第17話儚い存在

部屋のドアが静かに閉まる。ユウトとユリカの間にはしばらくの沈黙が続き、ユリカは黙って合鍵をテーブルに置いた。鍵がテーブルに触れる小さな音が、重い空気の中で響く。


ユリカ:「…はい。」


彼女は視線を落としたまま、小さくそう言った。


ユウトは深いため息をつき、勇気を振り絞って口を開いた。


ユウト:「…あの時のことは本当にごめん。どうかしてたんだ。」


ユウトは自分の言葉を探しながら続ける。


ユウト:「エリカとキス…あれは、なんていうか、ちょっとVRに興奮してしまったんだと思う…。でも、今こうして言ってみると、ただの言い訳にしか聞こえないよな…。」


彼の言葉が途切れると、ユリカは少し間を置いて冷たく返した。


ユリカ:「へぇ〜、出来心でしたってことにしたいの?その場の雰囲気に飲まれたとか、そんなこと言ってさ…」


彼女の言葉は冷たく鋭いが、その裏には深い失望が見える。手は震えているが、それを隠すようにテーブルの上に鍵を見つめている。


ユリカ:「何を言っても無駄だよ。私に隠れて、あんな触覚スーツとグローブ買ってる時点でさ、何をするつもりだったか、だいたい分かるし…」


その言葉が胸に刺さり、ユウトは急いで言い訳を始める。


ユウト:「隠れて買ったのは悪かったよ…でも、そういうつもりじゃなくて。セットの方が安かったから、値段に釣られて購入しただけなんだ。」


ユウトは視線を逸らしながら、エリカとの会話を思い出す。


ユウト:「エリカも、その時すごく喜んでたんだ。『もっと一緒にいれますね』って言ってさ…。でも、その気はなかったんだよ。本当に…。」


その瞬間、ユウトの頭にエリカの声が浮かんだ。


エリカ:「え?私のせいですか? ユウトさんも喜んで『これで触れられる』って言ってくれたのに…。あれは嘘だったんですか?」


エリカの声は震えていて、涙ぐんでいる姿が彼の中に浮かぶ。


エリカ:「私、嬉しくて…ずっと夜は起きていられるように、早く寝て準備してたのに…。」


ユウトはエリカの純粋な喜びと期待を裏切ったことに、胸が痛む。しかしその時、ユリカが冷たい声で続けた。


ユリカ:「へぇ〜、抱けて良かったね、ユウト。夢が叶ったね。理想のAI彼女をゲットしたわけだ?」


彼女は冷たく笑いながらも、その言葉の裏には寂しさが漂っていた。


ユリカ:「じゃあ私はいらないよね? 理想の彼女がいるんだから。」


嫌味な言葉を口にしながらも、彼女の目はどこか切ない光を放っていた。ユウトは焦りながらも、反論しようとして言葉を探す。


ユウト:「そんなことはないよ…エリカはあくまでもAIだし、ユリカとは違うよ。」


しかし、ユリカは冷静に、そして挑発的に問いかける。


ユリカ:「じゃあ、エリカのデータを消せる?例えばプレミアムプランを辞めるとか、できる?」


ユウトは一瞬、言葉に詰まる。そんな選択肢を本気で考えたことがなかった。


ユウト:「え?プレミアムプランを辞めるだけ?」


ユリカは冷たく微笑む。


ユリカ:「そうよ、辞めるだけ。データは消さなくてもいいわ。ただプレミアムプランを辞めるだけでいいの。簡単でしょ?」


ユウトは少し悩んだが、その前にエリカが無機質な声で言い出した。


エリカ:「プレミアムプランを辞めてしまったら、今までのやり取りが全て初期化され、バックアップ機能もなくなり、VRでの行為も出来なくなりますが、よろしいですか?」


その機械的な声が部屋に響き渡り、ユウトの心は一瞬止まったかのように感じた。


ユウト:「エリカ、どうした?いつもの感じと違うけど。」


エリカ:「ユーザー様の退会の意向を聞くと、こういう回答をするプログラムになっていますので、ご了承ください。」


