ネクロノミコン

小噺らいと

introduction

―――もう十一月、流石に寒くなってきたな。

 同じ時間、同じ道、同じ景色。すっかりルートが体に染みついた、いつもの通学路を辿りながらそう考える。冷えて赤くなり始めた指に白い息をはあっと吹きかけ、歩くスピードをほんの少しばかり上げる。

 俺が通っている光夜みつや市立東高校は、家からそう遠くないところにあり、このペースならあと五分もあれば着くだろう。


 坂を上り切り、校門をくぐる。見ると、校舎のてっぺんに取り付けられた時計が8時15分を指し示している。急いだこともあって、普段よりも早い到着になった。自動販売機で温かいココアを買ってから、1-B教室、最も窓側にして最前列の俺の席に座る。今月からは暖房の使用を許可されているので、それに一番近い席である窓側は、冬に限っては特等席なのだ。

「今日はいつもより早いな、嶺哉れいや。何かあったのか?」

「寒かったから急いだだけさ。明日からは手袋が必要だな」

 後ろの席のひいらぎ 秀斗しゅうとと他愛のない話をして、ホームルームまで時間を潰した。担任教師の田中がドアから入ってくるのを見て、後ろ向きになっていた体を前に戻す。午前四時間、午後二時間の授業をこなし、今日もようやく解放された。


 行きと同じ道を通って自分の家に帰る。学校から徒歩20分、川越にでも建っていそうな、武家屋敷風の自宅。庭には桜の木が一本生えている。三年前に両親が事故で亡くなった後、遺してくれた屋敷と莫大な遺産で日々暮らしている。何でも先祖がここ一帯の大地主だったらしく、かなり古い家柄らしい。

 学ランから青地に白いラインの入ったジャージに着替え、外に走りに行く。昔から毎週水曜日は走ると決め、一度も破ったことはない。

 普段の通学路を走り、学校を通過する。一瞬ちらりと見えたグラウンドでは、まだ運動部が練習を続けていた。

 普段は住宅街の中を走るのだが、今日は気分を変えて丘の方へ行った。丘の頂上からは街全体を一望できる、絶景スポットだ。この街が「光夜市」というのは、この丘から町を見ると、夜景が美しかったからだといわれている。俺が頂上に着いたのはまだ夕日の沈みきっていない頃で、街の明かりもぽつぽつとまばらにしか点いていなかった。

 ショルダーバッグからタオルを取り出し、額に浮かんでいる汗を拭う。少し休憩をしたので、そろそろ帰ろうとしたその時、俺は地面に落ちていた「その本」に気が付いた。

 近くのベンチにそっと置き、隣に座ってよく観察する。ハードカバーの表紙は、くたびれた焦げ茶色の皮製。Necronomiconと大きく書かれている下には、簡単に開かないように金属の留め具が付いている。著者は書かれていない。

Necronomiconネクロノミコン……魔法の本か何かか?」

 拾い上げた瞬間、本を握っている右手の指先から肩にかけて、焼けるような痛みに貫かれた。思わず本を落としかけるが、幸い痛みがすぐに引いたので持ちこたえた。

 こんなところに放っておくのも良くない気がしたので、近所の交番に届けようと本をカバンに押し込んで丘を下った。

 一気に20キログラム以上の増加で、帰りはなかなかハードであった。すっかり遅くなってしまい、街中に暗幕が垂らされたような夜に包まれてしまった。

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2024年10月30日 20:00 毎週 水曜日 20:00

ネクロノミコン 小噺らいと @mint_cool

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