第2話 笑われる大福もち

 デスクに着いたとき一目散に目についた茶封筒。思わずそれを鞄にしまって時計を見る。始業開始時間までまだ10分ある。私は急いで封筒を入れた鞄を持ってトイレに駆け込んだ。

 駆けこんだ、といっても目と鼻の先の女子トイレ。メイクを直している人も数人いる中たいして走ってもいないのにぜぇはぁ息を切らして個室トイレに隠れ込む。鞄から封筒を取り出して、中身をおそるおそる引っ張りだした。


 ごくり。


 書類を手にして緊張のあまり喉元が鳴った。美味しいものを食べる前にしか喉元を鳴らさない私がめずらしく息を飲む、それはこのときくらいしかないかもしれない。ドキドキする中その書類を見て愕然した。



【肥満による再検査】



(がーん!再検査!)



 肥満と診断されるのは別に初めてのことじゃない。なんなら毎年そう診断されていた。しかし、今年からメタボの関係かで厳しくなったと聞いていた。再検査通知を受けた者は再度病院で検査を行いその結果を報告しなければいけないらしい。


(さ、最悪だ……内容が内容だけに……こんな見た目をして羞恥心を持つとか何言ってんだって言われそうだけど言いたくないよ、肥満とか)


 あぁ……と、茫然自失になりトイレの壁にもたれかけたらちょうど始業のベルが鳴って我に返った。




 ***



「あなたの一番好きなことはなんですか?」


 幼稚園のときにお誕生日のインタビューで聞かれて迷うことなく声を大にして言いました。


「食べることです!」

 お友達はみんな拍手してくれたけど、歳の離れたお兄ちゃんお姉ちゃんがいるちょっとマセ始めた男の子たちは明らかにバカにしたように私を指さして笑っていた。そんな笑われるだけだった情況は年齢と共に悪質な言葉を添えられて笑われるようになる。


「あんころもちー」


 外遊びが苦手な私は基本室内遊びばかりしてあまり日に焼けることがない、そのせいもあり色白で大層に言えば真っ白な肌。大人になってくるとその色白はラッキーだなと感じてきたけど、子どもの頃はその肌の白さを馬鹿にされた。白さがというか、その白さにまとわれた私の肉厚的な体を馬鹿にされていた。むちっとして、もちっとした言わばもち肌。柔らかくてふにゃふにゃしたようなお餅のような肌、そんな肌に白さがついて名前の杏がもじられて私は男の子たちに「あんころもち」とあだ名をつけられる。幼稚園児の頃から大柄だったが、小学校に入学したらさらに食欲が増してすごいスピードで横に広がりだした。あんこもお餅も大好きだったからそこまで馬鹿にされていると思わなくて聞き流していたのだが、可愛い細身の女の子たちにも影でくすくす笑われるようになってだんだん居た堪れなくなってきた。


(あぁ、自分は笑われている)


 それをはっきり認識しだしたら途端に恥ずかしくなって徐々に顔をあげて歩けなくなった。下を向いたら頬が落ちて二重顎、それをまた目ざとい男の子が見つめて「モチが伸びてるー!」と笑われる。笑われることが増えて、学校へ通うのが億劫になりだしたがそんな私をいつも励ましてくれる幼馴染がいてその子のおかげでなんとか卒業まで通うことができた。


 中学ではそんな幼稚じみた陰口や馬鹿にされることはなくなったが、肥満体型は現状維持をし続けたまま。クラスの中でも物理的存在はあるものの完全なるモブの位置。馬鹿にもされなかったが誰かに相手にされることもないような目立たない存在。

 仲良くしている友達はいたし小学校みたいなストレスはなかったが、学生らしい華やかな毎日はない。クラスや行事でみんなできゃっきゃするような時間、誰かに恋したり恋されたり……そんなものは自分とは別世界のものだと思っていた。

 わかっていてもどこか虚しいときもあって、寂しいなと感じる日もあって……そうしたらそれがストレスになってきて。そのストレスの矛先がまた食べることに向いて食べているときに日頃感じられない至福を感じてしまって結局また体重を増加させてしまった。


 ぽってり体型はいつしかでっぷり体型になっていた。それが私。

 今はもう診断名までつけられてしまって、メタボリック体型か。


 今日はさすがに少し落ち込んで、昼休憩でベーグルを買いに行くのは諦めた。持参していたお弁当も喉に通りにくくてがつがつ食べられなかった(食べたけど)

