第7話 目指すはパン屋さん?

『それでどうなの?効果は出てるの?』

「……そんな簡単に痩せられたらみんなモデル体型だよ」

 お母さんからの電話にため息交じりで応えていたお休みの朝。


『継続は力なりよ?続けないと意味がないんだから!』

 そんなことはわかっているが、今日はお休みなんだから仕方ないじゃないかと言い訳しようとしたらお母さんに怒鳴られた。


『会社が休みでも歩きなさい!近所ぐるっと歩くだけでもいいでしょ!ちょっとだけ遠いパン屋さん目指すとか……もっと出来る目標を作りなさい!』

 休みにわざわざ歩くのなんか……とは思うもののパン屋さんを目指すのはいいかもしれないなんてちょっとだけ誘惑されて起きたのが朝の八時半、お腹は空いている。



(よし、朝のウォーキングをしてパン屋さんを目指して少し遅めのブランチタイムにしてみよう!一日二食休日、どうよ、これ!)



 一日を二食にしたら効果は出るかもしれない。たとえいっぱい食べてもプラマイゼロになるかもしれないし……そんな邪心を抱きつつ私は持っている服から比較的軽装で動きやすい服を選んで玄関に降り立ちあまり履くことのないスニーカーを手に取った。


(スニーカー……全然履いてないかも)


 普段はバレエシューズとかスリッポンタイプのお洒落靴が多い。履きやすいが重視。スニーカーはとりあえず持ってるみたいな感覚だ。社会人になってからスニーカーを履く機会がグッと減ってしまった。なんなら履いていない。


(入ったけど……なんか痛いなぁ)


 きついのか、足に合っていないのか。違和感は感じつつもあるのはこれしかないから仕方なくそれを履いて家を出た。歩き出して違和感はすぐに痛みに変わり始めた。


(痛い……やっぱり小さいかも)


 足の指あたりが痛み始めた。そしてとても疲れてきた。履いているスニーカーが少し重いせいだ。早々に今日の一日二食計画はなくなりそうな気がしてきていた。帰りたいな、帰ろうかな、そんな気持ちが芽生えだす。

 腰が痛いうえに足まで痛めたら本当に普通の生活ができなくなるかもしれない。それを想像したらさすがにゾッとした。そしてその時芽生えた感情にハッとするのだ。


 歩けなくなったら……もう屋上まで行けなくなる。


 どこまで本当かわからない秘密の約束、耳元で囁かれた甘い声がまだ鼓膜の裏で響き続けているのだ。

 手渡されたポッキーはどちらも手を付けられずにいる。大事に、ずっと大事に事務所の引き出しに仕舞ったまま。バカみたいだ、でも、バカみたいにその引き出しを開けると胸を高鳴らせている自分がいた。またいつか、巽さんと甘い至福の時間を共有できるかもしれない、そんな期待を持ってしまっていた。


 だからこそ、自分の中で芽生え始めた気持ちを誤魔化せなくなっていたのだ。




 *




「あれ?杏?」

 驚いた顔のひろちゃんは今日も相変わらず筋肉質。脂肪と引き換えにその筋肉少し分けてくれないかな、絶対いらないだろうけど。そんなことを思いつつひろちゃんのそばに歩み寄った。


 訪れた先はパン屋、ではなくスポーツショップ店。ひろちゃんの勤務先だ。


「ひろちゃん、お願いがあるんだけど……」

「どした?」

 スニーカーの入っているであろう箱を棚に仕舞いながらひろちゃんが聞いてくれる。


「ん?」

 言い淀む私に少し首を傾げつつ体をこちらに向けて聞き入る姿勢になってくれるから悪いなと思う反面ホッとしてしまう。ひろちゃんはいつも私に丁寧に優しく向き合って接してくれる、昔からずっとそうだ。


「あのね……」

「沢田ー」

 言いかけた時陳列棚脇から顔を出してきた他のスタッフがいて口を噤まれた。


「あ、ごめん、対応中?」

「や、大丈夫っすよ。幼馴染なんで」

「知り合い?え、幼馴染?」

 そう言って私に視線が移る、ジィッと見られてあまりいい気はしない。よくある好奇的な視線、面白そうに見られる視線、慣れているけれどその視線に見つめ返せられるほど図太くはない。体は太っているけれど。

