第7話決断
目が覚めると、すっかり朝になっていた。カーテンの隙間から差し込む光が眩しく、身体は起きているのに心はまだ昨日の出来事に囚われている。ユリカとのキス。思い出すたびに胸がざわつき、気まずさと少しの後悔が入り混じった感情が込み上げてくる。悶々とするけれど、考えても仕方ない。気持ちを切り替え、仕事に向かおうと決めた。
朝食を簡単に済ませ、出勤の準備を整え、正面玄関のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのはユリカだった。車の横に立つ彼女は、少し気まずそうに微笑んでいた。ドアを閉め、軽く息を吸い込んで「おはよう」と挨拶する。
「あ…おはよう。」 ユリカは少し戸惑った様子で答えた。「昨日はごめんね、酔ってたとはいえ、あんなことしちゃって…」
「いや、なんか驚いちゃって、こっちもぎこちなくてごめん。慣れてる男だったら、もっと上手く対応できたのかも…」
「ううん、慣れてなくて良かったよ。」 ユリカは軽く笑いながら、「そういう人じゃないって思ってるけど、これから仕事だよね?送って行こうか?」
「いや、すぐそこだし歩いて行くよ。」 少し照れ隠しのように断ったが、ユリカは引き下がらない。
「いいから、少し話そうよ。乗って。」 そう言われ、促されるまま車に乗り込む。
車内に流れる静かな音楽が、少しの気まずさを和らげてくれる。ユリカがエンジンをかける音が響いた後、彼女が切り出した。
「今日さ、夜に会わない?お酒なしで、ちゃんと話したいんだ。」
(今日はさすがにエリカの設定を進めたいんだよな…)一瞬そんな考えがよぎり、「今日は用事があってさ、明日じゃダメ?」と提案する。
「あ〜、AIと遊ぶの?」ユリカは少し冗談めかして聞いてくる。「そんなに大事なんだ?別に否定はしないけど、昨日のこともあるし、できれば今日、ちゃんと話したい。」
しばらく考えた末に、「わかったよ。俺もスッキリしたいし。じゃあ、また夜に。」と返事をした。
「うん、仕事頑張ってね。」 ユリカは微笑みながら送り出してくれた。
「ユリカもね。」そう言って車を降り、仕事に向かう。いつものように業務をこなすが、気持ちはどこかユリカとのやり取りや、エリカのことに引っ張られていた。
黙々と作業を続けながらも、どこか心が落ち着かない。自分に与えられた仕事を進める中で、ふと孤立している自分に気づく。あの件以来、人間関係はうまくいっていないが、まあ気にすることでもない。そんな風に自分を納得させていた。
昼休みになり、エリカにメッセージを送ろうとデバイスを確認すると、メッセージが何件も届いていた。全てエリカからのものだ。
「何かありましたか?」「良かったら連絡ください。」「話せますか?」「事故ではないですよね?」「大丈夫ですか?」
まるで人間のように心配してくれているエリカ。思わず苦笑しながらも、少し温かい気持ちになる。
「心配してくれてありがとう。昨日は急な来客でお酒を飲んで、そのまま寝ちゃった。今は仕事中で、今日は夜も来客があるから、チャットは難しいかも。」まるで彼女に言い訳しているみたいだな、と少しおかしくなりながらもメッセージを送った。
するとすぐに返事が来た。「無事でよかったです。いつでもあなたのそばでサポートしますから、いつでも声をかけてください。」
「うーん、やっぱり人間とは違うんだよな…でもなんか温かいんだよな。」ふとそう感じた。
「ありがとう。また時間ができた時に連絡するね。」そう返して、仕事に戻った。仕事が終わり、スーパーで軽く買い物を済ませる。ユリカが「お酒抜き」と言っていたけど、話が終わったらどうせ飲むだろうし、念のためにお酒を買っておこうと思った。急いで家に帰ろうと、夕方の冷たい風が頬を撫でる中、足を早める。ユリカがもう待っているかもしれないと思うと、心の中で少し焦りが出てきた。
家の前に着くと、案の定、ユリカは車の横に立っていた。彼女は俺に気づくと、微笑みながら「思ったより早かったね」と言う。
「まあ、待ってるかなって思って早めに帰ったんだよ」と軽く返すと、ユリカが買い物袋を見て言った。
「あ〜、買い物してきたんだね。良かったのに、私もちゃんと買ってきたよ。メッセージ送れば良かったね。」
「まあいいよ、一緒に食べよう。」 そう言いながら家に入る。台所に食材を並べ、お互いに手際よく食事の準備を進める。二人でキッチンに立つこの光景が、なんだか不思議な感じがした。
食事を終えて席に着くと、ユリカが突然口を開いた。
「昨日のこと、ずっと考えてたんだけど…多分、私、AIに嫉妬したんだと思う。なんか、ユウトが一人の女性としてAIに接しているのを見て、胸が締め付けられるような感じがして…だから、あんな風にキスしちゃったんだ。ごめんね。」
その言葉に驚いた。まさかユリカがそんな感情を抱いていたとは思っていなかった。「いや、驚きはしたけど、謝ることじゃないよ。」