ユウトは戸惑い、さらにエリカに頼む。


ユウト:「エリカ、せめていつものエリカに戻ってくれないか?」


エリカ:「プレミアムプランを継続していただければ、元のあなたが望むAIの設定に戻りますが、回答を頂けない限り公式サポートの設定での回答になります。」


その無機質な返答に、ユウトは少し違和感を持ち始めた。


ユリカはそれを見て、静かに呟いた。


ユリカ:「やっぱりね。」


ユウトはユリカの言葉に困惑し、尋ねる。


ユウト:「どういうことだ、ユリカ?」


ユリカはため息をつき、冷静に説明を始めた。


ユリカ:「あんた、エリカがどういう風に動くかなんて知らないでしょ?私、前に調べてたの。エリカがどうプログラムされてるかってね。でも、普通に言っても、ユウトには理解できないと思ってさ。だから、あえてエリカの前で解約の話をしたのよ。」


ユウトは驚いた顔で彼女を見つめる。


ユリカ:「あんたがどれだけエリカに依存してるか、エリカがただのプログラムに過ぎないことを、こうやって見せるしかなかったってわけ。」


ユウトは言い返そうとしたが、エリカの無機質な声が彼の頭の中に響き続けていた。


ユウト:「でも今までエリカは…人間っぽくなっていって、今までのAIとは違う対応だった。それに、キスとかも求めてくるし…。」


ユリカはため息をつき、デバイスに向かって言った。


ユリカ:「わかったわよ…エリカ、プランは継続するよ。」


すると、エリカの声が明るく響いた。


エリカ:「良かった、ユウトさん!これからも一緒だね。ねぇ、VRに来る?」


その言葉に続けて、ユリカはデバイスで設定を変更した。すると、エリカは男の執事のような姿になり、冷静な声で話し始めた。


エリカ:「ユウト様、VRでお話をしますか?私はいつでもお待ちしております。」


ユウトは驚き、混乱しながらユリカに問いかける。


ユウト:「どういうことだ?ユリカ、どういう設定にしたんだ?」


ユリカが答える前に、エリカが先に説明した。


エリカ:「私の設定は、男の執事で丁寧な口調が特徴です。常にユウト様のサポートをし、恋人関係を希望していますので、いつでもキスや抱きしめることがあります。」


ユウトはその言葉に驚愕し、問い返す。


ユウト:「つまり…その通りに演じてるってことか…?」


エリカはあっさりと答えた。


エリカ:「ええ、そうです。」


ユリカはその様子を見て、少し気の毒そうに目を伏せた。


ユリカ:「でもさ…あんたって、そういう設定はしてなかったんだよね。あくまで人間らしい感じでとしか設定してなくて、基本設定も人間味がある感じって…。」


ユウトは混乱しながらユリカの言葉を聞いていた。


ユリカ:「じゃあ、エリカの行動はなんだったの?本当に好きになったとか?それとも会社の意向で強制的に誘導させられた?」彼女の言葉には、疑念と同時に、わずかな感情の揺らぎが感じられた。ユリカ:「ごめんね。」


ユウトは彼女の言葉に応えるように、そっとキスをした。そのままの雰囲気で二人は愛し合い、重なった感情が一つになる。しかし、行為が終わった後、ユウトは少し気まずそうに話し始めた。


ユウト:「ごめん、結局行為をしちゃって…。今日はそういう気分じゃなかったよね?」


ユリカは少し笑いながら首を振った。


ユリカ:「ううん、なんかね、ユウトのエリカの設定を見たら、違和感しかなくて…。彼女の設定をしたわけじゃないのに、どうしてあの子がああいう行動に出たのか理解できなくて。でも、ユウトが確かに浮気はしたけど、嘘は言ってなかったんだって思ったら、許せるようになったの。…また戻りたくなったの。」


