第9話 春と夏のサンドイッチ
「えー!それズルだよ!」
息切れしかけた私の前に悠々と追い付いたひろちゃんは私の知っているのとはちょっと違うなにやらかっこいい自転車に乗っていた。
「惜しかったな~、もうちょっとだったのにな」
「自転車なんか聞いてないよ!そんなのズル!」
「いや、だいぶハンデやったぞ?」
自転車乗ってハンデもなにもない。
「せめて走ってよ!そんな乗り物乗るの卑怯!」
息切れしたところに叫んで余計に息が切れる私を面白そうに笑いながらひろちゃんが背負っていたバックパックからなにやら紙袋を取り出した。
「ほい」
「……なにこれ」
「あそこのベンチまで頑張って!杏、何飲みたい?」
「え……」
「やっぱスポーツドリンクだな!」
「なんで聞いたの!」
考えてる間にまた颯爽と自転車をこいで先を行ってしまうから叫んでしまった。ひろちゃんが指したあそこのベンチまで辿り着いた私はとりあえず先に腰かけて足を伸ばしつつ全身で息を吐きだしていた。
(つかれたぁぁ、もう一本道やだ。先が見えてるのに着かないの恐怖、恐ろしく長い道だった)
このイチョウ並木は地獄ロードって名づけよう……そんなこと考えていたらおでこにヒヤッとした冷たさを感じて目を開けた。
「おつかれ」
「……本当に疲れたよぉ」
「シューズど?痛いとか違和感あった?」
「……」
そういえば足に疲労感と筋肉痛みたいな痛みはあるが朝に歩いていた時に感じた違和感や痛みなんかは一度も感じていない。
「なかった」
「よかった~、じゃあ合ってたんかな。なにより」
嬉しそうに微笑みながらひろちゃんもベンチに座ってスポーツドリンクを飲みだした。ひろちゃんとスポーツドリンクはとてもよく似合う。自然をバックに着慣れたウェアを羽織ってスポーツドリンクを飲む横顔はとても様になっていて。つい見惚れてしまってそれに気づいて照れ隠しで飲み物に視線を落とした。
「ありがと……」
「水分大事、しっかり補給して?」
買ってきてくれたスポーツドリンクを私も何口か口に含んで喉を潤わせたら感じる気持ち。
(おいしい……)
スポーツドリンクなんか普段一切選ばないし飲んだ記憶の最後なんか昔熱を出したときくらいかもしれないな、なんて思いながらもこんなに美味しい飲み物だったっけと感動してしまう。何口か飲んで半分ほど飲み切ったらひろちゃんが「さっきのは?」と聞いてきた。
「さっきって?」
「渡しただろ?紙袋……それ」
私の横に置いておいた”それ”に手を伸ばしてくるひろちゃん。腕まくりされたことで見える筋肉質の長い腕が私の身体の前に伸びてきていきなり距離感が縮まった。自分の顔のすぐそばにひろちゃんの横顔が飛び込んできて思わず息を飲んだ。
(ち、近い……)
私は厚みがあるんだよ?ひろちゃん……距離の詰め方を考えないともう触れあっちゃうほど近くになっちゃうんだよ、気を付けて。細身の女の子にしてる距離感の二倍ほどは意識して離れてくれないと。胸かお腹かわかんない部分に普通に触れちゃうんだから、もう一度言うよ?気を付けて。
「はい、がんばった杏に昼メシ!」
「え!」
ふわっと目の前に香った香ばしいパンの香り。ひろちゃんが差しだしてきたパンはハードパンのサンドイッチだった。見ただけでボリュームが分かるほど具材がたっぷり挟まれている。
「美味しそう!なにこれ、どこのパン?!」
「店の裏にキッチンカーめっちゃ止まるランチ場所みたいなのあるんだよ。そこのサンドイッチ。うまいよ」
「わぁ!美味しそう美味しそう!これ中身何?!」
「こっちが鶏むね肉のハムサンドで~こっちはエビアボガド。どっちがいい?」
「えー!どうしよ、どっちも美味しそう!」
鶏むね肉のハムサンドにはトマトとレタスがふんだんに挟まれていて赤、緑と色鮮やかなところにおいしそうな黄色いソースがかけられていてそれが眩しい。一方のエビアボガドはエビのピンクとアボガドの淡い黄緑色がそれはそれは可愛くて。そこにまだミモザ風の卵が添えられているからその黄色い色味が春みたいなのだ。視覚だけで明るくてテンションを上げさせてくれるサンドイッチを前にして思わず呟く。
「秋なのに、まるで春と夏が手元にやってきたみたいなサンドイッチ……」
「は?何言ってんの?」
「色が可愛い。春みたいな可愛さと、夏みたいに眩しい……」
「可愛いって……食いもんだぞ」
「可愛いの。私のところまで来てくれてありがとう」
「……杏、腹減りすぎておかしくなってんな。はやく食え」
「……ひろちゃんどっちがいいの?」
選べない私は先にひろちゃんに選んでもらうことにしたのだが、ひろちゃんはケロッと言ってきた。
「杏の食べたい方取っていいよ?」
「どっちも食べたいの」
正直に言ったら吹き出された。
「……じゃあシェアだな。でもこれうまく切れっかな……」
ハードパンを手で千切るのは難儀だ、そこにこのボリューミーな具材……お皿もなければナイフもない、どうしようかな、そう考えていたらまたひろちゃんがケロッと言ってくる。
「じゃあ杏は先ハムの方食いな」
「え?」
「半分食ったら交換な?」
「……わかった」
年頃の……いや、いい大人になった男女二人が食べかけ交換するって普通なのだろうか。これが幼馴染か、これがきょうだいか、これが家族みたいな仲良しか。
(家族バンザイ……)
二つの味を堪能できる現実が目の前にやってきて疑問や不安よりも喜びが勝っていた。
「いただきまぁーす!」
これはなかなか大きな口を開けないと食べられないぞ、具材は絶対に溢せない、そしてどれも一度に全部を堪能したいんだから!
