第4話 季節限定の誘惑
「ごちそうさま」
玄関先でひろちゃんを見送っていたら振り向きざまに言われた。
「さっきの話だけどさ」
「え?」
「おばちゃんのお願い」
「あぁ……なんかお母さんひろちゃんに甘えて変なこと言い出してごめんね」
「それはいいんだけどさ……」
少し言いにくそうに、でも迷った風だけどそれは言葉に悩んでるって感じでひろちゃんが何かを伝える気なのは雰囲気でわかった。
「肥満はさ、生活習慣病だから。キツイこというけど、リスクやデメリットしかないよ。見えないところでどんどん体に負担はかかって……心筋梗塞とかほんとにおばちゃんたちが泣くようなことに繋がってく」
リアルに怖い病名を出されて初めて真面目に耳に届いた気がする。
「杏が食べるの大好きなのガキの頃から知ってるし、ダメなことって思わない。どう食べるか、どう調整するかで全然変わると思うよ?」
「調整?」
聞き返したらひろちゃんはくすっと笑いながらおもしろそうに言った。
「例えば、白米食いながら焼きそばパン食って唐揚げ食べてんなって話だよ」
数時間前のことを言われてぐうっと息を飲んだ。
「このあと残ってるフレンチトースト、スイーツの代わりとか言って絶対食うなよ」
「……はい」
言いそうな発言に言い返すことなんか出来ない、素直に頷いたら笑われた。
「腰痛だって立ってても座ってもそれこそ寝ててもしんどくなるぞ?そのうちヘルニアになったらどうすんの?運動どうこうじゃなく普通の生活さえしんどい、苦痛だってなったら……杏、人生変わるぞ?普通に暮らせないって想像できないから辛いんだよ、当たり前って当たり前じゃないからな」
人生が変わる、そう言われてひろちゃんが本当に心配してくれているんだなって感じた。私なんかのことを、私みたいな体のことを真剣に考えてくれてる、それを思ったらなんだか胸が切なくなった。
自分の意思の弱さや好きという気持ちだけで目先の幸せに食いついていく自分が情けない。初めて、そう思った。
「ストレスにならない程度にちょっと食べ方考えてさ。主食、副菜とかでバランス取って、満腹感の得かただって量以外にも解決方法はあるんだよ。野菜食ったりスープ飲んだりさ、いきなり糖質取ると血糖値あがって脳みそがもっとってなるんだよ。糖質は最後、これ基本だぞ」
「ひろちゃん、もうなんか私からしたらプロの管理士さんみたいだよ」
「はぁ?こんなん一般常識だよ。ネット引っ張って読んでみろ、その辺の情報通りまずは食い方変えたら杏の生活だったら5キロくらい簡単に落ちんじゃね?」
「5キロ?!」
夢のような話だ、思わず叫んだらひろちゃんが笑った。
「痩せだしたら面白くなるよ」
そんな夢の話をサラッと言ったひろちゃんはまた口角をあげて楽しそうに家に入っていった。
夏が終わってもう秋なのにまだまだ残暑が厳しかった。でももうすっかり季節は秋になっていたんだと、夜の風を感じながら少しだけぶるっと震えた肩を抱いて私も家へと戻ったのだ。
*
再検査の予約だけ取ってそれからはご飯を食べる時はなんだかいちいち憂鬱になることとなった。これを食べたらまた太るのかな、とか、これもカロリーどれくらいなんだろう、とか。
今までは美味しい美味しい、と頬張れていたものがなんとなく気まずくて口に含んでも一緒に飲み込む罪悪感。楽しみな食事の時間が憂鬱になるのが辛かった。そんなこと言わずに、食べてるときくらい楽しんで食べようよ!人間絶対食べないといけないんだから!って、自分に言い聞かせてもその気持ちを萎えさせてくるのだ。
腰の痛みが――。
(痛いっ……なんか今日はずっと座ってることが多かったからかな。でも基本デスクワークなんだからしょうがないんだけど……これからどんどん痛くなったらどうしよう)
腰痛が未来まで不安にさせてきた。
15時の休憩時間だけなんとなく無駄に歩こうと決めてわざわざ屋上まで向かって足を運ぶようにした。しかも使うのは階段、私からしたらものすごい運動を自発的にしている。ひろちゃんに運動始めたよ!っと連絡したいくらいだけれどランニングしたりするひろちゃんに鼻で笑われるのが目に見えているから言うのはやめた。
