第3章 浅い水面のその岸辺

      1


 京都に来て8日目。

 朝6時。

 市内を適当に車で走る。

 徐々に車が増えつつある。

 どこに出る。

 鵺は。

「お話できた?」岡田が言う。

 薄暗い中グラサンをかけていて運転しづらくないのだろうか。

「話?」

「会うの久しぶりだったんしょ」

「勘繰るな」

「いままでで一番いい顔させちゃってさ~。明らか鬼立さん?来てからのちーろちゃん絶好調よ~」

「うるさい」

「さて、真面目な話に戻るとさ」岡田が声音を取り替える。「小説はあれでおしまい。遺体も全部で4つ。でも鵺は健在。鵺はこのまま大人しくフェイドアウトするでしょ~か~?」

「思うところがあるなら言え」

「市内のパトロールはそれなりに楽しいんだけど、京都の名所って多すぎてさ。絞れないわけ。だから、作者様に一肌脱いでもらって。もしこのあと続けるならどうするのか、とか聞いちゃったり?」

「連絡先知らん」

「鬼立さんがホテルに残ってんでしょ~が~ぁ」

「あいつは駄目だ」

「なんでー?」

「取り調べが致命的に下手くそなんだ」

「なにそれー」

 岡田は冗談だと思っているだろうがこれが確かで。

 現にあいつと喋ってると何も開示したくなくなってる人間がここにいるわけで。

「これなら俺が代わったほうがいい」

「そなのー? あ、そんな頭脳労働の前に朝食とかどう?」

 パーキングに停めて牛丼とうどんのセットを食べた。岡田が注文し慣れていたので同じものを頼んだ。

「俺さ、調べてみたんだけど」岡田が言う。すでに食べ終えている。「猿の頭で、虎の胴体で、尾は蛇。ちーろちゃんが見たのは翼もあった。見る人によって姿を変えるってのは妖怪のコンセプトに適ってる。んで、こっからが本題なんだけど」岡田がお冷を一気飲みする。「あ~、冷たくて頭冷える~。で、実際に現れた場所ってのがあるんじゃないかって思ったわけ。過去の文献とかで」

「お前、頭いいな」

「でしょ~? 気づいちゃった~?」

 岡田の声がでかさに反応したのか、少し離れて座っていた外国人の連れが甲高い雄たけびを上げていた。

 岡田が謎のアイコンタクトを送っていたがまったく意味がないだろう。なにせ伝わっていない。

「とにもかくにも京都御所。退治された鵺は鴨川に流された。清水寺に埋められてもいる。あと、二条城の北にある二条公園に鵺池ってのも。鵺に関する場所ってけっこう多いみたいなんだよね~」

「全部行ってみるか」

「とりま、御所?」

 京都御所。

 御苑なら24時間入れるらしい。散歩目的の人がちらほらいる。

 7時。

「鵺が出たのがね、紫宸殿と清涼殿。ええっと、こっち」岡田が案内してくれた。

 平安時代ぽいな、としか思えないが、もしここで出てきたら。

「実はね、こうゆうのがあっちゃったりする」岡田がコートの内ポケットの中を見せた。

 まさかの拳銃で。

「おい、お前」

「せいせいせーい。よく任意のとき見つからなかったね~とか心配してくれんの?」

 とんでもないものを持っている。

「ちな、前職のときにかっぱらったんじゃないよ?」

「冗談でもやめてくれ」

 宮内庁管理下の敷地内でこんなもんぶっぱなされて堪るか。

「出ないかな~。来ないかな~」岡田が屋根の上を見つめながらウキウキと身体を揺らす。

 駄目だ。

 いまだけは来ちゃいけない。

「他は? どこがあった」

「生きてる姿はあと二条城の北。これが鵺池かな」岡田が言う。「さっき地図見たけど、二条城の北東にあんだよね、御所ここ。生きてなくていいなら、鵺の亡骸を処分したっていう鴨川と、埋めたっていう清水寺だけど、清水寺は絶賛調べてくれてるから、鴨川とか行ってみちゃう? すぐそこぽいぽい」

