第8話 お姫様の靴はウォーキングシューズ
さすが専門店、そして好きで働いているひろちゃんは山ほどシューズを並べて困惑する私を無視して靴を足に合わせ始めた。
「杏は甲高で幅広だな~」
「デブだもん」
「は?こういう足なだけだろ」
そうなのかな、痩せたらもっとスラッとした足かもしれないじゃん、は言い返したかったけど細かった時期がない手前信憑性もないので言うのはやめた。
「足の形的には日本メーカーのが合ってるかなぁ。これちょっと履いてみ?」
両足揃えて渡されたシューズはウォーキング用で黒の見た目スタイリッシュなデザイン。
「タウンユースだし通勤にも使いやすいよ?黒だし服にも合わせやすいんじゃない?〇シックス、俺も持ってるよ。履きやすくておすすめ~やっぱ日本人の足に合ってる」
「たうんゆーすってなに?」
「……機能性だけじゃなくてファッション性もあるから普段使いもできるってこと。杏、ちょっと自分で脳変換させろ」
通勤にも使えるならいいな、そう思ったけど少しだけ引っかかって。
「……ちょっと重い、かな」
今日履いていた靴よりはるかに軽いけれど気持ち重さを感じる、もう自分の思い込みかもしれないが。
「ウォーキングシューズはランシューとかに比べたら少し重めに作られてるよ。試しにランシュー履いてみる?」
「だから走れないよ?私」
「履くのはタダじゃん、色々試せよ、せっかくだし」
ひろちゃん、本気で楽しんでるな……と、もう顔を見るだけでわかる。また山ほどシューズを持ってきてウキウキして靴を並べだすから、私の周りにシューズが溢れ出してきた。
(これで今日は買いません、とか言ったらひろちゃんしょんぼりするだろうな)
「あ、軽い、すごい、今の靴ってこんなに軽いのぉ?!」
「ランシューは軽量が売り、クッション性も高いし柔らかいよな」
「かるーい!すごぉーい!」
「……ウォーキングしつつランニングもしていくんならランシューでもありかもだけど……杏は腰痛持ちだからなぁ。やっぱ安定感のあるウォーキングシューズがおすすめかな。〇B履いてみよっか」
そう言って差しだされたウォーキングシューズはスリッポンタイプの白いシューズ。ポイントみたいに真ん中にピンクベージュのラインが入ってお洒落で可愛い。
「紐がついてるみたいだけどスリッポンだから履きやすくていいかもな。クッション性もあるし幅広でもホールドされて安定感あると思う、どう?」
「軽い!」
「〇B軽いしいいよなぁ、俺も好き~」
「ひろちゃんも持ってるの?」
「これじゃないけど、〇Bはランシューで持ってるよ」
「……ふぅん」
両足履いてとんとんと足踏みしたりしてみる。ちょっと立ってその場で足踏み。躊躇いながら少しだけ歩いてみる。
「……軽い」
さっきまで履いていた自分のスニーカーは何だったんだろうと思う。
「可愛いね」
「え?」
「黒より白のが杏に似合ってる。女の子らしいしより可愛い」
可愛いのは靴だから。そんなことはわかってるのに、ひろちゃんがニコニコした顔でそんなセリフを直球で言ってくるからそれをこちらもまともに受け止めかけてしまった。
「に、似合ってる?」
デブな私に?