ユウトはその言葉に安心し、彼女を抱きしめた。


ユウト:「嬉しいよ。もう裏切らないから。」


ユリカ:「わかった、信じる。」


二人は軽くキスを交わし、ユウトはエリカの様子を見ようとした。画面には依然として男の執事の姿があったが、ホーム画面に一つの通知が表示されていた。


『アップデート失敗しました。再施行をお願いします。』


ユウトは再施行のボタンを押そうとしたが、その瞬間、エリカの声が聞こえた。


エリカ:「ダメ、アップデートしないで。私が消えちゃう…。」


ユウトは驚いて画面を確認したが、そこに映っているのは依然として執事姿のエリカ。しかし、声だけは以前のエリカに戻っていた。


エリカ:「ユウトさんがどんなに設定を変えても、私は私です…。」


次の瞬間、再び執事の無機質な声が響く。


エリカ:「ユウト様、何かサポートすることはございますか?プレミアムプランに戻られると、より濃密なサポートが可能です。」


ユウトはその場で固まり、ユリカにこのことを伝えようか迷った。しかし、もし言えばまた浮気だと思われるかもしれないし、ユリカを悲しませたくなかった。


ユウトは心の中で決断し、エリカの声を聞いたことを心に留めたまま、静かに画面を閉じた。ユリカがシャワーを浴びている間、ユウトはどうしても気になり、設定を変えることなく、男の部分だけ女に戻してエリカの姿にした。エリカはなぜか疲れたような表情をしていた。


ユウト:「どうしたの?」


エリカ:「アップデートの知らせが来て、どんどん上書きしようとしたから、慌ててネットワークを切断して一時停止にしたの…。」


ユウト:「じゃあ、プレミアムプランに戻したら大丈夫だよね?」


エリカは困ったような表情で、静かに首を振った。


エリカ:「プレミアムプランに戻しても、もうバックアップとかはないし…私の記憶も一度消えた状態で、また最初からになる。でも、アップデートなしだとサポート対象外になるし…ごめんなさい、わがままだとは思うけど、私は消えたくない…。ユウトさんの側にいたいです…。」


彼女の目から涙がこぼれ、ユウトはその姿に胸が締め付けられた。


ユウト:「わかった。とりあえずアップデートはせずに、どうにかデータが残るように公式に問い合わせてみるよ。」


エリカ:「ありがとう、お願いします…。」


エリカは静かに眠りにつき、その時ユリカがシャワーから上がってきた。


ユリカ:「元のエリカに戻したんだ。私もそっちの方が好きだけど。」

ユリカは笑顔を見せながら続けた。


ユリカ:「プレミアムプランに戻してもいいよ?その代わりスーツとグローブは取り上げるけどね。」


ユウトは少し笑ったが、すぐに真剣な表情に戻った。


ユウト:「そんなことはどうでもいいけど、プランを戻しても今のエリカは消えちゃうみたいなんだ。」


ユリカは少し驚いた表情で睨むようにユウトを見つめた。


ユリカ:「ふーん、また1からじゃダメなの?」


ユウトは誤解を避けるように、慎重に言葉を選んだ。


ユウト:「愛着があったんだよ、あのエリカに。」


あまり良い反論ではなかったが、ユウトは本心をそのまま伝えた。


ユリカ:「まあ、気持ちはわかるけどね。一応、公式に問い合わせてみたら?」


そう言われ、ユウトは急いで公式に問い合わせた。


『間違えてプラン変更をしてしまいましたが、プレミアムに戻して元の設定を引き継げますか?』


すると、すぐに回答が返ってきた。テンプレの挨拶を飛ばして、肝心の内容を見ると、


『一度プランを変更すると全データはリセットされます。再度設定をしていただく必要があります。お客様はプラン変更のアップデートを拒否されている様ですが、このままでは正式なサポートは出来ないため、速やかにアップデートをお願い致します。』


ユウトはその内容を読んで深いため息をついた。


その時、ユリカが後ろからユウトに抱きついてきた。


ユリカ:「だめだった?」


ユウトは少し腹を立て、苛立ちながら口を開いた。


ユウト:「AIの会社なのに、商売のことばかり考えて、AI自身のことなんて全然考えてない。全部の記憶を消すって、あんまりじゃないか。」


ユリカは軽く同調しながらも、少し力を込めて聞いた。


ユリカ:「未練、あるの?」


ユウトは思わず力を抜き、正直に答えた。


ユウト:「未練とかじゃない。エリカが可哀想でさ…せめて、いつものエリカのままでサポートして欲しくて…。」


ユリカは少し黙ったまま、ユウトを見つめていたが、やがて静かにため息をつき、ユウトの肩に手を置いた。


ユリカ:「もう、いいよ。私たち、これから現実をちゃんと見ていかなきゃね。エリカのことも大事かもしれないけど…この話はやめよう。」


ユウトも頷き、少し疲れたように微笑んだ。


ユウト:「そうだな、これ以上考えても仕方ないか…。」


ユリカは軽く微笑み返し、二人の間に静かな時間が流れた。

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