 御所のすぐ東。

 あの有名なY字の川があった。

 8時。

 Y字の部分は鴨川デルタと言って、ちょっとした広場みたいになっていた。

 岡田がどうしてもというので、飛び石を渡らせた。

 行って帰って往復した。同じ目的の子どもに紛れて楽しそうにしていた。

 釣りをしている人もいる。

 ふと、

 風が凪いだ。

 黒い。

 大きな。

 獣か。

 鳥か。

 トンビじゃない。

「ちーろちゃん!!」

 岡田が内ポケットに手を入れたので体当たりして止めた。

「なんでよ!!」

「莫迦が! 何人見てると思ってる!!」

「人目なんか気にしてたら」

 ツェー。

 シーシーシー。

 下流に向かって飛び立った。

 逃げる。

 抜け落ちた羽が川を流れて行ったので追いかけたが存外流れが早い。

「証拠!!」

 岡田も一緒に追いかけてくれたが。

 結果。

「体力ねえな」

「俺も~」

 でも咄嗟に写真は撮れた。

「やる~~」岡田が意味不明なハンドサインを寄越した。

「逆光で見えないな」

 輪郭は小柄な狸だったが、翼があった。

 俺が伏見稲荷の頂上で見た奴と同一だろうか。

「ね、ね、お手柄じゃん。さくっと画像分析してもらっちゃおう~~」

 鬼立に連絡して捜査本部に持ち込んでもらうことにした。

「京都府警はお前から連絡しろ。俺は俺で調べさせる」鬼立が電話口で言う。「しっかし、本当に出くわすとは」

「悪運だけはいいらしい」

 調べてもらっている間に、二条城の北西側にある二条公園の鵺池に行った。遊具が点々とする長方形の敷地の北側にあった。

 鵺池伝説の説明書きによると、平家物語に鵺が出てくるらしい。

 頭は猿。

 胴は狸。

 手足は虎。

 尻尾は蛇。

 鳴き声がトラツグミ。

 天皇の住まいに現れた鵺を射たのち、血のついた鏃を洗ったのがこの池だそうだ。

 楕円形の中州に枝垂れ柳があり、その周りをUの字に囲む形で池がある。

 長方形の公園をぐるりと水路が走っており、その始まりか終わりが鵺池。池の深さはマックスに水が入っても30センチほど。

 鵺池の碑が柳の前に立っていたが、かすかに見える「鵺池碑」以外は表面がすり減っていて読めなかった。

 池の後方に朱塗りの鳥居と祠を見つけた。

「御所で矢を射って落ちたのがこの辺だったらしいよ」岡田が言う。

 鵺大明神。

「あー、でもさすがに昭和に建て直したってやつね」

「だろうな」

 当時のまま残っていても京都ならあり得るが。

「さっき仕留めといたらよかった~~。悔し~~」岡田が頭を抱えて蹲る。「俺さ、射撃の腕だけは自信あんだ」

「せめて人目のつかないところに出てくれりゃあな」

「そんなの京都じゃ駄目だよ~~」

「市街地じゃなくてもっと山のほうとかな」

 警察から連絡があった。早速画像分析が終わったらしい。

 頭は猿。

 胴は狸。

 翼は鳶。

 手足は虎。

 尻尾は蛇。

「マジ?? マジのマジもんの鵺じゃん。うげ~~」岡田が言う。

 全長60センチ。

 翼を広げると1.5メートル。

「さっき見えたろ?」

 眼はいいと聞いている。

「見えはしたけどさー。まっさかまっさかだと思うじゃん。マジで~~?」

 鬼立からも裏が取れた。

 見解は同じ。

「マジのマジにヤバいじゃん。こんなんマジで飛び回ってんの?」

「問題は知能が残ってるかどうかだな」

 鬼立と合流する前に見解を聞きたい奴がいるが、果たして応じてくれるか。









     2


 鬼立と岡田には席を外してもらった。

 三千原が手配してくれた豪華なホテルの一室。

 その中央に立つ。