 デブがスポーツ用品店に何の用だ、運動でもするのか、その体型で――そういう類のことをきっと思っているに違いない。いや、そんな体型だからダイエット?まずは形から入る系?なんて思っているのかもしれない。

 人の視線を感じるといつもそうやって悲観的で自虐的なイメージばかり頭の中を巡らせてしまうのだ。だから勝手に視線が落ちる、頭が下がる、顔を……上げていられない。


 いつから……私は人に対して真っ直ぐ見られることを避けるようになったっけ。

 いつまで……私は人の視線から目を逸らして生きていくんだろう。


 巽さんに見つめられてもきっと、まっすぐ見つめ返すことなんかできない。

 それよりも、巽さんに見つめてもらえることなんか、もうきっと起きないはずなのに……。


「昔からの仲良しなんです、俺ら。家族……きょうだいみたいな?」

 くったくのない笑顔でひろちゃんがそう言う。作ることも見栄を張るでもない、すごく自然に心からのセリフ、そんな感じでそれを耳にしたら勝手に顔が上がった。


「そうなんだ、じゃあこっちはあとでいいからゆっくり対応してあげて?なんでも沢田に相談して良い商品見つけて下さいね!」

 相手のスタッフの方もとても感じよくそう言って私にニコッと笑いかけて奥へ引っ込んでいった。さっき感じた不快感なんか一瞬で消えてしまいそうな空気、ひろちゃんの言葉もスタッフの人の言葉も優しかった、その場の愛想みたいな感じはなかった。私が一人勝手に感じた気持ちだけが一番根暗で陰湿だった。それにまた頭が下がって……。


「杏?ごめん、話折っちゃった。なんだった?なんか買いに来てくれたの?」

「……うん」

「……ここ、座っていいよ?」

 スニーカー陳列の場所だから、借り座りの椅子がところどころに置かれていて、ひろちゃんはその椅子を私の傍まで持ってきた。言われるがままその椅子にゆっくり腰を下ろすとひろちゃんは目の前で膝をついて屈んだまま。視線が勝手に絡み合う。


「腰、平気?」

 腰痛を気にかけて心配そうに見つめてくれるから胸がじんわり温かくなる。その声に首を縦に振ったらホッとしたように微笑んだ。本当に家族だ、もう。


「靴……ほしいの」

「靴?どんな靴?今履いてるやつは……合ってないのか。どういうの欲しいの?」

 靴を履いたままの私の足をそっと掴んでぎゅっぎゅっと掴みながらそれを確認した。


「痛く……ならないやつ」

「うん、それはもう大前提だな」

 笑われた。


「種類の話」

「種類?」

「ランシュー?」

「らんしゅーってなに?」

「ランニングシューズ」

 いきなり走れというのか。


「ひろちゃん、私走れないよ」

「筋トレ用じゃないの?」

「そうだけど!」

「ウォーキングってこと?」

「まずはね。今日だって歩いてきたんだよ、褒めてよ」

「えらいえらい」

 全然心がこもっていない。雑な褒め方で全然褒められた感がない。


「重い靴だなー、サイズも合ってないし……腰だけじゃなく足首まで痛めるつもりかよ」

「嫌なこと言わないで。だから相談に来たのに」

「そっか、じゃあ杏の足に合うシューズ一緒に決めよ」

 そう言ってひろちゃんは立ち上がるとニコニコニコニコして……。


「楽しそうだね……」

「めっちゃ楽しい」

 そんなに私が運動しようとするのが面白いのか、またそう捻くれた気持ちを抱きだしたらひろちゃんが言う。


「杏にピッタリのシューズ見つけてやる~」

 昔からこうだ、ひろちゃんは。

 私のことを自分のことみたいに喜んで、悲しんで……楽しんでくれる人。


 私にはとてもできないような羽のように軽い足取りで、至極楽しそうに棚の方に駆けだして行ってしまった。






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