去ってしまう。
僕が思うに、ここ日本、うち僕をはじめとする多くの無神論者は、神様をある種「都合の良い存在」として認識しているのだと思う。常に神様の存在を意識することはなく、お祈りや儀式はせず、御利益を得るための厳しい修行や倹約もしない。でも、自分の願望や望みを叶えるための存在としていきなり登場はする。やや意地悪な言い方かもしれないが、これを都合の良い存在と言わずしてなんと言おうか。断っておくと、僕は別に神を都合の良い存在として扱うことが悪いとは思っていない。かといって、良いこととも思っていない。言ってしまえば、この是非はあまり関心がなく、議論をするつもりもない。
僕がここまで神についてあれこれ述べたのは、皆さんと、意識の確認をしておきたかったからである。自分たちにとって、神様ってこういうニュアンスの存在だよな~っていうイメージを共有したかったのだ。事実、このイメージは多くの人に共感してもらえるものだと思うし、僕自身も抱いているものであった。そう、僕は神はそういうものだと捉えていた。先日までは。
僕は最近、とっても奇妙な出来事を経験した。それは日常が非日常になった瞬間であり、これまでの常識が覆されるような衝撃的な体験であった。もし、今この瞬間今際の際を迎えたら、その時流れる走馬灯のうち8割の尺はその出来事が占めるだろう。残り1割は家族との思い出、さらに残り1割のうち5分は友達との思い出、さらに5分は初恋の思い出である。
これから、その出来事とやらを説明したい。到底信じがたい話かも知れないが、今しばらくの自分語りを許していただきたい。
あなたは神を信じるだろうか。一つ揺るぎない事実をお伝えするのであれば、神はいる。確かにいる。なぜなら、この僕こそが神になってしまったのだから。僕が重度の厨二病でないことはこの段階で強調しておく。
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