学生時代の元カノと、2年前に別れた元嫁に挟まれて

春風秋雄

何でこんな席順になるのだ!

居心地が悪い。どうも居心地が悪すぎる。一体俺は、どうしてこんなところに座っているのだ?

右側には大学時代に付き合っていた元カノとその旦那さん。左側には2年前に離婚したばかりの元嫁。何がどうしたら、こんな席順になるのだ。

今日は大学時代のテニス部のOB会だ。テニス部創設50周年を記念して開かれたOB会は、総勢120名ほどのOBが集まり、一流ホテルの大宴会場で開催された。開催の案内が来た時に、出席するかどうか迷ったが、同期の柴山から「キャプテンの関口が出席しなくてどうするんだ」と言われ、渋々参加することにした。

会場には10人程度が座れる円卓が12卓並べられ、なるべく先輩後輩として顔を知っている人が同じテーブルになるよう、5年から7年くらいの卒業年度に区切って席順が設けられていた。確かに俺が座っているテーブルのほとんどは顔を知っている人ばかりだった。一番年長は俺たちの2年先輩、一番年下は俺が4年生のときに1年生だった後輩だ。

右側に座っている旧姓佐藤美幸は、俺が3年の時に新入生として入部してきた。3年の終わりに告白され付き合うことになった。しかし、俺が4年になり資格取得の勉強と就活で忙しく、なかなか会えない時間が増えた。すると美幸は同じテニス部の俺の1年後輩の坂本と付き合うようになった。そして卒業後二人は結婚して、今は坂本美幸になっている。美幸は俺より二つ年下だから37歳だが、相変わらず幼い顔で可愛い。

左側に座っている菜々美とは、社会人になってから偶然再会した。俺は学生時代に司法書士の資格をとっていたので、卒業後は総合法律事務所で働いていた。その顧問先のパーティーに出席していると、菜々美も主催者の取引先として出席していて声をかけてくれた。菜々美は同期生だったが、それほど話したことはなく、特に親しくしていたわけではなかったが、綺麗な娘だなとは思っていた。久しぶりに会った懐かしさから、パーティーが終った後、二人で飲みに行った。そこで、菜々美から大学時代は俺のことが好きだったと告白された。酔った勢いもあり、俺たちはその日のうちに男女の関係になり、菜々美は俺の部屋に住みつくようになった。菜々美と付き合って2年くらいした頃に、俺もそろそろ身を固める時期かなと思い、27歳の時に結婚した。一人息子の直人が生まれ、人並な幸せを感じていた。しかし、広告代理店でWEBデザインのクリエイターをしていた菜々美は結婚してからも仕事は辞めず、子供が出来てからは、家にいる時は子供にかかりきりで、俺との会話がほとんどなくなった。直人が小学生になり、手がかからなくなると、ほとんど家庭内別居のような状態が続き、2年前に話し合って離婚することにしたのだ。直人は菜々美が連れて出て行った。菜々美は離婚してからも苗字は替えず、関口菜々美のままだったので、幹事は夫婦だと思って隣の席にしたのだろう。そういえば菜々美宛ての案内状もうちに来ていて、転送したのだった。直人とは月に1回は会っているが、菜々美と会うのは久しぶりだった。


堅苦しい幹事の挨拶が終り、宴が始まると、俺は菜々美に話しかけた。

「元気そうだね」

「慎吾も元気そうね」

「お陰様で。直人に変わりはないかい?」

「相変わらずよ。それより、ちょっと相談したいことがあるから、OB会が終ったら時間とってくれない?」

「直人の事か?」

「まあ、それもある」

それもあるとは、何か含みのある言い方だなと思った。

「それはそうと、美幸ちゃん、相変わらず可愛いね」

菜々美は俺が学生時代に美幸と付き合っていたことは知っている。

「そうだね」

俺がそっけなく答えると、菜々美はそれ以上何も言ってこなかった。


時間が経つと、違うテーブルの顔見知りのところへ行って話し込む人や、同じテーブルでも席が離れていた人のところへ行って話し込む人などで、席は乱れてきた。気が付くと、菜々美もどこかへ行き、美幸の旦那さんの坂本もいなかった。

