第13話 内緒のトリュフ

 食べたものを写真に撮ってひろちゃんに送ったら毎度容赦ない添削が送り返されてくる。


【揚げ物は一個まで、なんなら食うな。野菜炒めも炒めるなら蒸せ】


 油摂取にとりあえず厳しい。


【同じ肉食うなら赤身、鶏肉なら絶対胸肉。杏が食った唐揚げもも肉だろ、それやめろ】


 写真だけ見てもも肉って分かっちゃうなんてひろちゃんは実は料理人なんじゃないのだろうか。

 それでも自分の食べたものを書き出して写真に撮って人に指摘を受ける。それだけでいかに自分が日頃食べているモノが体にとって不殺生なものだったのかを思い知らされて不思議と素直に受け入れられるようになってきた。

 朝は基本おにぎりかごはんにして納豆や昆布、海藻類などを取るようにした。しらすや海苔で食べるごはんがすごくおいしい、白米に混ぜる押し麦も私には合っていた。ぷちぷちして匂いや触感が気になることもなくすっかり押し麦入りのごはんにハマっている。

 そして職場に持っていくお弁当もひろちゃんがお勧めしてくれたスープジャーに押し麦と好きなスープを入れて持参、これがめちゃくちゃいい。


 まず朝の準備が簡単。お湯をわかして入れるだけだ。市販のフリーズドライ商品やその日の気分によって自分で昆布だしや中華だしを入れたりして味変したり。スープジャーに入れたら3時間ほどで出来上がっているからランチにはちょうどいい。しっかり保温されているから食べる時に冷たい思いをしなくていいし、単純に身体が温まる。冬場なんかここにショウガとかをいれてもいいかも、なんて今から寒くなるのが待ち遠しいくらいだ。


 スープだからお腹に溜まってとっぷりして押し麦をしっかり噛むことで腹持ちはいいが、それで満腹!に、なるわけがない。それでも噛みしめるようにそれを食べてお昼を終えた。最初はこれだけじゃ無理無理無理!と、なっていたがだんだん慣れてはくるものだ。「お腹空いたぁぁ」と心の中で絶叫していたのがなくなりつつある(もちろんお腹は空いている、叫ばないだけ)


 そして私はずっと、パンを食べることをやめていた。


『偉いじゃん』

「偉いでしょ、すごいよね。私パン食べすぎる日はあっても食べない日はなかったんだよ、すごいことだよ」

『食べ過ぎる日ってなんだ』

 電話越しのひろちゃんが爆笑する。


『で?落ちたんだ』

「ビックリしてる、三キロ落ちたよ、ひろちゃぁん」

『おー、おめでとうー』

 とても軽く愛想みたいな褒め言葉だったけど、ひろちゃんの声色はどこか嬉しそうに感じた。


『頑張ってんな、マジで偉いと思うよ』

「前は一キロ変動繰り返すだけだったのにどうして?」

『そりゃやり方間違ってただけ。パンやめるってのはでかいな。続けよう』

 そうなんだな、なんちゃってダイエット気分をしてストレスだけ溜めていたんだな、バカみたいだ。そしてさらっと言うんだな、パンやめろって。悲しいが頷くしかない。


『でもな、こっからなんだ、本当にしんどくなるの』

「え?」

『停滞時期が絶対来るんだ、そこでどんだけ頑張るかなんだよ。生きてりゃ絶対食べるから仕方ないし減らなくてもあんまり気にすんなよ?見えない部分は絶対に変わってきてるからここからはあんまり増減に気持ち振り回されず同じように意識して食う、わかった?』

「……わかった」

 そう返事はしたが、内心はとんでもないほどのガッカリ感。

 しんどくなるという言葉を聞くだけで辛いし、これから日に日に痩せていくのだと期待していた分、もうすでに気持ちが振り回されている。


 それでも、ひろちゃんの言葉を信じるしかない。


『あ、この間のポッキー』

「え?」

『あれ食ったんなら一駅分くらい追加して歩け』

「……鬼だね、ひろちゃんって」

 しっかりこの間の巽さんとの激甘ポッキーを指摘されてしまった。


 三キロ痩せた事実は私にやる気を起こさせた。

 以前ひろちゃんが痩せだしたら面白くなるよ、なんて言ってくれていたが本当だ。食事改善をしてからまずお通じがよくなって、そのせいか今まで感じていたお腹の重さがなくなった気はする。すっきりしている、それがとても心地よくてその心地よさを維持したいと思えるようになった。それでも誘惑は常日頃襲ってくる。

 テレビを見ても、インスタを見ても、街を歩いてもスーパーへ行ったって。食べ物が身近に溢れすぎている、こんなに世の中は食べ物が転がっているのか、無制限の時は天国だった、今では地獄だ。


