第5話 塩キャラメル味の記憶
初めて出会ったのは入社して配属が決まってからだ。グループは違うけれど社内でも有名な人と聞いていて何がそんなに有名なんだろう、くらい軽い気持ちで聞き流していた。配属が決まって初日、その有名な人がどの人かは一瞬で分かってしまった。
背が高くて手足が単純に長い。しっかりした肩幅にすっと伸びた背筋が姿勢をよりよく見せて背がさらに高く見える。そこに整った小さな顔、きりっとした眉にアーモンド形の瞳、スッとした鼻筋と形のいいくちびる、赤すぎず、ピンク色とも違う、温かみのある柔らかい赤色のそのくちびるがフッと笑うとそれだけで誰でも恋に落ちそうなそんな顔。
そんなスタイルと整った顔を持つその人は気さくで優しくて、誰にでもさりげなく声をかけられてたくさんの人に声をかけてもらうような人気者だ。
でもそんなところを妬まれることもなく、誰にだって支持されるような素敵な人、それが巽幸弥さん。
巽さんはみんなの憧れの人、社内でかかわりのある人は誰かしら彼を好きになる、そんな噂話は女性社員の中ではもちきりだった。
女子特有の噂話や世間話の中で繰り広げられる巽さんの話は毎日どこかしらで耳にしていたような気がする。だから関わらなくても勝手に巽幸弥とういう人を知れてしまう、知りたくなくても勝手に情報が落ちてくる、たとえそれが真実かどうか定かではなくても。
誕生日は七月で、血液型はO型、高校時代はサッカー部、三人兄弟の真ん中で、ご実家は他県だとか。今住んでいる地域は〇〇あたり、行きつけのお店は□□でよく飲んでいる、趣味はバイクでアウトドア好き、お休みの日はツーリング仲間と出かけることが多い、そんなもう嘘か本当かはわからないようなプライベートなことも山ほど語り継がれている。
そんな噂話がたくさん飛び交っていても嫌な顔せず聞かれたら笑顔で答えて対応されている、誰がそんなこと話してるんだよ、個人的なことなんか放っておいてくれ、みたいな不快な態度なんか見せたことがない。
いつでも笑顔、いつでも優しい、声をかければ足を必ず止めてくれて、些細なことでも親身に話を聞いてくれる、まさに見た限り話した限り、噂でさえも嫌な話は一度だって聞いたことがない。
そんな巽さんが、ポッキーのことを聞いてきた。
「どこのコンビニ探してもなくて、最近意地になって探してる、でもないんだよ!」
その気持ちはわからないでもない、私も探していたのだから。しかし、違和感しかない。あの巽さんがポッキー探しに躍起になっている?ポッキー欲しさに意地になっている?そんな少年みたいな部分を持ち合わせていたのか、大人っぽい落ち着いた男性がまさかの季節限定ポッキー……私に、よりポッキーにしか目に入っていない感じ、なんだ、この違和感は。
「えー、どこで買ったの?どこに売ってたの?」
「……駅裏のドラッグストアです」
「え!ドラッグ?!うそー、盲点だった!」
「お、おとつい買ったので、まだあるかもです」
その時は残り二箱だった、誰も買っていなければ当たり前に残っているだろうが季節限定、そしてこのクオリティ……私は今日帰りにもう一箱買いに行こうなんて思っていたくらいだから残されているか難しいところだ。
「まじかぁ……めっちゃ近くに売ってたぁ」
「……巽さん、甘いものとかお好きなんですか?」
素朴な疑問をつい投げかけてしまって後悔した。問いかけられた巽さんは初めてハッとして、瞬間明らかに困ったようなどちらかというと迷惑そうな顔をしたからだ。
「あ、ごめんなさい!べ、別に深い意味はなく……すみません!聞かなくてもいいような質問でした、すみません!」
「いや、謝らないで!俺こそ顔に出してごめん、違うんだ」
「ごめん」そう言った巽さんは今度はすごく恥ずかしそうで――。
「ごめん、いや……うん、甘いもの大好きなんだ、俺」
頭をかきながら恥ずかしそうにそう呟いた巽さんは今まで見たことのないような顔だった。そんな無防備で素のような表情を見せられて戸惑ったのは私の方だ。
「あの……もしよかったらどうぞ」
そう声をかけたのは無意識だった。その言葉に巽さんは慌てて言葉を放ってくる。
「いいいい!そんな貴重なもの、それは紺野さんのものだし!」
「でも、ドラッグに売ってるかわからないし、私も探したので知ってます、なかなか売ってないの。それにこれ、結構一袋の量も多いから私もまだ半分ほど残っています。だからこれ、巽さんさえよかったら……」
未開封のもうひとつの小袋を差しだしたら巽さんの目が泳ぎだして確実に困った感じに見えた。困らせたいわけじゃなかった、迷惑なことをしてしまってるのかもしれない。気の付く巽さんだから年下の女からの好意を断るのも悪いと思っているのかもしれない。私みたいな女に恩を売られるのも嫌なのかも……どういえば巽さんがすんなり受け取れるだろう、私は乏しい脳みそをフル回転で考えさせた。
