常識はお亡くなりになりました
阿伊宇
プロローグ
姿見の中からこちらを見つめる彼女は、紛れもなく美少女だった。白磁の肌は滑らかで、無垢を謳い。新雪のような、穢れを知らぬ白髪は腰まで覆い、艶やかに。水晶の如く透き通った銀の瞳は、柔らかで、可愛らしく。
ランドセルを背負っていても違和感のない身長では大人らしい魅力はなくとも、子供の愛らしさと不思議な落ち着いた雰囲気の融合により、幽玄の美を体現していた。これを美少女でないと語る者がいるなら、そいつは希代の大ほら吹きだろう。
あまりの衝撃にフリーズした脳が徐々に回復し、少女の思考力が戻り始める。
───そうか、これが俺なのか…………
すると認識も現実に追い付き、途轍もない事実に口角が不格好に歪む。笑うしかないとは、当にこのことか。確かに、これを目的に魔法少女契約を行った。けれど元は冴えない男だったと言うのに、魔法少女になった途端に絶世の美少女になると誰が思うのか。喜びとか、そんな感情よりもギャップによる混乱が脳を占める。
そして、その混乱を助長させるもの、更に一つ。即ち───
───物足りない。
これ以上ない程に美少女である、彼女彼はそう認識している。だと言うのに、物足りなさを感じる。完璧に見えても、完全ではないと。肝心要の何かが足りていないと。正真の美少女足り得ないと、そう感じているのだ。さながらピースを失くしたジグソーパズルか、あるいは点睛を欠いた画龍のように。
しかし、同時に奇妙な納得感を抱いてもいる。きっとそれは、美少女とは実に奥深いものであるという確信によるものだ。
彼女彼は長年、美少女になる夢を追い求め続けていた。目的は無く、動機も知らず。ただ美少女に憧れて、美少女に焦がれて、胸の内で絶えず燻り続ける熱のみを頼りに、ずっと。
その過程で様々な試みを実行した。しかし、その全ては実らず、遂には可能性の拡張のために魔法少女になった。ただ、それだけのこと。TSに関しては未知とは言え、容姿というアプローチはとうの昔に通り過ぎた地点に過ぎない。
未だ美少女の本質には触れることはできていないものの、その奥深さに限っては深く理解している。
ある程度落ち着きさえすれば、全ては彼女彼の予測の範疇であった。………容姿が想像の千倍優れていたことを除けば。
なれば、今後のこともまた予定通りに。
───はてさて、この夢が叶うのはいつになることか。
◇
「うぅ……っ、まさか船酔いするとは………っ」
黒髪・・の少女───八重やえ雪那せつなは船の手すりに寄りかかっていた。顔色も青く、健康的な状態ではないことが見て取れる。彼女は見事に船酔いしていた。
手すりの向こうに見える海は陽光を反射して煌めき、空も青一色の快晴で、暖かな日差しを注いでいる。
けれど、彼女の内心はそれに反してどんよりしていた。気持ち悪い、それに尽きる。こうして洗濯物のように手すりに寄りかかっているのも、いざという時に海にリリースするためである。美少女を志すものとして吐く気はないが。
「島は……、遠いなぁ…………」
視線を横に向け、遥か遠くに見える島に、船酔いとの戦争がまだまだ続くことを察して悲痛に塗れた声を上げる。こんなことになるなら酔い止めを飲んできたら良かったと思うも、時すでに遅し。後の祭りである。
「はあ………」
それでもやっぱり溜息を吐いて───
「あんた、どうしたね?」
振り返ってみると、人の好さそうなお婆さんが立っていた。顔には気遣いの色が浮かんでいる。どうやら、あんまりな姿を晒していたせいで心配を掛けたようだ。
「船は初めてなもので、酔ってしまいました」
「そうかい。なら、これを食べるとええ。じきに良うなる」
なるべく表情を平生と同じように見えるよう取り繕って答える。するとお婆さんは鞄を漁ったかと思えば、梅飴を取り出した。なるほど、梅も飴も酔いには効果的だと聞く。それが二つも相まれば、その効果はさぞ高いだろう。
「ありがとうございます」
ありがたく受け取ると、お婆さんは笑顔で頷いた。雪那は包装を解くと、赤い飴玉をじっと見つめる。ここは自分自身のためにも、好意を無下にしないためにも、食べなければならないことは分かる。ただ、彼女は梅飴が苦手だった。逡巡するのも束の間のこと、ええいままよと口の中に放り込む。
あっ、意外と美味しい。数年とは言え時間が経過したことで好みが変わったか、魔法少女に変身したことで肉体と共に味覚も変わったのか。雪那は飴玉を口内で転がしながら考える。と、そこでお婆さんが話しかけてきた。
「あんた、親はどうしたね?」
「いないです。一人で来ました」
「小さいのに大したものだねえ。歳はいくつよ?」
「十五です」
「何と!? あんた、ちっこいねえ」
「いや、ちっこくは……、なくはないですけど………っ」
ちっこい。否定はできないが、その言葉に憮然とした表情をする。雪那自身、この身長の低さは少々気にしているのだ。145cmとなると、小学五年生の平均身長である。魔法少女・・であるにしても、もう少し身長をくれても良いだろうにとは思う。
ちなみに、年齢については嘘である。実際はもう少し長生きしている。ただし公的書類上の八重雪那の年齢は十五歳になっているため、あながち間違いだとは言えない。
「そんじゃ、あんた。どうして床依島くんだりまで来たね?」
さっきからの会話の調子のままに発せられた問い。雪那はそこで、言葉に詰まった。そういえば、カバーストーリー考えていなかったなと。正直に答えるならば、魔法少女としての務めを果たすため。けれど、魔法少女であることはなるべく秘密にするべき事柄である。
「ええと………」
それを隠した上での尤もらしい理由は思い付かない。一人で観光、十五歳が? 実家に帰省、船に初めて乗るのに?
考えても考えても良い案が出てこないから、雪那はある意味では本当のことを話す決断を下した。即ち───
「その……美少女になるため、です」
常識はお亡くなりになりました 阿伊宇 @ktmyakyu
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