あー、の最大級に口を開けてサンドイッチを迎え入れた。
〈はむっ〉
(ん~~~!!このソース、美味っ!)
「んー!んん!んっんっ、んんー!」
「はは、うまいってこと?」
うまいどころの騒ぎではない。
お腹が空いてしかも汗をかいた後だから余計かもしれない。普段食べるパンじゃない、野菜のみずみずしさとジューシーさが、ハムの弾力と柔らかさが、そこに絡むソースの香りとうまみがどれも五感に染みるように広がっていく。
「おいひぃ!おいひすぎう、こえぇ!」
「体動かした後のメシはうまいよなぁー」
ひろちゃんもまた大口でエビアボガドを実食中。大きな口でガブッと食べる姿が男らしくて気持ちいい。この間の唐揚げを食べてる姿を見た時も感じたけれど、ひろちゃんは豪快に食べるのに食べ方が綺麗で見ていて本当に気持ちいいのだ。
(美味しそうに食べるな)
そんな気持ちで見ていたのにガッツいているように映ったらしい。
「先食う?」
「え、ううん!いいよ、先ひろちゃん食べちゃって?!」
「いいよ?杏のも食いたい、ちょーだい」
「あ、うん……じゃあどうぞ?」
「やったー」
無邪気に受け取って「胸ハムうまそー」と手で一枚剥ぎ取って口に含んだ。
「サンドイッチでもさ、こういうハードパンやベーグルはダイエット向きだよ?おにぎり一個食うならサンドイッチのがおすすめ。野菜とかも一緒に摂れるしな」
「え、そうなの?」
「この鶏むね肉もそっちのエビアボガドもタンパク質、野菜で食物繊維、しっかり噛んでより満腹感を得る」
「な、なるほど」
今日からもうひろちゃんのこと、先生って呼ぼうかな。
「まずは先に筋肉つけなきゃな、杏は」
「へ?」
「脂肪燃やすために筋肉つけよ」
「どういうこと?」
「筋肉つけりゃ、基礎代謝が上がる。基礎代謝が上がれば効率よくエネルギーが消費できるようになるし、運動してない時でも脂肪分解効果が出る」
「つまり?」
「一日の消費カロリー量が増えるってことだよ」
「すごい!」
やっぱり先生って呼ばないとダメだな、メモまで必要な気がしてきた。
「筋肉つけるには筋トレは必須だけど、単純に必要な摂取カロリーも必要。食わないのはなんにせよダメだよ、何のために何を体に取り入れるのかが大事。杏はパンが好きでしょ?制限するの辛いだろ?米だって食いたいのにいきなり抜きとか耐えられる?」
「辛い……」
実際朝食の食パン一枚諦めただけで悲しい、すごく我慢している気持ちになっている。二枚も食べてはいるのだが。
「やるなら続けられることやらなきゃ意味ない。体つくりなんか継続が基本、さぼればそれだけすぐ体に返ってくる。俺だって何回もリバウンドしてるし筋肉も落ちてる」
「その体でぇ?!」
思わず声を荒げてしまった。
「俺ももともと太りやすい体質だよ。動いて筋トレしてるから維持してるだけ。何もしてなかったら普通に緩むよ、そんなの当たり前じゃん」
「そう、なんだ」
生まれ持った筋肉マンなのかと思っていた。ちゃんとひろちゃんは筋肉を育てている努力家だったんだね、知らなかった。
「今はロード乗るのにハマってるからね。筋トレ頑張ってるのもある」
「ろーど?」
「これ」
後ろ指さされたこれは、ベンチ裏に立てかけられているさっき乗っていた自転車だった。
「自転車?」
「ロードバイクね」
「かっこいいね」
「でしょ?」
嬉しそうに答えて相変わらずのキラキラした瞳でそのロードバイクを見つめながらうっとりしているから思わず吹き出してしまった。
「お気に入りなの?」
「うん、これ欲しくて欲しくて思い切って買ったから。めっちゃ大事ー」
思い切るというのは、値段のことなんだろうか。それを聞くのはなんとなく躊躇われたけれどひろちゃんは隠すことなくサラッと話してくれた。
「高かった、独身だからできる趣味の買い物。おかげで金欠だよ、でもまだ欲しいもんあるとかやべーよなぁ」
「……欲しいもの、あるの?」
「うん……でもそれもまぁいい値段するわ」
「自転車関係?」
「そだね」
「ふぅん……」
趣味にお金かけられるってなんだか自分の世界が充実しているって感じで羨ましいなと思ってしまう。私に大した趣味はない、しいて言うなら食べることだ。私のお給料なんかほぼほぼエンゲル係数で消えている気がする。
「杏、口にソースついてるよ?」
「え?」
ひろちゃんがジッと見つめてきたと思ったら長い骨ばった指先がくちびる下に伸びてきて……。
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