「ねえ、慎吾さん」

美幸が近寄って小声で言った。

「相談したいことがあるんだけど、一度会ってくれないかな」

「相談したいこと?どういう内容?」

「それは会ってから話す。これ、私の携帯の番号。あとでワン切りしてちょうだい。私の方から連絡するから」

美幸はそう言って小さなメモを渡してきた。俺はそれをポケットに入れた。

しばらくして、トイレに立ったとき、先ほどのメモを取り出しワン切りしておいた。


「それで、相談って何だ?」

OB会がお開きとなり、菜々美と会場近くの喫茶店に入り、座るなり俺は聞いた。

「あの家を私に売ってほしいの」

「あの家を?」

離婚した際、5年前に買った家は頭金の600万円を俺が出していたこともあり、俺がそのまま住むことにして、菜々美はマンションを借りて出て行くことでお互い納得していた。

「直人が、やっぱりあの家がいいって言うのよ。今のマンションも悪くはないのだけど、同じ小学校の学区とはいえ、あの家の方が近いし、中学校になると、今のマンションだと少し遠いから、できたらあの家がいいなと思って」

「買うって、いくらで買うつもりなの?」

「慎吾が出した頭金の600万円と、別れたあと慎吾が支払った住宅ローンのトータル金額の合計で、1,000万円でどう?もちろん残債の住宅ローンは私が払うわよ」

「そんなお金あるのか?」

「貯金がある程度あるし、足らない分は会社から融資してもらえるから、何とかなる」

俺は少し考えた。もともとあの家は、いずれは直人に譲りたいと考えていた。しかし、将来俺が再婚するようなことがあると、そう簡単にはいかない。だったら、ここで菜々美に渡してしまった方が良いのかもしれないと思った。

「わかった。あの家はもともと直人に譲るつもりだったから、菜々美に売るよ。ただし、1,000万円もいらない。評価額から住宅ローンの残債を差し引くと、おそらく500万円くらいなものだろうから、500万円で売ることにするよ」

「そんなのでいいの?」

「ただし、登記に関わる手続きはうちの事務所でやるから、手数料は正規の金額を請求するよ」

俺は菜々美と別れる3年前に独立して事務所を構えていた。

「もちろん、それは正規の金額を請求してちょうだい。じゃあ、こちらの準備が出来たら連絡するわ」

「わかった。俺の方も契約書の作成をしておく」

俺たちは冷めたコーヒーを一口飲んだ。

「ところで慎吾は、再婚はしないの?」

「今のところ何も考えていない。そういう相手もいないし」

「そうなんだ」

「菜々美の方はそんな予定があるのか?」

「そんな予定はないわよ。直人のこともあるし、簡単には再婚はできないわ」

「でも、候補となる相手はいるんじゃないのか?」

「今は仕事と直人の世話で精いっぱい。そんな相手を作る余裕はないよ」

俺たちは喫茶店を出た。最寄り駅まで歩きながら菜々美が聞いた。

「今付き合っている相手がいないのなら、あっちの処理に困っているんじゃない?」

「そんなの離婚する前からそうだったじゃないか」

「家を譲ってもらうお礼に、久しぶりに私が相手してあげてもいいよ」

俺は菜々美を見た。菜々美はすました顔で前を向いている。

「いや、やめておくよ」

「別れた女房じゃ、抱く気もおこらない?」

「そうじゃない。せっかく気持ちが落ち着いたところだから、また未練が出たら困るから」

「あら、未練があったの?」

「当然じゃないか。嫌いになって別れたわけじゃないんだから」

菜々美はそれ以上何も言わなかった。


美幸から電話が来たのはOB会から1週間ほどした日だった。

「慎吾さん、明日の夜って、会えませんか?」

「明日は大丈夫だけど、旦那さんも一緒?」

「私一人です。旦那には内緒で相談したいので」

旦那に内緒の相談?一体どんな相談なのだろう。

翌日俺たちは、俺の事務所の近くで待ち合わせた。食事がまだだったので、個室居酒屋に入ることにした。

1杯目の生ジョッキが来たところで、美幸は話を切り出した。

「私、離婚しようと思っているの」

「離婚?どうして?」

「うちの旦那、浮気している」

「坂本が?思い過ごしではないのか?」

「証拠もある」

美幸はそう言ってスマホの写真を見せた。それは坂本と浮気相手と思われる女性とのSNSのやり取りだった。そのやり取りにはかなり具体的な内容が書かれており、それを見る限り、確かに浮気をしているようだ。

「それで、俺に相談とは?」

「配偶者が浮気していた場合の離婚の手続きの仕方を教えてほしいの。それと、弁護士を紹介してくれないかな」

なるほど、司法書士は代理人にはなれないということは、一応知っているようだ。俺は簡単に流れを教え、以前勤めていた総合法律事務所を紹介することにし、俺の名刺の裏に総合法律事務所の名前と電話番号をメモして渡した。

