episode 8 雪が積もらない雪町
翌朝寝坊した私は、急ぎのご飯でせっかくの味をかみしめられなかっただけでなく、一日の予定に意見する時間を奪われていた。まあ昨日すれば良かったのだけど、禎士くんを帰してからあの子は誰だと問いつめられてむかついた上、しょせんは小学生なので寝るのも早かったのだ。何時間寝たのだろう、いまだに眠くてあくびしか出ない。
ただ、伯母ちゃんとは昨日タクシーの車内で本当の約束をしてあった。駅で謎の「約束」つまり仮眠についてもめた後である。
「もうすぐお友達とペンションの奥さんと、何人か雪町人も一緒に町に出るからね。里奈ちゃんも早く顔洗って歯磨きなさいよ」
おや、「雪町人」って普通に使うんだ。そして「ペンションの奥さん」は例の女主人で、伯父ちゃんと親しい旦那さんは普段別の仕事を持っているという。
それより私は自分の予定が大事。
「駅には先に行ってよ? うちは帰りまで駅とかかわいいお店とか歩かなきゃいけないんだから」
「何言ってるの、駅なんか行かないわよ。今日は美術館とそばのショッピングセンター。春に閉店して大きく生まれ変わるんだって、来るのが早すぎたわねえ」
違う、そんな予定じゃない!
「何で? 昨日うち、313系1300番台見たいから駅行くって言ったじゃん!」
313系1300番台は東北地方にはなかなかない転換クロスシートを装備した車両で、背もたれをひっくり返して前後どちら向きにもできるのだ。
「もう、来年は中学生のお姉さんなんだから、そんなわがままばかり言わないの」
また「わがまま」が降ってきた。
私は「駅がだめなら一緒に出掛けない」と宣戦布告したかったけど、禎士くんと知り合ったおかげかここは我慢すべきという考えがさらに上から降ってきて、結局伯母ちゃんに従ってしまう。おかげで半分不機嫌でも美術館は楽しめたし、他の旅行者や雪町人とふれあうのも悪くなかった。ただ太陽も雪もない退屈な灰色にほっとして帰ってみたら、雪町は一日雪のままだったという。
そして運命の三日目、午前中に電話が掛かってきて禎士くんと再会した。
「禎士くん、ここいつも雪降ってるよね」
ペンションの玄関前、ひさしの下で私は禎士くんに訊ねる。今日は風がないので少しはひさしが役に立っていた。
禎士くんは頬をすうっと蒼くし、「ずっと降り続けてるのに、いつまでも積雪が変わらない。気づいてるか?」と逆に訊いてくる。そうだ、その言葉が一昨日の記憶を呼び起こす。
――まあ積もらないからいいんですけどね。もう慣れましたし。
何気ないペンション主人の台詞、まったく積もらないわけではなく、しかし頻繁に除雪してもいないのだろう。禎士くんが遠く雪の生まれる場所を見上げて再び口を開いた。
「俺、最初に冬休みなのに雪町に来たのかって言っただろ? 冬は雪町じゃなくても雪が降るから、ここに来なくていいんだ」
「えっ、じゃあ夏まで雪が続くの? だって、名前は『雪町』だけどでも……」
驚いて禎士くんの瞳にすがる。禎士くんは「それがまぎれもない事実なんだ」と断言し、息をのむ私にこう続けた。
「俺、夏に来たことあるからな。こんなおかしな町でみんな気にしてないけど」
みんな気にしてない――、てか夏に来たことあるんだ。私は夏に〝冬〟が降ってくる不思議なこの町の話を聞きながら、え、あ……、あれ? 禎士くんの話が私の小さな胸に響いてる、初めての雪みたいにきゅっと響いてくる。
何と、禎士くん独特の声を心地良く感じるのだ。元から苦痛じゃなかったとはいえ、こうも印象が変わるものなの?
これはああ――、ならば確認してやる。
「ねえ、積もらなくても降ってるから、もう中に」
わざと禎士くんの肩に手を置きかけてどきり、ぎぎぎぎ全身が止まった。冷えた指先がじいんと刺すように熱い。経験なんて関係ない。
来海里奈は福原禎士に恋してるんだ。
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