episode 4 よみがえる恋の二十九番

「おや、親が死んでも子供料金で旅行かい?」

 やっと観ることができた映画『まっしろな星のかけらは想いをとばす』が終わりに差しかかると、突如魔女のだみ声が響いた。前席の回転クロスシートが後ろを向き、和服の高齢女が失礼な言葉を掛けてきたのだ。これが「樟脳しょうのうのにおい」か、古風な和服が理科室のような蒼白さで鼻を刺激する。もうっ、においも嫌だし両親は生きてるし、小学生が小児運賃で何が悪い!

 しかし次の瞬間、まるで夢か海中か大きな揺れがぐわんぐわあっ、違う、地震じゃない。私は遠く輝く光に手を伸ばし――、

 映画の私が目を覚ました。寝汗をかいた小柄な私は窓際の席に縮こまっており、姿勢を直して深い息をつく。大丈夫、今のは本当に夢だから。ぐぐぐうと夢の外の列車が傾き、そうだこうして旅行中に抱えた不安や疲労がE351系の「制御付き自然振り子」の揺れに乗じて出てきたんだ。この近代的な〝振り子〟車両はカーブで「制御」という〝優しさ〟を込めて傾き、遠心力と闘っている。ほら、もう乗り換えなきゃ。

 やがて映画は地元に向かう特急に乗った「里奈」の横顔と車窓を映してエンドロール、画面が真っ白になるとともに「よほど疲れたのか、恋に夢見た里奈は元の生活に戻ってから悪夢ばかり見て困るのだった」という私をぞくりとさせる一文がはじけ、すべてを終えた。

「悪夢ばかり見るだなんて、こんな安い終わらせ方しなくていいのに、おしいんだよなあ」

 何度観ても飽きないらしい伯父さんの感想、そういう問題ではない。この映画は私が花に話した「悪い夢」という旅行後の展開にまで手を伸ばした。積雪を思わせる真っ白なパッケージ、ディスクを覆ういちめんの銀世界、最初私は飾りっ気のなさをいぶかったのだけど、ここまで異常なら逆に必然かもしれない。

 ああこれで今日何十回目だろう、高校生になった私はごくりつばを飲んでは不快な鼻をすすり、再び口の中が汚れる。恋と悪夢の多重攻撃で冷や汗をかき、身体からだが冷たくなっていっそ雪で凍りつきたいと思った。

 そう、雪舞う丘の話。

 振り子に揺られて見た和服女の夢を含め、私には旅行の記憶に想像以上の欠落があった。例えば伯母夫婦や友達の花から成長した変わったと言われてきたが、自分ではあまり旅行前後の差異を感じてなかった。遠く甲信地方まで一人で往復、雪町にお母さんはいない。十二歳が成長しないわけがないけれど、実感に乏しくそれさえ忘れているのではと思ったら結果は想像以上だった。

 でもまさか、心にあいた白い空間がただ一度映画を観ただけで丸々埋められてしまうとは。私は記憶を映画から手にした。映像を目にするとともに私の脳に各場面の描写や台詞、感情がよみがえり、そして何といっても恥ずかしすぎる恋、恋だよ恋! 携帯電話の二十九番、怖くて掛けられなかった名前と番号の謎や帰った後に失恋の病が続いたことまで思い出した。花の奴、わかってて恋のことを黙ってたんだ。隠してることに感づかない私が悪いって? あ、笑み浮かべてた。

 もうそれはともかく、厄介な新しい記憶には帰宅途中で見た悪夢のように誰も知りえないことが含まれており、この私の内側が奪われたという恐ろしい現実――。

「里奈ちゃん、来たときに映画なんて知らなかったし誰にも話してないことが出てるみたいって言ってたけど、最後の夢も実際に見て黙ってたの?」

 まだ熱いお茶をふくふく口に入れる猫舌の私に伯母さんが訊いてきた。夢はもちろん雪町での気持ちから何から甘ずっぱく恥ずかしい恋まで事実で、恋や夢なんか友達にも話してないと言ったら隣の伯父さんがお茶で舌を痛めた。

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