episode 12 発達障碍と九月の雪
身体の小さい私はとすっ、とテーブルの前に座り込んだ。肘がこすれても痛くない、こらえる。そして結局禎士くんにふれる必要はあった。
「本当は雪の精はこんなに出てこないし、うちは全然キスしてないし、禎士くんと特別な関係になってないから。あと、禎士くん屋根から落ちてないし、だから怪我もしてない。普通にさよならして連絡とってないよ」
登録された電話番号の意味がわかった今も、私は彼に電話を掛けるつもりはなかった。また落ちた彼の様子が明らかになる前に再生をやめたから、おかしな映画の彼がどうなったかは不明。でも本来の彼が怪我をしなかったことは私が絶対に保証する。
「そう……、里奈はうそだと思いたくて映画を止めたのね。ああ私だって信じたいけど、あなたをどう信じたらいいのかしら」
お母さんが重く口を開き、最後は
「ねえ、お父さんはうちのこと無条件に信じてくれるよね?」
私は疲れた瞳をほろほろさせるお父さんにすがって気づいた、無条件に信じてもらえるという考えは自分特有かもしれない。高校一年生でもうすぐ十六歳になる私は、この通り親の愛を疑っていない。両親から無償の愛がもたらされる幸福を当然のこととして二人に求めている。こういう純粋さ、ある種の幼さは発達
思考を脱線させた私に、お父さんが「信じるだけじゃなくて、親は子供を、導かないといけない……」とつぶやくように言った。小さくしぼんだ父親の姿は叱られてしゅんとなる子供みたいで、叱られるのはいつも私のはずがお株を奪われた感じ。そうそう、私が叱られてばかりなのも障碍を無視できなくて、いや別に障碍を自慢したいわけではないよ。
来海里奈の発達障碍は中学二年で明らかになった。幼稚園で悪目立ちする私にお母さんも一度は疑ったそうだが、頭がいいためその考えを否定したという。実は知的障碍と発達障碍は別物であり、その証拠に私はIQ130ながら検査結果に大きな偏りがあった。
私は感覚が過敏すぎる。私はこだわりが強すぎる。私は人づきあいが下手すぎる。現在の私に一番厄介なのは感覚過敏で、乗り物の振動にペンを回すしぐさ、クリック音や口笛などが頻繁に地獄をもたらす。ただ人づきあいの問題は社会に出てから顕在化すると聞かされ、将来を考えるのが憂鬱になってしまった。
小学生の私は「わがまま」と「暴れる」が代名詞で、親が学校に呼び出されたのも一度や二度ではない。いつだったかの寄せ書きは「暴れるな」が三分の二を占め、予定が変わっただけで機嫌を損ねる。逆に自分の予定はぎりぎりまで引き延ばしがちで、もしかしたら早めに決めて後で予定変更という苦痛を受けるのを避けるためになかなか決められないのかもしれない。他にも私の頭には絶えず音楽が流れ続けており、ぬれた爪を触ると無茶苦茶気色悪く感じることがある。ただ、これらの特徴がどこまで障碍と関連するかははっきりしていなかった。
そうだあの旅行、本質を見抜く力なんてないくせに禎士くんをペンションに招き入れているではないか――、まったくもう。
私は深く息を吐き、そこからお母さんに勢いをぶつけた。
「うちうそ言ってないよ、うそ苦手だし。友達が屋根から落ちるなんて大変なことあってお母さんに話さないわけないよ!」
絶対打ち明けたと断言はできない。だけど実際には起きなかった落下事故、ありもしない起きたときのわずかな可能性を考えてどうするんだ。
え、あれ?
かしゃん、乾いた音がした。
はっとテレビに目を向ける私、うわっ映像がついた! 誰も何もしてないよ? DVDが勝手に回りだして上映を再開、内容だけでなく命令に対する反応まで
映画は落ちたコーヒーカップの破片を光で象徴的に描写した後、同じく落ちた禎士くんは無事に映った。主人公の「里奈」が駆け寄ってくる。現実でないと知りつつ胸をなで下ろす私、リモコンに右手を伸ばすと問題なくつかめ、浮遊感もなく両腕が自由なまま。しかしどこを押しても映画は制御できず、それに何だかやけに肌寒くないだろうか。
「雪――」
はあ? 鋭く蒼いお母さんの声で反射的に視線を窓へ、
庭をふわふわ〝白〟が舞っている。
「うそ、天気予報で……え、ちょっと」
雪。映画の雪景色のせいで今が九月だと気づくのに数秒かかった。映画の舞台は一年中寒くて雪が降り続く雪町、まさか――、
「雪が降るなんて異常気象にもほどがある。寒いじゃないか」
あまりの急降下にかえって正気を取り戻すお父さん。エアコンのスイッチを入れたお母さんは「冬服、冬服」といそいそ飛んでいく。私は無言で冷房設定を暖房に直し、お母さんが持ってきた緑色濃淡の長袖二枚に身を包んで元の場所に座り直した。
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