 誰かいるとできない。

 会ってくれない。

「いるんだろ」

「だから僕は知らないって言ったじゃん。そっちでやってって」

 夢で会うほうが簡単だが。

 危機的な状況を鑑みて出てきてくれたものと期待。

「いいようにとるよね」

「本題だ。時間がない」

「君にはないだけ。僕にはたっぷりある。遅延もできる」

「しないでくれるとありがたい」

 鵺について。

「写真撮ったならいたんじゃない? そうゆうことじゃなくて?」

「あれは、キジ=ハンが創った。そうだろ?」

 空気がずっしりと湿り気を帯びた気配。

「居場所なんか知らないよ」

「ヒントは」

「フツーに考えなよ。市街地でそんなことできると思う?」

「輸送もあるから海か」

「京都に海ってある?」

「ないわけじゃないな。助かった。あとはなんとかする」

「武器がないのに?」

「あるよ。とっておきのが」

「随分信用してる」

「まあ、たまにはな」

「嫉妬する」

「一時的なもんだから」

「ならいいけど。うまくいくといいね」

「助かった。また頼む」

 気配が消えた。

 全身に汗がじっとりと絡みつく。

 服も使い物にならないくらいびっしょり。

 シャワーを浴びて、温泉にも入った。

 鬼立から何度か着信があった。

 仕方ない。掛け直す。

「終わったか」鬼立が安堵したように言う。「どこだ」

「海だ」










     3


 市内から車で約100分。

 岡田が運転してくれた。

 鬼立は調整に回ってもらった。という建前で置いてきた。

 鵺と戦うなら岡田の銃が要る。

 そのために昼間は避けた。

 20時。

 問題はこの海のどこにいるのかだが。

 海に面していてかつ、眼の付きにくい場所。

 あった。

 探そうと思って探さないと見つからなかったが。

 暗い。

 研究所のような明らかに用途不明の白い建物。

 照明の光が窓から漏れている。

 地元民は怪しまなかったのだろうか。怪しいからこそ近づいていなかったのだろうか。

 そっちか。

「裏から?」岡田が内ポケットに手を入れながら言う。

「先に言っとくが、この先に俺の顔見知りがいる可能性が高い」

「へ?」岡田が素っ頓狂な声を上げる。「は? え??」

「黙ってて悪かった。鵺が出た段階でそいつの仕業じゃないかと予想が付いてた」

「まじー???」

「でかい声出すな」

 建物は物々しい高い塀で囲まれている。脱走防止だろうか。

「忍び込めるとは思ってない。だから正面から行く」

 呼び出しブザーを押した。

「夜分遅くすいません。陣内と言います。そっちにいるキジ=ハンに用がある」

 ブツブツと機械のノイズ音がして。

 門が自動で開いた。

 ひたひたという足音と共に何かが近づいてきた。

 暗くてよかった。

 案内役もキメラだ。

「ど、うぞ。こち、らへ。ちーろ」歪んだような波打った音声だった。

 キメラが俺の名前を呼ばなかったら、岡田が脳天を撃ち抜いていた。

「え、知り合い?ちーろちゃん」

「行くぞ」

 駐車場(輸送に便利そうなトラックが数台停まっている)を抜けてメインの建物へ。

 中は独特の匂いがした。生臭いような、獣臭いような。

 俺たちが入った瞬間に、照明がオレンジから白に変化した。おかげで眼の前のキメラがよく見えた。

 全長165センチほど。ぶくぶくと横に大きい。眼が退化し分厚い瞼で覆われ、口がナマズのように裂けている。二足歩行のキメラの体表は、ぬめぬめと鈍く光っている。ブルーのつなぎを着て、おそろいの帽子をかぶってはいるが体表が人間のそれとは一線を画す。魚の鱗のようだったので魚のキメラと呼称する。