 食事時間を堪能できていないからなんだか無駄にお腹が空いている(食べてるのに)


(あ、そうだ、帰りに食パン買わないと……明日の朝ごはん……)


 バター食パンはまだ二切れ残っている。明日の朝は三枚から二枚にしたらよくない?再検査も行かないといけないのに朝から食パン三枚食べるなんかこの機会にやめるべきだ。

 頭ではわかっているのだ。わかっている、それでも中毒化されてる体と脳が素直に聞いてくれない。だから結局この結果を招いている。


 そして――。


(ああーん……痛い、満員電車に揺られたあとは余計堪えるなぁ……)


 私はここ最近、ひどい腰痛にも悩まされていた。

 この腰痛もいわば肥満からきているものだ、それも今回の先生からの診断回答欄に指摘記載されていた。


【体重により腰に大きな力がかかるだけでなく、体にたまった過剰な脂肪が生理学的プロセスを引き起こし、炎症や痛みを引き起こしている可能性があります。腰痛を予防・改善するために、運動を習慣として行うことが効果的です】



 体重減量に運動習慣……メタボリック症候群の私に投げられるには現実的過ぎて余計辛くなる。


「できたらやってるよ……」

 痛む腰をさすりながら改札を抜けて夜風がふわっと当たったとき、携帯が震えた。母からのラインだ。



【牛乳切れちゃったから家へ寄る前についでに買ってきてくれない?】



「はいはい……晩ご飯も甘えるわけだし牛乳くらい安いもんですよ」

 帰り道ならもうコンビニしかないな、そんなことを考えていたらコンビニで新作スイーツ何か出てるかもなんてウキウキしてしまって体重減量ワードがすっかり飛んでしまうダメな私がいた。


 結局コンビニで牛乳と食パン、やきそばロールとチョコデニッシュと白いちぎりパン、フレンチトーストを買ってしまった。余計なものが多い気がするけど、スイーツは我慢したからいいかと自分を納得させた。お腹が空いたときのコンビニは危険すぎる。お弁当を買わなかっただけまだマシだ、やっぱりパン数個で耐えた自分をもっと褒めてもいいかもしれない。なんなら肉まんだって欲しかったくらいなのに。



「はぁ、お腹空いたな……帰ったら焼きそばパン一番に食べよう」

 そんなことを呟いての帰り道、家から誰かが出てくる姿が目に入って思わず立ち止まる。その相手も私に気が付いて目が合った。


「あれ、杏?」

 記憶はどこまでいっても記憶だ。

 ”今”は上書きされないんだな、なんて思いながらも名前を呼ぶその人を見て私も名前を呼んだ。


「……ひろちゃん?」

 スラッと伸びた手足、膝丈くらいのハーフパンツに有名なスポーツブランドマークがついているからジャージ素材か。レギンスを履いていてもわかる鍛えられた様な脹脛ふくらはぎ、白のフレンチスリーブの上に黒のパーカーを羽織っているけれど、二の腕部分が露わになる様な着こなし方が変にかっこよくて。そこから見えている二の腕だって太くて目を見張るほどだ。


「めずらしいな、実家帰ってくんの」

「うん……お母さんにさつまいも持って帰れって言われてて……」

「あ、俺もそれ今もらったー。ほれ」

 と、二本の指先で持ち上げているビニール袋。ただのさつまいもが入っているだけだろうけど、袋の膨らみから一、二本には見えない。重量はそこそこありそうなのに指二本で軽々持てるんだなぁっと少し感心しながら見つめていたらひろちゃんがフッと笑った。


「杏ってさー、全然変わんないな」

 変わってないかな?

 私、もうメタボリック症候群だよ?と心の中で突っ込む。


「か、変わってるよ……。もう大人だし」

「コンビニの袋、パンでいっぱいにしてんの……変わんねぇー」

 そう言っておかしそうに笑うけど、この笑いは昔馬鹿にされた男の子たちが笑う笑い方じゃない。


 ひろちゃんは、私を馬鹿にしたりすることは一度もない。

 一度だってなかった。


 だってこの沢田大翔さわだひろとくんこと――”ひろちゃん”が、学校に行けなくなりそうだった私をずっと励ましてくれていた幼馴染の男の子だから。




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