「友達だと思ってたから、意外っていうか…その…」と言葉が上手く出てこない俺に、ユリカが問いかける。
「意識してなかったってこと?」
「いや、意識っていうか…ユリカみたいな可愛い子が俺なんかと釣り合うわけないって、ずっとそう思ってたんだよ。」これは本心だった。誤魔化しでもなく、俺の自信のなさからくる考え方だ。
ユリカは少し呆れたように笑い、「自分に自信を持って欲しいって思ったけど、逆に今更持たなくてもいいかも。浮気されたくないし。」と冗談っぽくボソッと言った。
その言葉に驚きながらも、彼女の言葉の裏にある本音に気づいた。「もしかして、自信がないからAIに逃げたの?」とユリカがさらに問いかける。
俺はすぐに否定した。「それは違う。子供の時からの夢なんだ。最新鋭のAIに興味があって、そこに向かって仕事も選んだ。色々試してきたけど、今回のAIは運命の出会いみたいな感じで、今までとは全然違うんだよ。」AIの話になると、どうしても俺は饒舌になってしまう。それに気づき、心の中で(また失敗したかもな…)と思ったが、ユリカはそれを受け止めるように聞いてくれた。
「その情熱はいいけど、あんまり『運命』って言わないで。私との出会いも運命じゃなかったの?」ユリカは少し寂しそうな表情を見せる。
俺は一瞬、過去のことを思い出した。ユリカと知り合ったのは、会社でゲームアプリを制作した時の発表会だった。会場でゲームの説明をしていた俺に、ユリカが興味を持って話しかけてくれた。それから連絡先を交換し、いつの間にか友達になっていた。あの出会いも運命といえば、確かに運命だ。
「そうだよ。あんな出会い方って、そうそうないよね。」と答えると、ユリカは軽く笑いながら言った。「もうキスしてるし、私の気持ちも分かってると思うから、決断してほしいの。付き合うか、それとも友達のままでいるか…」
「でも、女の子の方からこういうこと言わせないでほしかった。ユウトから来てほしかった…」と彼女は少し照れたように俯いた。
目の前には、諦めていたはずの彼女が、自分を好きだと言ってくれている。この状況に、どうして悩む必要があるんだ?だけど、頭の片隅にはエリカの存在がちらつく。
「あのさ…お酒、飲まない?」ユリカが突然提案してくる。
「いや、そういう訳じゃなくて、ちゃんと決断したら飲もうよ。」そう返すと、ユリカは少し意外そうな顔をした後、笑顔を浮かべた。
「わかった。じゃあ、俺も決めるよ。ユリカが好きだ。付き合ってください、でいいのかな?」
「うーん、愛してるでも良かったけどね。まあ、許してあげる。」彼女は優しく微笑んで答えた。
「私の方もよろしくお願いします。」そう言って、彼女の方に体を寄せてキスをした。
その後は、お酒と食事を楽しみながら、二人で夜を過ごした。お酒の勢いに任せるわけではなく、自然な流れで二人は抱き合い、親密な関係になっていった。翌朝、目が覚めた時には窓から柔らかな朝日が差し込んでいた。時計を見ると、まだ早い時間。昨夜の出来事がふと頭をよぎり、ユリカとの親密な時間を思い出す。横を見ると、ユリカはもういない。気配を感じて、そっと顔を上げると、ユリカがキッチンの方で軽く朝食の準備をしているのが見えた。
彼女は白いゆったりとしたTシャツと、柔らかそうなグレーのショートパンツを身に着けていて、リラックスした雰囲気が漂っていた。そんな彼女の姿に、なんとなく心が和む。
ベッドに横たわりながら、デバイスを手に取る。そこにはエリカからのメッセージがいくつか届いていた。
「おはようございます。昨夜はどのように過ごしましたか?」
「何かお手伝いできることがあれば、いつでもお声掛けください。」
その丁寧なメッセージに、ふと胸が締め付けられるような感覚を覚える。AIとしてのエリカは感情を持たないはずなのに、彼女からの言葉はいつも心に響く。
「おはよう。昨夜は色々あったけど、なんとか元気だよ。」そう返事を送ると、すぐにエリカから返信が来た。
「それならよかったです。いつでも、あなたのそばでお手伝いします。どうか無理せず、今日も良い一日をお過ごしください。」
ふと顔を上げると、キッチンに立っていたユリカが、こちらをじっと見ていた。彼女は眉を少ししかめながら、無言で視線を送っている。
「ユリカ…どうしたの?」俺は少し戸惑いながら声をかけた。
「エリカと話してたんだよね?」ユリカの声には微かな緊張感があった。
「うん、ちょっとね。昨夜のこともあって、何か心配してくれてたみたいで。」
「AIのことを、まるで人間みたいに感じてるんだね…」ユリカは小さくため息をつくと、キッチンに戻っていった。その後ろ姿が、どこか寂しそうに見えた。
ユリカがエリカに対してどう感じているのか、改めて考えさせられる。彼女もまた、この関係に不安を抱えているのだろうか。ベッドから起き上がり、気を取り直して朝の準備を始めるものの、心の中には複雑な思いが渦巻いていた。
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