 内装も白で統一されているためちかちかと眩しい。エントランスホールを抜けてエレベータへ。

「みず、がね。ほ、しい」魚のキメラが言う。

「ほらよ」持っていた飲みかけのペットボトルを渡した。

「ありが、と。おい、し、い」魚のキメラは蓋を指でこじ開けて、そこからこぼしながら水を摂取した。

 岡田が化け物でも見るような眼で俺と魚のキメラを見比べている。

「こいつとはさっき初めて会ったからな」

「そっちじゃないよ。え、え、どゆこと? なんでフツーに会話してるの?」

「会話できるからだろ」

「なま、え。ない。けど、そっちのひと、だれ?」

「名前聞いてるぞ」

「ええ~。あ、はい。岡田っす。よろしく~?」

「おか、ださん。よろし、く」魚のキメラが帽子を押さえて会釈する。

 エレベータが3階に着いた。

「ここ、まで。ちーろ、おかださん、あと、ふたりで」魚のキメラはエレベータ内に残った。

「案内助かった」

「みず、おいしい」

「ならよかった」

「え、あの、お帰りもよろしく~」岡田が恐る恐る言う。

 魚のキメラが肯いてエレベータのドアが閉まった。

 探すまでもない。正面にやけに仰々しい観音開き。

 ノック。

「キジ=ハン。いるのはわかってる」岡田にアイコンタクトで銃を構えるように伝えた。

「いいわよ。急に来たのは吃驚したけど」

 よかった。今日は日本語で話してくれてる。

「入るぞ」

 岡田に前に出てもらって、キジ=ハンをいつでも撃てるように構えさせた。

「随分な挨拶ね」

 闇に覆われた部屋。中央の応接セットだけスポットライトが当たっている。ライトの下にキジ=ハンが脚を組んで座っていた。

 黒く真っ直ぐの長い髪。アオザイ(ボトムなし)のような紺色の衣装からは、白く細い脚がのぞく。座っているからはっきりわからないが、以前会ったときは身長175センチ程度あったと思う。

 そんなことよりまず眼を引くのが、顔面左側の傷。眉も生えておらず、左眼はほとんど見えていない。

 昔の事故の痕を消さずにわざと記念に残してあると聞いたことがある。

「久しぶり、ちーろ」

「会うつもりはなかった」

 岡田にはまだ構えてもらったまま。

 これをしながらでないと安心して話せない。

 なにせ、闇に潜む姿が見えない獣の気配で神経がすり減るから。

「何か用があったんでしょ?」キジ=ハンが座ったまま言う。

「聞きたいのは一つだ。鵺について」

「ああ、あの子。ここから逃げちゃって。捜してたのよ。どこにいるの?」

「捕まえに来てくれないか」

「嫌よ。あの子乱暴なんだから。失恋した憂さ晴らしでもしてるんじゃないの?」

 やっぱり。

 そうなのか。

「鵺の正体は」

 厨府研太郎。

「私のとこに来たのよ。鵺にしてほしいって」

「嘘だな。どうやってお前に辿り着く」

「ネットでバイトを募集してるのよ。ああ、やってもらうことは私が決めるんだけどね」

「そっちが捕まえるのは駄目なんだな?」

「捕まえたあとの処分なら協力してあげる。ちーろが言うからやってあげてるのよ」

「助かる」

「そんなことよりさっさとその物騒なもの下ろしてちょうだいよ」

「聞かなくていい」

「わかってる」岡田の肩がびくりと震えた。「この人、この人の後ろ、何がいんの? 何これ」

 岡田は眼がいい。

 周囲を取り囲んでいる護衛用のキメラがぜんぶ補足できているのだろう。

「誘き出す方法があるか」

「人語が通じるうちに呼び出したらどう?」キジ=ハンが肩の辺りに手を上げる。

 岡田が身構えた。

 周囲を覆うの闇から紙切れが落ちてきた。

 履歴書?

