第二話:拒絶
嫌。嫌い。
古典的な「ガアン」という金属的な重たい音と共に、頭の中で彼女の声がリフレインする。
……まあ、それは、分かっていた答えではあったはずなのだけど。だって、セレスがアイリスを嫌っているのは知っていたのだから。
でも、推しの口から直接言われるのは、思った以上のダメージだった。揺らぐ視界に加えてぼおぼおという耳鳴りにも邪魔をされながら、なんとか顔を上げる。セレスの表情は冷たいままだ。
「ええと、」
「用事がそれだけなら、もういいですか」
「ま、待って!」
さっさと踵を返そうとする彼女を引き留める。無視して去らず、はあとため息を吐きながらも私の言葉を待ってくれる彼女は、やはりゲームで見た姿と同じで「一見クールだけど根は優しい」。
この世界――『黄金のアネモネと運命の学園』に来て、アイリスとして生活することになって。やっとのことで死亡フラグを回避したというのに、最推しに嫌われたまま交流もできないまま、なんてそれこそ嫌だ。
「どうしたら、お友達になってくれる……?」
私の常識・良識・道徳心をもって、生活してきたうえで、作中のアイリスのような行動は一切取っていない。攻略対象キャラクターの好感度がアイリスに対しても上昇するのは予想外で、ユイシアには申し訳ないことをしてしまったけれど、でも悪いことは一切していないはずだ。アイリスのように、妹に手を挙げたり中傷したり殺意を抱いたり――そんなことは、していない。そもそもユイシア可愛いし、そんなことをする気は起きない。
セレスに直接問うのが一番良いと判断した。ユイシアの味方である彼女が、アイリスを嫌うのは当然。そしてユイシアを傷つけなくなったアイリスに対しても嫌悪が抜けないのであれば、彼女が好く基準を知ってそれに足る人間になればいい。
そう思って、尋ねたのだけど。
「……それ、本気で私に聞いてるんですか」
彼女の視線は、ますます冷たさを増した。
「本気、本気だよ。私は本気で、貴女とお友達になりたいと思ってる」
「…………はぁ」
再びため息を吐いたセレスがちら、と腕にはめた時計に目をやる。
彼女の提示したタイムリミットまで、もうあまり時間はないのだろう。
「シュタイナーさん」
「……ユイシアを待たせてしまうので、率直にお伝えします。貴女と友達になるつもりは無いし、今後も一切あり得ません」
「それは、どうして? ……いや、貴女というか、色々な人に嫌われてしまうようなことをしてきた過去があるのは、自覚しているんだけど。今後は一切しないって誓う」
「そうですか」
それでも何とかと粘る私に、セレスはひとつ息を吸って、
「アイリス・アルベルト様」
「は、はい!」
ピシリと身が硬くなる。
これからセレスが口にするのは、きっと彼女がアイリスを嫌う理由だ。
聞きたくないけれど、聞かなければ。彼女に近づくカギがあるかもしれないのだから。
身構える私のことは気にも留めぬ様子で、セレスが続ける。
「私は貴女が嫌いでした。――例えば、昨年の中頃。ユイシアは実家に帰った後に人目につかないような場所に傷を作って、青褪めて、震えて、酷く疲弊していた。別にその時が初めてじゃない。一度や二度じゃないそれが誰の仕業かなんて、ユイシアは一言も言わなかったけれど、周りも分かっていましたよ。ユイシアと出逢ってまだ大して時間の経ってない私でも、分かりました。でも私はユイシアが家に帰ることを止められなかった。ユイシアがね、大丈夫だからって私の手を取って笑うんです。あんなに傷つけられてもあの子の家族への愛は澄んだまま揺るがない。結局あの子を止められなくて、貴女の家に乗り込むことも、貴女の行動を止めることも、殺すこともできなかった。アルベルト家の権威をよく知る他の人たちだって、貴女のことをなんだかんだと言いながら首を突っ込まなかった」
「…………え、」
「――次も結果は変わらなくて、寧ろ酷くなっていて。あの子の大丈夫って言葉、聞かなきゃ良かったって思いました。だから、今度ユイシアが家に帰るときは、あの子の信頼を裏切ることになるけど、絶対止めるって決めました。……そんな折ですね、貴女の様子が変わったのは。高慢で悪辣で周囲のことなど意にも介さない姿は見る影もなく、貴女はふつうの人になった」
「……」
「……どんな心境の変化かは知らないけれど、ユイシアが穏やかに過ごせるようになるのなら、幸せなら、貴女の変化なんてどうだって良かったんです。それなのに、」
セレスの身体の両脇で、拳がきつく握られる。ともすれば、爪が皮膚を突き破ってしまいそうだ。
「…………散々人を傷つけたくせに、ころりと態度を変えてみせて。善人が善行を積むよりも、悪人が少し優しくなった方が、人は感動しますね」
「シュタイナーさ、」
「気安く呼ばないでください。……私は、ユイシアから全てを奪った貴女が、心の底から、憎いんです」
そう吐き切ると、セレスは今度こそ私に背を向けた。
「全部奪って、その上何の力もない、ただの一庶民の私まで貴女の側に付け、って。……やっぱり、貴女はどこまでもユイシアの敵だ」
足音が、遠ざかる。
広い廊下の中で一人取り残されたまま、下校の合図を知らせる鐘が荘厳に鳴り響いた。
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