episode 13 今の幸せ
エアコンが緩慢に動き始め、先ほどのスウェットの上に赤いフリースを羽織ってもまだ寒い。九月らしからぬこの天気を論理的に説明するのは気象予報士でも難しいと思うけど、間違いなく雪町とそれを映像化したおかしな映画が原因だろう。スマートフォンを持つお父さんが調べたところ、我が町の歴史では十月にすら雪が降ったことはなかった。
何より悪魔のディスクが人智を超えて動いている以上、
「何だよくそっ、コードも抜けない。焼き切ってやる!」
「ブ、ブレーカー落とせばだめ?」
怒ったり浮き足立ったりの両親を暴力はやめようとなだめる私、ブレーカー落としにだってスイッチやプラグと同じ結果が予想される。いっそ覚悟して最後まで観れば、何かきっかけを手にできるかもしれない。
「うち、ちゃんと終わりまで観るよ」
私が自分のために伯母夫婦から借りてきた映画、私には責任がある。そして存在や〝自称〟からして怪しげで妖しげな雪の精は、この映画の変化に何より深く関わっているに違いない。私は今もむなしくどきどきさせてくれる禎士くんの姿ではなく、雪の精の一挙手一投足に意識を向けて続きを観なければならなかった。
しかしがんばる私を一番傷つけたのは、両親の私に対する態度だった。一人娘のキスシーンでお父さんが落ち込むのはしかたないとして、私の台詞「うちは全然キスしてないし、禎士くんと特別な関係になってないから」をお母さんすら信じてくれないなんて。おかげで映画全体のうその存在を認めてほしい気持ちは薄れ、キスしてない、特別な関係になってない、この二つばかりが譲れなくなる。しかも伯母さんを含む他の人に現状を知られたくなくて、誰かに映画の内容を確認しようとはどうしても思えなかった。
ところが、私は自分の訴えより恋愛自体が拒絶されているのではないかと気がついてしまう。お母さんは最初、キスシーンを気にとめなかったにもかかわらずである。娘がいけないキスや男女交際に手を染めておきながら否定、許せないわけだ。もし親が皆そういうものなのだとしたら、今や大学生になったいとこの愛加ちゃんは思春期をどう乗り越えたのだろう。あちらの伯父さん伯母さんのほうが両親より理解がいい気がするのは、私が姪だから?
私はときに視線を逃がしさえする両親に訊ねた。
「過去じゃなくて未来のこと訊くけど、うちが恋をしたら何が問題なの? お父さんもお母さんも、うちが男の子、男の人を好きになるのを認めたくないんだって、うち気づいちゃったからね」
「それ、それは違うわよ、だって」
抵抗するお母さんに私は「何が違うの?」と迫る、お父さんも困惑顔。しかしこんな私にも親の願いを理解しようとする回路はそなわっているらしく、
「今の幸せは……、本当に、大切なんだから」
お母さんがうなだれてこぼした言葉から、未来を考えることは後回しで今は今の幸せを少しでも感じていたいだけだとわかった。今は今の幸せ――私だって臨機応変が苦手で変化は苦痛に直結する。要因は全然違うけれど、今にすがりたがる両親を理解してもいいだろう。急がないで、自分。いつか訪れる次の幸せな未来は拒絶されていないのだ。
私はゆっくり二つうなずいて笑みを見せ、両親にこう言った。
「少しだけ……、わかったよ」
ところで、健常者の中にはもし自分が障碍者だったら周りに迷惑かけないよう潔く死ぬとうそぶく奴がいる。私は「だったら今すぐ死んでみなさい」と言いたい。健常者をやっていて死ねない人は障碍者になっても死ねない、人は皆同じように人生を〝感じて〟いるのだから。
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