episode 17 消さなかった二十九番

 きっと恐怖心を装備し忘れたんだ、ロボットには不要だから。

 その薄い菫色の着物を着たロボットが暗い声で「ふん、君に我々の、私を作った人類の居場所はわからないわ」と答えた。雷はどこに落ちたのだろう。私はお父さんの愛車にぶつけた腰を押さえてうずくまり、外の風はいまだばたばた暴走している。

「里奈、禎士のこと、この雷ではのんびりしてられないわ」

 禎士のこと? 私は顔を上げ、どうしてその名を知っているのか訊こうとしてやめる。映画の登場人物だから知ってて当然だった。

「実は、我々の人類は君たちと違って気体なのよ。色はあるけど薄くて、体臭は犬でも感じとれないくらい。どこにと問われたら今は成層圏界面という場所なんだけど、ほらわからない。成層圏界面より下はオゾンっていう物質が悪さしてて、必要な光が手に入らないの」

「気体で、上空の成層圏、オゾンは酸素原子が三つ、くらいは頭に浮かぶけど、気体……」

 口の中が麻酔みたいにふわふわする。せっかく教えてもらえた事実は軽々と私の理解を超えていく。この宇宙に気体の生命が存在し、なおかつ高度な知能を持つというのだ。

「ふん、わかってない君にもっと大切な話をするよ」

 雪の精にそう言って凝視され、思わず鼻と耳がつんとなる私。立ち上がって外を見ると、白い範囲がまた増えたように感じた。

「私は真っ白な星のかけらの積もりすぎについて成層圏界面の人類に助言を求めたの。そうしたら、一番手っ取り早いのは前の雪町で会った禎士って子だって。里奈にかけらを連れていかせる瞬間、もう雪町を去るから禎士と会うのも最後ってときだけど、そばで異変を気にしてたせいで里奈の素養に悪影響が出たようね。でも逆に禎士で埋め合わせができる」

「…………」

 本当に禎士くん、彼までが関わってくるとは。確かに彼はあの雪町で素通りしていなかったように思える。そして多数派は、映画で彼が雪町を怪しむシーンを観ても素通りできてしまうものらしい。

「禎士くん、でもどうやって――、番号!」

 思いきりはっとした、携帯電話。情けない私は失恋させられた彼の電話番号を掛けず消さずに今も残してあるのだ。

「番号って電話? ふん、すぐ捕まえられるなら急いで! 人類の計算通りだわ、電話が一番都合がいい」

 興奮のせいか顔色が明るくなった雪の精にせかされ、自分の部屋に携帯電話を取りに戻る。ぬれた髪で安全な家の暖かさに感動し、廊下で不安がるお母さんを笑ってかわす。さあ電話するにはこの買い替えたフィーチャーフォンが必要、自室に閉じこもりたい誘惑を押しつぶしてもう一度雷鳴る世界へ。冷たすぎる風と真っ白な星のかけらを再び浴びたとき、私はこの瞬間のために二十九番の登録を消さなかったんだと知った。

「さあ非通知で禎士を呼び出して! 非通知よ、声出しも厳禁ね」

 車庫の奥から命令してくる雪の精を振り返り、「非通知って183、じゃない184?」と訊ねる。

「そんなこと自分で考えなさいよ」

 残念な返事。でもE351系のさらに前にあの城下町を目指していた特急が183系だから、そう電話は184で――、ふいに私は問題点に気がついた。

「非通知は184って思い出したけど、禎士くんは電話は通じてもこの近くにいないと思うよ? 急いでるんでしょ?」

「ふん、大丈夫よ。電話越しが一番だから」

 髪が黒に戻った雪の精が答えて続ける。

「里奈は正体を隠して禎士に電話を掛ける。実際にそばにいるより電話のほうが禎士に気づかれにくくて素養を調節するのに適してるのよ。禎士が異変を気にしてたのがそもそもの原因なんだから、今回も状況を知られてはだめ。口は厳禁だけど携帯電話を耳にしっかりくっつけときなさいね」

 私は早口にほんろうされながら携帯電話の二十九番を非通知設定にし、心臓をばくばくさせて自分の決断を待った。暴風並みに揺れる私の内側では好きだった禎士くんの声が聞けるというごほうびが恐ろしくもあり、もし非通知の電話が拒否されたらと心配もしてずいぶん迷う。しかし緊張感で心と身体の震えが指に力を入れてしまい、

「えっ、うそっ」

 中規模の雷鳴がとどろいた瞬間、私は四年弱ぶりに福原禎士に電話を掛けていた。

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