第2-17話 ひとつ間違ってる

「みーくん」


 ……ああ、苦しい。


「みーくん」


 私は、何をしているのだろう。


「みーくん」


 私は、どうして……。


「みーくん!」


 私はどうして、彼に馬乗りになって、暴力をふるっているのだろう。


「……」


 彼の胸を何度も殴打した。

 彼は全く抵抗しなかった。


 むしろ、私の方が疲れている。

 感情を吐露する方法を知らなくて、暴力に訴えて、もちろん何も解決しなくて……彼の「気は済んだか?」とでも言いたげな目が、どうしようもなく憎らしくて……!


「……!」


 最後に一度、思い切り拳を振り下ろした。

 それから天を仰ぎ、深く呼吸をする。


「……やってくれましたね」


 私は努めて冷静に言葉を発した。

 ここからは理性的に話す時間だ。


 深呼吸ひとつ。

 彼に向かって拳ではなく言葉を投げかける。


「あの日、私の気持ちには気が付いたのでしょう?」


 そうだ。始まりは、きっと私が全裸のみーくんに言い寄った時だ。


「私は大田草彦に近付きました。お察しの通り、みーくんに対する意趣返しです」


 ずっとずっと、みーくんのことが好きだった。

 これからも、この先も、ずっと一緒に居るのだと思っていた。


 だけど彼は、他の女に恋をした。

 他の女に興味を持ち、その気を惹こうとしていた。


 許せない。許せない。許せない。

 その気持ちは愛を憎しみに変えた。


 でも、その計画は破綻していた。

 とても大切な大前提が「否」だったからだ。


 私は、みーくんの恋愛対象ではない。

 どれだけ彼の嫉妬心を煽ったところで、効果は無い。


「……分かっていました」


 だけど目を逸らした。

 それを認めたら、あまりにも惨めだから。


「……あなたは、私に興味が無い」


 だけど、言葉にしなければ始まらない。

 その瞬間、急激に訪れた無力感に抗うため、私は必至に口を動かした。


「それでも、いつかは……そう思っていました。あなたは私以外にも興味が無い様子だったから。だけど最近、あなたは変わってしまった。あの女に興味を持った。今の状況、最初から全部、絵に描いた通りだったのでしょう? 流石ですね」


 口を動かす。


「計画の障害となるのは大田草彦だった。舞浜莉子は、彼に恋をしていた。しかし、双方共に積極的なタイプではなかった。だからあなたは自分自身が舞浜莉子の動きを牽制して、大田草彦の動きを私に牽制させた。あの日、学校の廊下で私に話をしたのは、私の動きを制限するため。余計なことをして、暴走して、計画を台無しにしないため」


 口を動かす。

 心を無にして、名探偵のように、彼の計画を言語化する。


「忙しいあなたが、目的も無く体育祭の実行委員になるわけがない。あれは、自分の企画を通すための行動だった。長距離走を通して大田草彦の判断力を奪い取り、私に告白させた。大勢の前で。大胆に」


 息を吸い込む。

 

「チェックメイトですね。私は、あの告白を受け入れられない。そういう立場の人間だから。もちろん、全部投げ捨てる手もあった。あなたに一矢報いるために、一時の快楽のために多くの面倒を背負う選択もあった。だけど、できなかった。どうしてか分かりますか? ……その場に、あなたの姿があったからです!」


 彼は何も言わず、私の推理を聞いている。

 その表情を見ているだけで、どうしようもない怒りが増大する。


「この期に及んで、ここまでされても、私はあなたが好きだった!」


 きっと、彼は分かっていた。

 その上で、あんなことをした。


「どうして!?」


 殴る。


「どうして!? 目の前で、見せつけるかのように!?」


 両の拳を握り締め、彼の胸に振り下ろす。


「……どうして。どうして。どうしてぇ!?」


 満足感は全くない。

 ただひたすらに胸が痛いだけだった。


「…………」


 荒い呼吸を繰り返す。

 彼は、何も言ってくれない。


 一分が過ぎた。

 二分が過ぎた。


 私は、これ以上の涙を零さないため、空を見上げた。

 星ひとつ無い真っ暗な空。その景色が、自分自身の未来に思えた。


「……見事な推理だ」


 咄嗟に唇を嚙む。

 彼は、感傷に浸る時間さえも与えてくれないみたいだ。


「……だけど、ひとつだけ間違ってる」


 私は眉をひそめた。

 だけど、その程度の反応に留め、彼の言葉を無視する。


 これは精一杯の反抗だった。

 しかし、そんなことは許さないと言わんばかりに、彼は初めて体を動かした。


「……何を?」


 肩を摑まれた。

 そして、強引に身を寄せられた。


「俺が欲しいのは、莉子だけじゃない」


 …………は?


「花恋、お前は俺を拒絶できない」


 ……ふざけないで。


「俺の言葉、間違ってるか?」

「当たり前ッ」


 ……許せない。こんなの。

 最低だ。最低だ。最低だ。最低だ。


「……私は、あなたなんか」


 あまりにも酷い。あまりにも傲慢。

 あまりにも。あまりにも。あまりにも……!


「…………嫌いです」


 その言葉は、私の心と一致していなかった。

 私が彼に身を預けると、彼は私の背に手を回した。


 あまりにも最低なことをされている。

 拒絶したい。今すぐ刃物を取り出して、彼を葬り去りたい程に憤っている。


 そう思っているのに。

 ……心は、幸福に満たされていた。

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