第2-1話 雪城花恋の提案

 前回までのあらすじ


     好き

  風間 ー> 莉子

好 △     | 好

き |     ▽ き

  雪城 <ー 大田

     好き


 

 *  雪城花恋  *


 

 朝、いつも彼の姿を探す。

 無駄に広い家の中を歩き回って、いくつも部屋のドアを開ける。


 温もりが欲しいから。

 眠る直前まで、確かに感じていたはずの体温が恋しいから。


 でも、彼の姿は無い。

 どこを探しても見つからない。


 寂しくなる。

 恐ろしくなる。


 冷や汗が頬を伝う。

 そして、手近な給仕に問いかける。


 またか、という表情。

 哀れみの感情を目にして、私は、やっと、目を覚ます。


 ああ、そうか。そうだった。

 全部、夢の中の出来事だった。




 私の名前は雪城花恋。

 前世の記憶が三つある。


 幼い頃は複数の自我が混在していた。

 自分が何者なのか分からなくて恐ろしかった。


 私は彼に救われた。

 彼と出会わなければ、私は自分を雪城花恋だと認識できなかった。


 完全に症状が治まったわけではない。

 夢の世界に誘われる度、存在しない記憶が入り込む。


 嫌なことばかりではない。その一部は予知夢のようなもので、雪城家が裕福な生活を続けることに貢献している。


 だけど、私は恐ろしい。現実と空想の境目はいつも曖昧で、少しでも油断すれば、雪城花恋という自我が消滅するかもしれない。


 実際、何度も自分を見失うことがあった。

 その度に強く意識したのは、彼の存在である。


 我思う故に我あり。

 ――彼思う故に、花恋あり。


 私は、とある哲学者の言葉を借りることにした。

 今から400年以上も前の話。哲学者達は「自分とは何者なのか」という問いに心から怯えていた。現代人の感覚からすれば馬鹿馬鹿しいかもしれない。だけど当時の哲学者達は、自我を証明することができなくて、恐ろしかったのだ。私は、強く共感している。


 風間雅に対する感情だけは本物だ。

 この世に存在する他の全てが偽物だとしても、この感情だけは否定させない。


 だから――それ以外は、全部、いらないよね?




「こんにちは」


 夢のような休日が終わった後。

 昼休み。以前と同じ場所。私は汚物の隣に座って言った。


「……うぇーい」


 汚物は意気消沈していた。

 理由は分かる。ひとつしかない。


「大田くん、でしたか?」


 汚物の肩が微かに震えた。

 私は予想が的中したことを確信して、その耳に顔を近づける。


「……彼、私のことが好きみたいですね」


 汚物が顔を上げる。

 私は汚物の唇に人差し指を当て、その発言を制止した。


「ご提案があります」


 汚物から手を離し、笑みを見せる。


「ちょっぴり、わがままになりませんか?」

「……わがまま?」

「相手の気持ちなんて無視して、自分の都合を押し付けちゃいましょう」


 ゆっくりと、でもハッキリと。

 相手の心を侵食するような声色で告げる。


「彼、きっと押しに弱いタイプですよ」


 汚物は悩む素振りを見せた。

 だから私は、逃げ道を作ってあげる。


「全力で協力します。莉子さんの恋が成就したら、とっても嬉しいです。……私も、同じ立場なので」


 腸が煮えくり返る思いだけど、認めざるを得ない。

 みーくんはゲイだ。そして大田草彦を狙っている。


 ふざけるな。許さない。

 彼の趣味嗜好、絶対に矯正する。


 時間が欲しい。

 そのためには、汚物の恋を成就させた方が良い。


「……同じ、立場?」

「認めたくないです。でも、見たら分かります。……分かっちゃいますよね」


 共感を求める。

 彼女は「はい」とも「いいえ」とも言わずに俯いた。


(……今回は、ここまでにしましょう)


 私は確かな手ごたえを胸に、話題を切り替える。

 それから程々に汚物と会話して、教室に戻った。

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