第12話 チョコレートより甘い時間

 引き出しを開けるたび目にする茶封筒は私の胸を日毎ときめかせていた。


 巽さんから囁かれた言葉を鵜呑みにしたわけではない、変な勘違いをしてはダメだと何度も自分に言い聞かせて言い聞かせるほど冷静になれた。律儀で丁寧で優しい巽さんなのだ、無理やり開封して匂いの誘惑で巽さんの精神を狂わせた私のひどい誘いに巽さんはあがらえなかっただけ、なのに”お礼”という形で限定ショコラポッキーをくれて塩キャラメルポッキーを返してくれただけなのだ。


(本当にいい人……むしろ私が悪いことをしちゃったよ)


 気遣わせて申しわけなかった。


 これで私にもう義理はないんだ、だからまた新たに余計な接点を作るはずがないし、作りたくもないだろう。優しい巽さんだから、愛想で言ってくれただけなんだ。そう言い聞かせつつ心のどこかで思ってしまうのだ。


 そんな気遣いと優しさで溢れた人が、本当に愛想みたいな言葉を吐くのだろうか、と。


(いやいやいや、ないって。ないでしょ?あるわけないじゃん、また一緒に食べようなんて……そんな……)


 ないに決まっている。ないはずなんだよ、そう思うのにどうして私の足は屋上への階段を昇ろうとするんだろう。



(ないないない、ないって。ないに決まってる、ないんだから。あったらおかしい、あるわけがないの、だって巽さんが、あの巽さんが私なんかとポッキーを……)



 相変わらず息切れしつつ昇り切った階段のその先……この間私が座っていたそこに先客は――いなかった。


「ほら……はぁ、いるわけ、ない……はぁ、はぁ」

 わかっていたのにショックを受けるなんか変だ。バカみたいだ、ショックを受ける立場でもないし権利もない。巽さんにガッカリする必要なんかひとつもないのに、私の心は厚かましくも巽さんに対してほろ苦い気持ちを持ってしまっていた。


 約束なんかじゃない。

 あれは社交辞令だっただけ、何度も自分に言い聞かせたじゃないか。納得させた、はずだった。



「……頑張ったし、ご褒美してもいいかな」

 ひろちゃんはたまにの間食は許すと言ってくれた。食べるなら日中で出来ればランチの延長で食べろと言われている。


「15時の休憩だけど……いいよね。ポッキー一袋は……多いって怒られるかな」

 パッケージから取り出した塩キャラメルポッキー。ショコラの方は開けられなかった。このポッキーは一体いつ食べられることになるんだろう、季節限定どころか春になっても夏になっても残っていそうだ、そう思いながら見つめていたら名前を呼ばれた。


「紺野さん」

「え?」

 空耳かと思った。それよりも見つめ過ぎたくちどけ・チョコポッキーが呼んだ私の幻聴ではないかと思ったのだが。


「え、た、巽さん?」

「事務所出て行くのが見えたからさ。あ、休憩に行くのかなて。追い付けて良かった」

「え、おい……え?」

「一緒に食べよって、約束してたでしょ?紺野さんと食べるの楽しみにして俺もまだ一度もそれは食べてないんだよ。紺野さんはもう食べた?」

「……いえ、ま、まだ、です」

 もう一生この味を堪能できる日は来ないのではないかとついさっき思いかけていたところだ。


「そうなの?じゃあ今年の季節限定を一緒に堪能しようじゃないか」

 そう言ってスルッと横に座って私の手から箱を奪ってびりびりっとパッケージを開封しだした。


「はい」

 渡された小袋。それを流れるように受け取ってしまった。


「まぁ間違いなくうまいのは想像できるんだけどね。濃厚そう……」

「巽さん……」

「ん?」

 振り向かれたその顔が優しい、相変わらず優しいその笑顔に胸が勝手に締め付けられる。


「ほ、本当に、その……」

 約束だったの?社交辞令でも愛想でもなかったのか。


「え?」

「た、食べて、ないんですか?」

「これ?うん、紺野さんと食べるって決めてたし」

 嘘でしょ?