「ありがとう。早速この法律事務所に連絡してみる」

それから俺たちは出てきた料理を食べながら、砕けた話をした。

美幸は俺が離婚したことを知らなかったようで、驚いていた。離婚の理由を根掘り葉掘り聞いてきた。俺は曖昧に答えておいた。美幸のところは、子供はいないということだった。美幸は店舗開発のコンサルティングをしている会社に入ったそうで、その仕事が面白く、当面は子供を作らないと言っていたら、そのうち夫婦の営みがなくなったと赤裸々に語った。美幸の仕事は俺の業界とも関りが深いので、話を聞いていて面白かった。

居酒屋を出て歩いていると、ホテル街のネオンが見えた。

「ねえ、旦那が浮気しているんだから、私もしてもいいよね?慎吾さん、久しぶりに私としない?」

どうしたということだ、この前の菜々美といい、俺にモテ期が来たのか?

「離婚してないのだからダメだよ」

「私には、もう魅力は感じない?」

「そんなことはない。美幸は今も魅力的だよ。でも、離婚するまでは坂本の奥さんなのだから、俺は不倫はしたくない」

「じゃあ、離婚した後ならいい?」

「その時はその時で考える」

「わかった。離婚したらまた連絡する」

美幸は素直に引き下がった。


月に1回は直人と会うことにしている。今日はプロ野球の観戦に来ていた。外野席しかチケットはとれなかったが、直人の贔屓のチームが勝っているので直人は上機嫌だ。夕食を食べる時間がなかったので、球場の焼きソバや、フランクフルトでお腹を満たす。

「元の家に戻れてよかったな」

先月菜々美に家の引き渡しを行い、俺はマンションを借りて住んでいた。

「うん。でも僕が言ったのは、そういう意味ではなかったんだけどね」

「どういうこと?直人が前の家がいいって言ったんじゃなかったのか?」

「僕はパパが住んでいる前の家に戻りたいって言ったんだよ」

「だから、戻れたから良かったじゃないか」

「パパ住んでいないじゃない。僕が言いたかったのは、前の家に戻って、前のようにパパとママと三人で暮らしたいって言ったつもりだったんだ」

そういう意味だったのか。

「でも、パパとママは離婚しちゃったから、一緒には暮らせないんだ」

「離婚したら一緒に暮らしてはいけないの?結婚していないのに一緒に暮らしている人もいるんでしょ?」

同棲のことを言っているのか?

「パパはママと暮らしていて困ることがあったの?」

「パパは別に困ることはなかったけどな」

「じゃあ、ママが困ることがあったの?」

「さあ、それはママに聞いてみないとわからないな」

「じゃあ、どうして離婚したの?」

はて?そう言えば、俺たちはどうして離婚したのだろう?

俺は直人にちゃんと答えてあげることが出来なかった。


美幸から連絡が来たのは、俺が弁護士を紹介してから3か月ほどたった頃だった。結果報告をしたいから会えないかと言われ、前回行った居酒屋で待ち合わせることにした。

「結果から言うと、離婚はしないことにしたの」

「そうなのか」

「旦那は浮気を認めて、相手の女性とはもう手を切るから離婚は考え直してくれと言われたの」

「それで許す気になったんだ?」

「最初は許す気はなかったんだけど、ずっと謝り続けられて、昔はこんなことがあったじゃないかとか、これからはこうするからとか、色々言われているうちに、やっぱり私もこの人のこと好きだったし、今も好きなんだなって思ってしまって」

「そうか、それならそれが一番良いよ」

「慎吾さんには色々ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」

不倫騒動があったのに、元の鞘に収まる夫婦もいる。俺と菜々美は、本当に元の鞘に戻れなかったのだろうか。

店を出て、前回と同じように一緒に歩いていると、ホテル街のネオンが見えるところで美幸が立ち止まった。

「慎吾さん、お願いがあるのだけど・・・」

「お願い?」

「あいつだけ浮気をしていい思いをしたのは、不公平じゃない?だから私に、一度だけ浮気を経験させて」

「美幸・・・」

「一度だけ、本当に一度だけだから。一応あいつのこと許すということになったけど、気持ちの奥底ではまだあいつを許せない自分がいるの。だから、自分も同じことすればフィフティー・フィフティーで許せると思うの。でも、まったく新しい相手とする勇気はない。だから、慎吾さんしかこんなこと頼めないの」


ホテルに入り、先に俺がシャワーを浴びてベッドに入っていると、シャワーを終えた美幸がバスタオルを巻いた姿でベッドに入って来た。軽く唇を合わせたあと、美幸が話し出した。