「連絡先あるでしょ。あげるわ。もうあの子、うちで働けないから」

 厨府研太郎の電話番号があったが。

「問題は、ケータイ持ったままかどうかだな」

「せっかくだから、いいもの見せてあげるわ」キジ=ハンが立ち上がる。

 タイムラグなしで周囲の闇が牙を剥いた。

「駄目だ。指が」

「あなたいい眼を持ってるわね。そんな眼じゃ当たりそう。当ててみなさい」

 どうなるか保証しない。

 でも構えないと怖くて話せない。

 俺はだんだん感覚が麻痺してきたが、岡田が逆の意味で限界らしく。

「ごめん、無理。もう無理」岡田は泣いていた。泣くというより生理的な涙が出ただけだろうが。

「先に出て。その子落ち着かせてあげて」

 キジ=ハンの言う通りに先に部屋から出た。

「大丈夫か」

 廊下は薄暗い。

「ああ、俺、どうしてた? 撃った?」

「撃ってない。まだ、な」

 岡田の同僚が襲われたときと状況が似ていたのだろうか。

 傷は癒えていない。

「ねえ、撃っていい場面てありそう?」

「撃ったら命がなくなるだろうな」

「だよね? わかった」そう言って岡田は銃を内ポケットに戻した。が、手はそこから離さないようだ。

 魚のキメラに連れられて(キジ=ハンじゃなくて安心したが、現地集合だった)移動した。

 地下2階。

 照明は感応式フットランプだけ。

 気のせいでなければ床面は薄く水が張っている。

 ぴちゃんぴちゃんと足音が3つ反響する。

 狭い通路を進んでしばらくすると、開けた空間に出た。

 部屋の中央に檻があり、人間らしき少年が蹲っていた。

 人間か?

 ほとんど裸で、髪も乱れて。

 生臭さと、獣臭さが時間差で襲ってくる。

「これがなんだ」

「見てて」キジ=ハンは天井近くの通路にいた。スタジアムをぐるりと取り囲む観覧席のようだった。

 檻の奥側の格子が上下して、そこに体毛の濃い四足歩行の獣と、爬虫類のようなウロコを纏った二足歩行の生き物が少年に近づいていった。

 なにを。

 するのか。

 喰われたほうがまだマシだった。

 悲鳴は聞こえない。少年はもう抵抗する力が残っていない。

 レイプされている。

 銃声。

 2発。

 岡田がキメラにヘッドショットを食らわせた。

 黒い液体が飛び散り、びくびくと痙攣し、やがて動かなくなった。

「なんで止めるのよ」

「気分が悪い」岡田は怒っているようだった。「あんたも喰らわせてやろうか」

「いい腕ね。私のところで働かない?」

「お断りだよ。いーーーっだ」岡田が歯を剥き出して威嚇する。「ちーろちゃん、帰ろう」

 少年は生きているのだろうか。

 岡田が止めたような気がしたが檻に近づいた。

「おい、生きてるか」

 少年は傷だらけだった。ありとあらゆる傷の見本市だった。

 仰向けでぼんやりと宙空を見つめている。

 いや、見ているように見えるだけだ。

「こいつは?」

「どうもしないわ」キジ=ハンが手すりに頬杖する。「だって、その子が殺しちゃったもの。面白いショーが終わっちゃったわ」

「じゃあ俺が連れ帰っても問題ないな?」

「いいわよ。そもそも乗り気じゃなかったんだけど、せっかく見つけたし。ちょっと折檻でもしてあげようと思っただけ」

 折檻をする相手は。

 銃声。

 弾が手すりに当たって跳ね返った。

「お前、自分の息子に」岡田はわざと外した。

「私の子だからでしょ」キジ=ハンが言う。「誰がこの子を叱るのよ」

 いまの銃声に反応したのか、闇に紛れていたキメラが歯ぎしりや爪とぎを始めた。

「いいよ。いまの内に」岡田が護衛キメラに向けて銃を構えている。

 檻の中に入って、俺のコートを彼にかける。

 抱きかかえた。

「これ、忘れ物」キジ=ハンが何かを放り投げた。

 生徒証。

 少年の名前と学校が書いてあった。

 龍華タチハナ彌能末やたすえ

 京都市内の私立のようだ。

「家に送ってあげて」

 キジ=ハン主導で息子に折檻をしていたわけではなさそうだった。

 本当に?