 我慢するというのは辛抱なのだ、耐えるのみ。

 その耐える気持ちを生み出している本当の理由がもう私の中で確立されてきていた。



「はい」

「これは……チョ、チョコトリュフですか……」

「この間のポッキーでココアたっぷりだったじゃん?あれからすごいトリュフ食べたくなってね。これ知ってる?インスタでも上がっていて人気商品だって」

 〇印のトリュフシリーズ……しかもナッツ入りだ。


「お、おいしそう……」

 ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。


「えぐいな、このカロリー」

 笑いながらつぶやく巽さんの声にトリュフから視線をあげた。


「え、お、おいくらですか……?」

 前までの私ならカロリー表記など気にしたことはない。迷わずオープン、迷わず口にホールインワンだった。


「100gあたり600kcal弱……こわっ」

「ひゃ、100g?これ一袋で何gですか?」

「これ一袋で100gだね」

「え!この小さな袋すべてで?な、何粒入りですか?!」

「んっと、12?くらい?」

 恐ろしいカロリーをお持ちのトリュフだ。一粒食べたら何カロリー?ダメだ、目の前のトリュフが目に入って思考がまったく働かないぞ。


「はい、どうぞ?」

「え、あ……で、では、いただきます」


 あれからこの不思議な時間が続いている。

 ポッキーの時のように貸し借りがあるわけでもない、義理もない。なのに巽さんと屋上への階段で二人横に座って甘いお菓子を食べる休憩時間。これがいつしか自然と育まれることになっていた。



(本当に不思議なんだけど。あの巽さんと並んでお菓子を食べる時間……夢以上に夢のようで現実感ゼロ)



 しかし口にするものは恐ろしいほど現実感あるカロリーばかりだ。


 私が好きなお菓子をお勧めすると巽さんもお勧めしてくれる。不思議とお互い食べたことのない商品ばかりで新しい発見が楽しくて。それはどうやら巽さん自身も感じてくれているような気がした。


「これのね、オレンジピール入りも美味しかったよ。ナッツ入りは新作かな。紺野さんと食べようって買ってきたの」

 私と食べようと?そんな殺し文句を笑顔で言うのは出来たらやめてほしい。



(勘違いしちゃだめ、絶対ダメ、これはただのお菓子同盟みたいなそんなものだよ!)



 巽さんは甘いものが好き、それを社内の誰にも公言していないようだった。

 その理由はまだよくわからないけれど、内緒にしてほしい、それをハッキリと伝えられた。誰にでも言いたくないことはある、知られたくない事だってきっと山ほど心の中に抱えているだろう。私だって人に言えないあれやこれやそれ、言いたくないことは溢れんばかりにあるのだからもちろんと頭を振って了承した。むしろ申しわけなくなったくらいだ。巽さんが秘密にしたい事をわざわざ私なんかが知ってしまったことが。だからせめて、内緒にしよう、墓まで持って行く所存だ。秘密を暴露してもらった分、有意義な時間を過ごしてもらえれば!そんな気持ちでいた。


「こ、こえふぁ~~」

「どう?美味しい?」

「か、かろりーの、いみがわかりまふ……」

 濃厚どころの騒ぎではない。むしろ溶けない、自分の熱で溶かしていかないといけないほど濃い気がする。


「これ一気に12粒は食べきれません、600kcalの消費はこの時間では無理ですね」

「一日だと?」

「できます」

「できるんかーい」

 ははっと笑われて赤面、素で言い過ぎた。今チョコレートは禁止されているのにこんな濃厚トリュフを食べきってカロリーオーバーしたらひろちゃんに怒鳴られてしまう。


「俺もいただきます」

 一粒が巽さんの口の中で溶かされていく。まとわりつくような甘さ、重厚な甘さ、広がって溢れるように溶けだすと、喉奥が痛くなるほどに甘い。その感覚が今巽さんの口の中でも広がっているのか。


「うわ~、濃い……」

「ナッツの香りがまた……際立ちます」

「ヘーゼルナッツって香りがいいよね」

 ナッツも油分が多い、きっとこのトリュフチョコは悪魔のおやつだ。


「あ、紺野さん」

「え?」

 トントン、と巽さんは自分のくちびる横を人差し指で指して私に目で促した。


「あ……」

 それがチョコレートがついているよ?のサインだと自然と分かってハンカチでソッと口元をぬぐった。



(恥ずかしい)



 子どもみたいだ。

 お菓子に夢中になって口元を汚しているいい大人、恥ずかしいしかない。


「取れた」

 ニコッと微笑まれて胸がきゅんとなった。


 ひろちゃんは勝手に私の口元についたソースをぬぐって取ってくれたが、これが普通なこと。いい大人の男女が持つ最低の距離感、それが巽さんと私の中には当然ある。


 でもどうしてだろう。


 その距離が前よりもずっと近いと感じてしまうのは。甘さのせいか、甘さが脳を錯覚させているのか。


 この重ささえ感じた濃厚な甘さに酔いだしている。

 巽さんに微笑まれて、話しかけられて、同じ時間を共有させてもらって自分の中で抑えきれない感情が芽生えだしている。


「好きだわー、この口の奥にまで残る濃い甘さが……」


 錯覚しちゃダメだ。私もです、そんな言葉流されて言っちゃダメ。


「とっても、美味しいです、溶けたのに、残ってる……」


 消えない――甘さが、余韻が、ドキドキが。


「贅沢だね、この甘さ」


 贅沢過ぎる――この時間は。


「はい……」

 この日食べたチョコレートは、どうしてもひろちゃんに報告は出来なかった。


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