「私、慎吾さんが嫌いになって別れたんじゃないよ。寂しかったんだと思う。忙しいのだから、なかなか会えないのは仕方ないと思っていた。でも、たまに会えても慎吾さんは資格のこととか、就活のこととか何も話してくれなかった。楽しい会話もなく、私と会うのが義務だから会っているといった感じだった。だから、慎吾さんは私と会っていてもつまらないのだろうな、私と付き合っていることが負担なんだろうなと思って別れたの」

「俺はそんなことは全然思っていなかったよ」

「多分そうだろうね。いまならわかる。結局会話が足りなかったんだろうね。うちの旦那ともそう。会話がなくなったから、旦那はよその女に逃げたんだと思う。あの時の私と同じ。もっと会話していたら、慎吾さんとも別れていなかったかもしれないし、旦那も浮気をすることはなかったかもしれない」

そうか、会話不足か。俺と菜々美も最後の3~4年はほとんど会話をしていなかった。もっと会話をしていれば良かった。ふと、直人が言っていた言葉が蘇った。俺たちは、どうして離婚したのだろう?

「慎吾さん、どうしたの?」

「美幸、ごめん。浮気の協力はさっきのキスで終わりということにしてくれ」

俺はそう言ってベッドから抜け出した。

「帰るの?」

美幸はそう言ったあと、ジッと俺を見ていたが、諦めたのか、服を着始めた。


1週間後に俺は菜々美と会った。あの日美幸とホテルを出て別れたあと、すぐに連絡したのだが、菜々美はこの日しか空いていないということだった。菜々美はちょうどこっちに用事があるからと言って、俺の事務所の近くまできてくれた。

「話って何?」

菜々美が喫茶店に入るなり、つっけんどんに言った。

「俺たちが離婚した理由って、何だったのかな?」

「なに?いまさら?」

「以前、直人に聞かれたことがあったんだ。パパはママと暮らしていて困ることがあったの?って」

「それで、どう答えたの?」

「別に困ることはなかったと答えた。そしたら直人は、じゃあ、ママが困ることがあったの?と聞くけど、俺にはわからないから、ママに聞いてみないとわからないと答えておいた。菜々美は、俺と暮らしていて困ることがあったのか?息苦しいとか、見ているだけでムカついてくるとか」

「そんなのないわよ」

「じゃあ、どうして俺たちは離婚したのだ?」

菜々美は黙ったまま何も答えない。

「直人が言っていた。前の家に戻りたいと言ったのは、前の家に戻ってパパとママと3人で暮らしたいという意味だったと」

「そんなこと、直人何も言わなかったわよ」

「俺たちは、直人の気持ちを考えようともしていなかったんだな」

それから二人とも言葉はなく、店を出ようということになった。

歩きながら菜々美がポツリと言った。

「本当は、私は離婚したくなかった」

「離婚しようと言い出したのは菜々美だよ。だったら、どうして?」

「苦しくなったの。私はこんなに慎吾のこと好きなのに、慎吾は私の事を見てくれない。付き合い始めたのも私の方から告白してだし、一緒に暮らすようになったから、仕方なく結婚してくれたんだろうなと思っている。慎吾は、本当は私なんかより、もっと素敵な女性と結婚したかったんだろうなと思うと、苦しくなったの」

俺は立ち止まり、菜々美を見た。菜々美は目に涙をいっぱいためていた。

「俺は、そんなこと思ったことはないよ」

「この前、あなたが離婚したあと未練があったと言ってくれた時、少しはそんな気持ちをもってくれていたんだと思ったら嬉しかった」

俺はてっきり菜々美が俺に愛想をつかしたものだと思いこんでいた。

「この前の提案は、まだ有効か?」

「この前の提案?」

「久しぶりに私が相手してあげてもいいよって、言ったろ?」

「また未練が出たら困るんじゃないの?」

「未練が出たら、もう一度一緒に住めばいいじゃないか」

俺がそう言うと、菜々美は俺の手を引っ張り、

「絶対に、また未練が出るようにしてあげる」

と言って、ホテル街へ向かった。俺は少年のように胸がドキドキしていた。

これでもう一度、菜々美と直人と3人で暮らせる。俺はそう思うと、自然に顔がほころんだ。

菜々美がホテルの門をくぐったところで気づいた。ここは、1週間前に美幸と入ったホテルだ。一瞬足がすくみかけたが、「俺は何もしていない。俺は何もしていない」と自分に言い聞かせて平静を保った。菜々美がパネルを見て部屋を選ぶ前に、俺はこの前の部屋とは違う部屋のボタンを押した。すると、菜々美が俺を見て、嬉しそうにニコッと笑った。

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