「すっごい、すごい美味しいですよ、これ。キャラメルの香りがすごく立ってチョコも甘すぎないんですけど、付着された結晶みたいな塩がもう甘さを引き立てて絶妙なんです。この塩がポイントですね、しょっぱさが絶妙、舌の上で溶けてキャラメルと絡むんです、甘さが際立ちます。その甘さなんかもう体に染みるような甘さ……これ一口食べたら止まりません、止まらなかったです。勢いあまって気づいたら半分食べてしまって……「紺野さん」
「……はい」
しまった、怒涛のように喋り過ぎた。あまりの塩キャラメルのうまさを伝えようと思ったら勝手に口から零れ落ちてしまっていた。
「すみません」
「そうじゃなくて。食べたくなるからやめて」
「では、どうぞ」
「いや、でも……」
頑なに拒もうとし続ける巽さん、それでも気持ちはきっと惹かれている、だって視線がポッキーから離されないから。その気持ち、私だからわかるんですよ?巽さん。甘さの誘惑は凶暴だから。
「開けますね」
「えー!押しつよっ!」
「ふぁぁ~、これ、この開封した瞬間に広がっちゃう香り、なんなんでしょう、ほら、巽さん嗅いで嗅いで!」
「ちょ、ダメでしょ!我慢してるところに嗅覚刺激するの、わー!めっちゃいい匂い!キャラメルだめだろ!うわー、めっちゃいい匂い!」
「これはもう人の心をくすぐる最強の香りですよ、はぁ~いい匂い~あぁ~ほんっとにいい匂い~、さぁ、巽さんもどうぞ、どうぞ!」
開封した袋を巽さんに押し付けるように差しだしたら巽さんは後ずさりしていたけれど結局誘惑に負けた。勝てるわけないんだ、キャラメルの香りに。だからなにも不思議なことではないし、巽さんがそんなに落ち込むこともないんだ。
私なら……速攻で手を出している。
そんな私たちは今、二人階段で横並びにして座って開封済み季節限定ポッキーを持っている。
「わぁ……この匂いダメだな、罪すぎる」
「味も罪深いです……」
「なんかごめんね、紺野さんの分横取りしちゃったみたいで」
「そんなそんなです、限定商品は出会えた時こそ吉です。いつまでも売ってるものではないですし、人気商品なら再販されてもファンがいるのです、争奪戦です。気にせず食べてください、むしろ食べるべきです。この美味しさを共有させてもらえて私はとても嬉しいですし」
まさか巽さんと並んでスイーツを食べられる日が来るなんて思ったこともないから私としてはこの塩キャラメル味は一生忘れられない思い出の味になるだろう。
(これが季節限定で定番化されたら、私はこのポッキーを食べるたびに巽さんのことを思い出すんだろうな)
人の想いと食べ物の記憶ってヤバいな、体の細胞に残されそうだ。
そんなことを考えていたら巽さんにジッと見つめられていた。
「……ありがとう」
「い、いいえ。そんなたかがポッキーですよ?」
限定だとか貴重だとかえらく盛り上げて言ってしまったが、コンビニやスーパーで売っている普通のお菓子だ、なにもそこまで大層に持ち上げることでもない。
「そうじゃなくて」
「え?」
「笑わないでいてくれて」
笑う?とは。
その私の気持ちを読んだのか、やはり少し気まずそうに巽さんは俯いて、大きな骨ばった手が口元を覆い隠すと恥ずかしそうに呟いた。
「甘いのに目がないんだ。昔から甘いものが好き、糖分を摂取しないと落ち着かないくらい。最近では自分で作るまでなった。引くよね?」
「……自分でお作りになるんですか?スイーツを?」
「うん、こないだなんか紅芋モンブランパフェとか作っちゃったよ」
「紅芋モンブランパフェ?!それはなんて魅惑的で甘い響きのスイーツなんでしょうか!」
「秋はスイーツに使える野菜や果物が多くていいよね」
「どの季節にもときめく食べ物はありますけど、秋は胸躍ります」
「秋から冬はなんかチョコやキャラメルが生かされるよねぇ……」
二人でうっとりそんな話をしてしまってハッとする。
「はっ!時間!」
休憩時間がもう数分過ぎていた。
「あ、ほんとだ。ごめん、ゆっくりしてたのに邪魔して引き留めたよね」
「いいえ!そんなことは決してなく!私こそお邪魔をしてしまいました」
「俺は別に休憩じゃなかったから……光ダクト用集光器の確認にきただけなんだ」
「お仕事だったのならなおさら私がお邪魔しました!すみません!」
そそくさと身辺を片付けて足早に階段を駆け下りようとしたら、巽さんの声が頭の上から降ってきた。
「紺野さん!」
思わず立ち止まって、そろっと上を見上げたら、巽さんがすごい煌びやかな笑顔を向けて私を見下ろしていた。
そして、言うのだ。
「これ、ありがと」
これ、と顔の横にちらつかせた塩キャラメルポッキー。そのポッキーよりもずっと甘くてとろけそうな笑顔で私にお礼を言ってくれたのだった。
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