第3話
「高柳美和様」
そう書かれた、空色の封筒を開く。
便箋には、小さく丁寧な文字がびっしりと並んでいた。
「高柳美和様
美和さん、急にお手紙ごめんなさい。こんなことを美和さんに話して、迷惑にならないだろうか、重荷にならないだろうか、……美和さんが私のこと嫌いにならないだろうか、そう思いながら書いています。でも、美和さんは私のことを信じてくれると思ったから。ずっと味方でいてくれると思ったから。
これから書くのは、私の『死因』です」
「死因」?……やはり自殺ではなかったのだろうか? 本当は、他に何か……?
「私の両親は、私が16歳の時に離婚しました。原因は、弟の障害のこと、そして私の親権のことでした。
何回かお話しましたが、弟には知的障害があります。
何か気に入らないことがあると、わあわあ大声で泣いて、仰向けに寝て手足をバタバタさせるのです。
弟が大きくなるにつれ、それが父には耐えられなくなったようで、『俺にそいつを近寄らせるな! うるさい! 出て行かせろ! どこか遠くに捨ててこい! こんなヤツ誰が産めって言ったんだ!』 と、殴ったり蹴ったりしました。母が必死に弟を抱きしめて
酷い。……そんな家庭内暴力の中に日常的に置かれていたのか。
「この頃には両親は違う部屋で生活していました。『父の部屋』と、『母と弟の部屋』。私は自分の部屋でいつも一人でいました。
父は、私のことは大事にしてくれました。弟と母には暴力を振るったけれど、私は叩かれたことさえありませんでした。」
娘は可愛がっていたのか。まあ、男親は娘には甘いものだからな。そう思いながら読み進む。
「ある日、父が、お小遣いをあげるから、と父の部屋に私を呼びました。私は何の疑いもなく父の部屋に行きました。
父が、部屋の鍵を閉めました。何かいつもとは違う父がそこにいて、怖くて逃げ出そうとすると、手を引っ張られ、ベッドに押し倒され、叫ぼうとする口を口で塞がれました。誰ともまだキスもしたことがなかったのに……。
ショックで、抗う力が抜けてしまいました。服を脱がされ……そうして、父に、私の『初めて』も奪われました。」
私は思わず、手で口を塞いだ。息が止まりそうになる。奈緒が、そんな……。私は、ショックで言葉を失った。
「父は、それから、頻繁に『お小遣い』をくれるようになりました。拒否すれば、その怒りを母や弟にぶつけるのです。どうすることもできませんでした。
母は離婚を決意しました。私と弟を連れて、母の実家に逃げたのです。」
奈緒に、そんな過去が……。
「父は怒って私を連れ戻しに来ました。私だけを。最早、母や弟は、要らないもののようでした。
両親は、私の親権を巡って言い争いになりました。協議離婚は成立せず、調停離婚に持ち越されました。
父は、そこで親権を母に譲る代わりに、条件をつけました。慰謝料は一切請求しないこと。養育費は必要に応じて支払うこと。子供たちには、週に一度会わせること。母は、とにかく早く離婚したくて、その条件を飲みました」
結局、週に一度は、奈緒は父親に会わされる羽目になっていたのか……。私は今、見たこともない彼女の父親を、心から憎んでいる。
「そんなことを続けていたある日、父は亡くなりました。酔っ払ってバランスを崩し、ベランダから落ちたのです。11階の部屋でした。即死でした。
警察がやってきて、その部屋で号泣している私に、沢山のことを聞いてきました。母親の所にも警察が来ていました。母も泣き崩れました。
二人とも、嬉しくて泣きました」
ベランダから落ちた……。誤って、落ちた……。
「私は、高校をやめて、働きに出ると言ったのだけれど、母はそれを止め、高校を卒業させてくれて、専門学校にまで行かせてくれました。父の保険金が入ったようでした。
専門学校卒業後は、ご存知の通り、小さな店でですが、仕事もできていました。週末のボランティアの仕事も、楽しくやらせてもらっていました。」
父親とのことが、彼女の「死因」?
いや、不幸の原因は取り除かれたのだ。それだけが原因だとは思えなかった。
手紙は、まだまだ続いていた。
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