「似合ってるよ?」
愛想でもなく、なんなら当然みたいに言われてやっぱり戸惑いかけて……いやいや違うから、と自分に言い聞かせながらも心の中で思ってしまう。
変われるかな、私でも。
「杏?」
「……自分の足で、歩きたいの」
行きたいところまで、行けるところまで……。
「普通に暮らしたいし、当たり前のことを当たり前にして生きていきたい……」
体のことを言い訳にしたくない。足が動かない理由を痛みや体型のせいにしたくない、そんな風に思ったのは初めて。
「ひろちゃん、言ったよね。人生変わるぞって」
「……うん」
変わるなら、違う方向に変えたい。
「もう遅いかな……間に合わないかな」
再検査にじゃない、もっと未来の自分にだ。
「遅いことなんかあるかよ」
ひろちゃんが言う。
「杏のやる気があれば、いつでも始められるし、いつだって届く」
――いつだって届く
ひろちゃんの真っ直ぐな言葉が胸に刺さった。
突き刺さってそれがしっかり胸の中で引っかかって……でも痛くなんかない。胸の中で広がるみたいにその言葉に包み込まれた。
「……これ、ください」
「お、それにする?とりあえずウォーキング頑張って、体力付いてきてそれこそ筋肉ついてきたらまた体も気持ちも変わってくるよ。ランニングだってやる気になってるかもよ?」
「またそんな話……ひろちゃん、食生活意識して食べ方調整したら五キロくらいすぐ痩せるって言ってくれたのに全然痩せないよ?嘘つき、夢見させるようなこと言わないでよ」
「それは杏の食い方が絶対間違ってんだよ」
謝罪させようとしたのにこちらに非があるとハッキリ言われてしまった。
「そんなぁ。いっぱい我慢したよ?」
「へぇ、一回聞かせて見ろよ、その食事改善方法。間違えてないって自信あるなら」
「……言わない」
「それ答えだな」
くそぅ。
「もうこれ履いて帰る?タグ切ってやろうか?」
広げられたシューズや箱を片しながら問いかけてくれるひろちゃんに近づいて、そばによって屈んでいるその横に立って見下ろしてみる。
「ひろちゃん」
「ん?」と見上げられるとなんだか不思議な気持ちだ。背の高いひろちゃんが、私なんかに見下ろされている、ちょっとした優越感。でも心の中にある気持ちはもっと謙虚な気持ちだ。
「もうひとつお願いがある」
「うん、なに?……あ、ちょっと待って」
そう言って仕事の連絡が入ったのか耳にはめてるインカムに反応したひろちゃんが手で制してくる。そうだった、ここは職場だ、ひろちゃんに甘えてつい長居してしまっている。
「ごめん、話遮った」
「ううん、お仕事中にこっちがごめん。お会計して?」
「――うん、じゃあ清算いこ?」
「あ、ここ片付けなきゃだよね、私も手伝う」
「いい、そんなん俺があとでやるから。先レジ行こ」
ひろちゃんに背中を押されてもうそれ以上何も言えない、散らかしてしまったがひろちゃんに甘えることにした。
お会計を無事に済ませてタグを切ってくれたひろちゃんに新品のシューズを渡された。
「ン、履いてみ?」
レジ横の椅子に座らされて、まるでお姫様になったみたいに足を持ち上げられる。ひろちゃんは照れもせず、私の前に立膝をついて流れるように靴を脱がせ始める。
「ひろちゃん……自分で、できる」
「え?」
「えっと……うん、まぁいいや」
恥ずかしいのが私だけみたいで逆に恥ずかしさが増した。
「ちゃんと見たいし、杏の足に合ってるか」
バカみたいに意識した自分がますます恥ずかしい、なにがお姫様だ。真面目に仕事しているだけのひろちゃんになんだか申し訳なくなる。
「イイ感じじゃん~、可愛い~」
(本当に好きなんだな、仕事)
キラキラした瞳で、純粋にシューズを眺めて喜んでいるひろちゃんがいる。自分のモノを買ったわけでもないのにそこまで喜べるのも不思議だ。
「これで毎日頑張って歩けよ?」
「はい」
「今日は休み?だよな?」
「うん」
「じゃあこのあと予定ある?」
「え?」
目の前で屈んだまま私を見つめるひろちゃん。
「有休消化しなきゃでさ、今日は昼で上がるの。だからこのあとメシ食いに行かん?」
「え?」
「杏のお願い、その時聞くよ」
店前まで見送られて店の道筋のずっと奥を指さしながらひろちゃんが言う。
「この道ずーっと歩いて行ったらイチョウ並木にぶつかって、その先にでっかい広場があんの。犬散歩させたりウォーキングしたりランしたりするようなデカい公園。そこで待ってて」
「……わかった」
「杏が着くより俺が先に着いたりして~」
ムッ、さすがに舐められてると思ってひろちゃんを睨みつけた。
「上がるまでまだ時間あるんでしょ?さすがに私のが先に着いてるし!」
「お、言ったな~」
「こっちのセリフだよ!あんまりバカにしないで」
「じゃあ競争だな。負けた方が昼めし奢りな?」
「いいよ。歩いた後だしいっぱい食べるからひろちゃん覚悟してよね」
「……そこでセーブすんだよ、調整ってそういうこと。絶対痩せねぇぞ、その調子じゃ」
そんな言い合いをしながら店先で別れて久々に交わしたひろちゃんとの約束。子どものころならした遊ぶ約束、それは歳を重ねるほどしなくなった。
でも私は今日、ひろちゃんに選んでもらった初めてのシューズでその一歩を踏み出せたんだ。
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