しかし、階段……この昇降運動なにげに辛い。
腰だけじゃない、太もも脹脛、足首……下半身への負担がすごいじゃないか、舐めていた。屋上までは六階、たかが六階されど六階。普段エレベーター生活している人間にはなかなかの高さなんだ。辛い。
「はぁ、はぁ……私に運動なんか絶対無理だよぉ」
階段で音を上げる私に運動なんか夢のまた夢だ、するならウォーキングだ、できるならもうウォーキングしかない。それも会社と家の往復のウォーキング、それで決まりだ。私は自分のできる運動を通勤時間に充てることで満足した。
「頑張ったし、血糖値下がった……はぁ、ご褒美タイムだ……」
階段を昇って六階まで到着したらそこで休憩、その時に疲れた自分を癒す時間を設けることにした。人間楽しみや目標がないと頑張れない、それを今身に染みて感じている。その頑張りの代償がこれだと本末転倒だよ、と人に笑われるのを承知でミニバックから取り出した。
「じゃぁん!季節限定のくちどけポッキー!」
コンビニで見つけて買っておいた有名メーカーグ〇コの冬のきらめきポッキー、黄金バター仕立て塩キャラメル味だ。
「めっちゃ美味しそうじゃない?これやっと見つけて買ってすぐ食べたかったけどここで食べようって我慢してたんだよぉ……これが私のできる調整だよ、ひろちゃん」
”調整”の意味が合ってるかは分からないが我慢したことに意味があるのだ、そこを称えたい。
封を切った瞬間に香るバターの匂いが疲れて甘いものを欲している体を刺激していく。甘い匂いに包まれた黄金色のポッキー。黒いチョコレートに包まれたポッキーも大好きだけど、この季節限定の特別感。バターキャラメルチョコレートの表面に塩がトッピングされてその塩がキラキラ光ってまるで結晶じゃないか。
「あ~、いい匂い、キャラメルのこの甘さ、なに?ずっと嗅いでいられるぅ~」
疲労感いっぱいの私を包むような優しくも濃厚な香りが胸を高鳴らせていく。目に映るキラキラした塩が雪の結晶みたいで可愛さも感じる。
「このポッキーは……もうキュート、目に入れても痛くない、そういう感じ……」
それでも口に入れてバリバリと食べるんだけどね。
「いただきます……」
ぱくっと口に入れて感じた幸福感。キャラメルの香りが、チョコレートの甘さが、それを引き立てるような塩の結晶が甘さをさらに生かしてくる。奥深い味わいと、あと引く味わい……これはもう――止まらない。
「おいしー!」
数本一気に平らげてハッとする。無意識に食べ進めてしまっていた。ここからはちゃんと残りの子たちと向き合って堪能してあげたい。そう思って一本取り出した時だ。
「紺野さん?」
「え?」
顔をあげたらまさかの巽さんがいて、私、固まってしまう。屋上への非常階段に座ってポッキーを食べているメタボリック症候群な女。
そんな体型してこっそりすることかよ、きっとそう思われているだろう。こっそり食べなくても食べてることなんかわかり切ってるのに隠れて食べるなんか余計やらしいんだよ、そう思っているに違いない。
笑われる?
いや、失笑?笑いたいけど笑えないか、とにかく巽さんからしたら見たくないものだっただろう。デブな女が隠れてお菓子を摘まんでいる姿なんか。
「あ、あ、あの……」
必死でなにか言い訳でも言おうかと思ったが言い訳する理由も言葉さえない。隠れてお菓子を食べているのは事実だし、名目が頑張った自分へのご褒美だ、何も言い訳することがない。食べたくて食べました、むしろ食べるために来ています、今私はこれを食べるために頑張って階段を昇ったんですから!
心の中でそう叫んでげんなりして言葉を呑み込んだら口を開いたのは巽さんの方だった。
「それ……俺も探してるんだけど、どこに売ってた?」
それ、とまさか突っ込まれたのはポッキーのことだった。
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