episode 18 いたずら電話

「――はい。えー……と、もしもし?」

 発信ボタンは押しても出てくれない可能性を考えていたらあっさり呼び出しが終わった。快く大人びた声は成長した福原禎士で間違いなく、私の何かがどかんと波打った。

「あ、あの、どちら様ですか?」

「…………」

 私の口は雪の精の命令で封じられている。今の禎士くんは高校二年生か、ただ声を聞いただけで頭からつま先までじいんと熱くなり、自分は中学三年間を挟んでまだ好きなんだと痛感させられる。映画を観るまでしっかり忘れてたくせにね。

 ああ話したい、かえってさびしくなったから話したい。黙って端末を耳に当て続けるなんて拷問すぎる。

「もしもし? 誰? 誰だ、友達? 何かあったとかその……、あのさ、いたずらなら切るぞ」

 禎士くんの口調に変化が生まれた、ごめんなさいごめんなさい。話したいし彼に悪さしたくない私の願望は毎秒毎秒死んでいき――、

「思いきり悪口言ってっ。私の指示に従って」

 はい? 早口な小声、雪の精から突然の路線変更、「切られないよう早く。声変えて生半可じゃないひどいやつ、ほらっ」と無茶苦茶な要求をしてくる。ちょっと待ってよ無理だって嫌、嫌だ絶対嫌、たかが時間稼ぎで禎士くんをものすごく傷つけるじゃない。

「早くしてっ」

 命令が小声でも逃げられない。いくらやりたくなくても私は宇宙人のしもべだし、大好きなこの町が埋もれたり水を失ったりする悪夢から救うのも雪の精のかけらを発動させた私の使命なのだ。年上の男一人傷つけるくらい何だ、みんなのためにやるしかない。

「――う、ゔ、こらっ、何やってんだよ馬鹿」

 言っちゃった言っちゃった言っちゃった!

「もっとっ」

 そ、そんな……、声変えるのも大変なのに、

「え、えっとす、数学Bと数学Cのテスト手え抜くんじゃねえ馬鹿! いいかおまえ、天下の宇宙人を何だと思ってんだ。おまえの欠点教えてやろうか。ママに頼ってばかりの優柔不断なくせに、一度決まると変える度胸がない。おまえがろくな育ちしてねえから彼女が女たぶらかす趣味の男に行っちまうんだろう。いいか、太腿ばっか見てるおまえはそいつの足元にいて、ドブより汚い臭いさせてやがる。だからその……、汚水なんだよ!」

 ひどい、身体中からそれこそ悪臭がわき出そうな言葉の連続。私はこみ上げる涙をこらえて空いた左手を口に当て、自己嫌悪と恐怖で胸がどくどくずきずき鼓動とともに痛んで止まらない。言われた通りこんしんの罵声を浴びせたつもりだけど何これ、雪の精には私が傷ついたと頬をふくらませてみせる。ああ、自分をかわいがるなんて最低の人間、最悪の女の子。

「――ったく何だ、びっくりしたな。いちやん? よっしー? さすがに違うか。いたずら電話なんて人格疑われること、見知らぬ誰かか俺を恨んでる奴、どっちだ?」

 電波の向こうでいきどおる禎士くん、彼の顔色が見えない私の哀しみに雪の精の「切って!」が蒼く響く。一瞬反応が遅れた私は慌てて顔から離し、汗にぬれた終話ボタンを押した。

 夢のような悪夢にも似た時間が終わった。

 どこか遠くで秋の虫を思わせる初めて聞く鳥の声、コートの中が経験のないサウナを思うほどむっと暑い。どうせすぐ前以上に寒くなるだろう、私は冷たい空気を大きく吸って――、雪の精に物申したくなった。

「ねえ、あの、別にうちが禎士くんと雪町に関係ない雑談してれば良かったんじゃないの? 何これ、いじめ? うちの気持ち踏みにじってひどいよ」

「ふん、君だとわかったら、禎士は唯一君と会った雪町のことを思い出してしまうじゃない。だから電話を切られそうになったときに里奈だとはわからない変な声で悪口を言わせて時間稼ぎしたのよ」

 簡単に論破されてしまった。でも待てよ、

「これで星のかけらが余計に積もらなくなったら、禎士くんと話せるのか」

 ならばそんなに哀しまなくていいのかもしれない。私は今まで電話すらできなかった相手に間違いなく近づきたがっており、いかなる謝罪も覚悟できるくらい恋に落ちていた。

 ところが、私の希望は前提からして認められなかった。

「だめだめ、禎士が勝手に思い出すならいいけど、君と接してるときに雪町のことを考えたらまた悪影響が出るわよ。もっと雪町を広げて通信に成功し、星のかけらが全部消えてすべての雪町が元に戻るまでは電話も接触も禁止。まったく、たまにはその立派な頭を使ったらどう?」

「ええっ。そっか……、そうなんだ」

 半分落胆する私、半分だけ。だって通信が成功して真っ白な星のかけらが消えればこの雪町も元に戻るのだ。未来のことは怖くて訊けずにいたからその点でも助かった。

「ふん、君が『宇宙人』って言ったときは私もひやりとしたわよ」

 暗い顔をしがちな雪の精が口の端で笑う。

「まあでも声色を変えた悪口は成功したと思うから、空の人類の反応待ちね。それから禎士も前の雪町にかけらを運ぶ瞬間にまでいたわけではないから、あちらには影響しないわよ」

 一応の評価の言葉をもらい、私は未来への道ができたことにほっと胸をなで下ろした。禎士くんごめんね、あと何も知らないいちやんさんによっしーさん、ごめんなさい。私は雪の精が言う「立派な頭」を使いこなせない発達障碍で――この言い訳はどうだろう。きっと私が一生つきあうことになる重い命題なんだ。

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