「この間の塩キャラメル、あのときの感動を紺野さんとするって決めてた。ようやく来ました、その日が。楽しみ、ほらはやく開けて。あ、じゃあ貸して?」

 そう言って私の手元からまた巽さんの手の中に戻ったチョコポッキー。


「開けるよ?開けちゃうよ?」

 とても楽しそうに声を弾ませて小袋の切り込み部分を開け出していく。それと同時にかすめ始めるショコラの香りが私の嗅覚を刺激してくるから――。


「ぁ……ココアが舞ってる」

 思わず呟いてしまった、もはや本能だ、恐ろしい。


「ふふ……紺野さんって表現が……」

「え?」

「いや、ここからは自分でどうぞ?」

 ほんの少しの切込みだけが入ったポッキーを返されたらもう手が勝手にその先を進もうと動き出してしまう。久々の糖分、我慢していたチョコレート。実はここ最近ずっとチョコレートを禁止されていた。


「糖分も中毒性が高い、チョコレートを食べたくなったらカカオ70%以上。もちろん食べないが一番いい、脱糖分生活意識しろ」

 ひろちゃんの容赦ない指導に、そんな甘さのないチョコレートなんかいらないよ、と泣く泣くチョコを食べるのを控えていた。だからこれは本当に贅沢な瞬間、チョコレートが久々に私の体内に摂取される、しかもなんということか、巽さんと一緒だと?


(糖度が倍増されてしまう……)


「いただきまーす」

 嬉しそうに巽さんがポッキーを口に運んでパキッと軽快に割れた。


「んぁー、ココアが……」

 巽さんの言葉に喉元が鳴った。その音が聞こえたのか巽さんのアーモンド形の綺麗な瞳が私を見つめてくる。


「食べてみて?」

「……は、い」

 袋から一本取り出してジッと見つめる。しっかりココアでコーティングされたポッキーは取り出すだけで指先にも付着した。ふわっと香る奥深いチョコレートの香りにそそられる。


「い、ただきます……」

 口の中に入れて舌の上で広がったココア。それだけで量が多い、と思う。


「ココアが……」

 巽さんと同じところで止まってしまった。


「たっぷりだよね」

「はい」

「でも二口目にさ……」

「チョコレートが……」

「口の中で広がってココアがその周りに逃げるみたいに包んでくるのすごいな。もうチョコが勝つ」

「でもそのあとに本体部分……」

「ふふ」

「え?」

 いきなり笑われた。


「いや、ごめん。本体部分って言うからちょっと笑っちゃった。俺も本体って言って友達に笑われたことある」

「本体じゃないんですか?このプレッツェル……これにチョコなどをコーティングしているのですからこれが本体で……」

「そうだよね、俺もそう思ってる。でも持ち手扱いでなんか可哀想じゃない?これありきなのがポッキーなのにね」

「そうです、ここがあるからポッキーなのです。私はこのプレッツェルも大好きなんです、これだけで売ってはないんですよね、残念です。これだけのポッキーとして売ってくれたらオリジナルポッキーも作れたりして食べるのももっと楽しめるし、巽さんだったらもっと美味しいスイーツを開発できるかもしれないですよね?」

 まさに夢のスイーツが誕生するかもしれないのにどうして販売してくれないんだろう、そんなことを考えていたらまた笑われた。


「俺もこの部分シンプルで好きだわ。プリッツとは違うんだよねぇ」

「このシンプルさがこのチョコを引き立てます。こんなにチョコとココアで濃厚なのに、この本体部分に近づくほど味のバランスが整わされて絶妙ですね」

「プレッツェルまでたどり着いて初めて完成される味だね」

「はい!」

 思わず身を乗り出して返事したら巽さんが吹き出した。


「……す、すみません」

 やばい、きっとドン引きされている。なにポッキーに熱く語ってはしゃいでいるんだと思っていることだろう。でも許してほしい、久々のチョコレート、我慢していたところのチョコレート、しかも巽さんがくれた巽さんと食べる季節限定のチョコレートなんだ。今だけ、この時だけという特別感まで付いてきている、はしゃがないわけがない。


「お、美味しいです、とっても。ありがとうございます、こんなお時間を、ご、ご一緒させていただいて……」

「俺だってだよ」



(え)



「ありがとう、一緒に食べてくれて。こんな風に甘い時間を会社で誰かと過ごせるなんか考えたことなかったから」

 甘い時間――そう言ってくれた巽さんの声こそ甘い。


 そんなセリフをそんな笑顔と一緒に吐き出すのは……罪だ。

 このチョコレートよりも中毒性のある虜になるような笑顔は――本当に罪だ。




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