「早く行きなさい。連れてきてくれるの楽しみにしてるわ」

 京都市内まで100分。

 ホテルに着いたら次の日になっていた。

 25時。

 ホテルの従業員に怪しまれないように堂々と部屋に戻った。

 まずはシャワーで血と汚れを落とした。

 その間に岡田が服を買いに行ってくれた。深夜だがなんとかなるだろうか。

「大丈夫か」

 傷は命に関わるほどの重篤なものはなかった。

 瞼が痙攣している。呼吸もなんとか。

「もう大丈夫だ。喋れるようになったら家を教えてほしい。送っていく」

 わずかに頷いたように見えた。

 彼の寝息が聞こえた。

 岡田が戻って来ないのでバスローブを着せて俺のベッドに。

 鬼立はまだ警察署か。

「戻った」電話をかける。

「俺も帰るところだった」

「帰って来てビックリするなよ」

 まさか少年を拾ってきたとは思うまい。

 岡田から連絡があった。さすがに空いてる店がなかったので明日(時間的にはすでに翌日だが)買ってくる、と。

 俺のベッドで眠っている少年を見て鬼立が眉をひそめたが、溜息を吐いてそれ以上何も言わなかった。

「鵺の正体がわかった」













     4


 7時。

 ほとんど眠れなかったが、少年が眼を開けた。

 まだ口が利けないようだった。

 さすがにバスローブでビュッフェに連れて行くわけに行かなかったので、コンビニですぐに食べられる物を買ってきて与えた。

 俺も一緒に食べた。俺だけビュッフェに行くのは気が引けた。

 鬼立は自分の上司からの連絡で席を外した。

 8時。

 岡田から連絡が来た。服は買い次第届けるので、鍵を貸してほしい。少年の面倒も看るから、と。

 9時。

 岡田に鍵を渡して、警察署まで歩いた。

 鬼立は現地集合かと思ったが、いなかった。あとで合流するだろう。

 俺を最初に取り調べした捜査員(名を田中というらしい)に、厨府研太郎の履歴書を渡して詳細を話した。

 研究所の場所と、電話で呼び出せることだけ伏せて。

「わかりました」田中が言う。「ご協力感謝します」

 10時。

 鬼立がどこかに行ったが今がチャンスだと思った。

「行くぞ」

「え、龍華くんは?」岡田が言う。

「もう大丈夫です」龍華が上体を起こそうとしたのでそのままでいいと伝えた。「家にも自分で帰れます」

 岡田が買ってきた服を着ていた。

 高校生だろうか。

「ありがとうございました。助けていただいて」

「いや、無事でよかった。もう少しゆっくりしてもいいぞ」

「いえ、これ以上迷惑もかけられないし、養父母も心配してますし」

 やっぱりキジ=ハンの実子なのか。

「はい。残念ながら。黙って家を飛び出したのがバレてあんな眼に遭ってたんですけどね」

 キジ=ハンの家庭の事情はどうでもいい。

「とにかく生きててくれてよかった」

 好きなときに帰っていいと伝えた。自宅まで送っても良かったが、送ってきた俺たちを養父母に説明するのが面倒だと言われた。

 11時。

 車で移動。

 珍しく鬼立への連絡がつかない。

「決戦の場をどこにするかだが」

「俺はどこでもいいよん」岡田が運転しながら力こぶを叩く。

 真昼間の市街地でドンパチはできないが、岡田の腕なら一発で脳天を撃ち抜くだろう。

 その前に話を聞きたい。

 登録しておいた電話番号にかける。

「だれなん?」

 舌足らずのような、低い声がスピーカから聞こえた。

「厨府研太郎か」

「おまえは」

「陣内だ。一応、探偵ってことになってる」

「いちおう?」

「俺はそう思ってないってだけだ」

「俺は岡田~。よろしく~」

「ふたりいはるのか」

「そ。陣内探偵の相棒でっす!」

 岡田は市内を適当に流してくれている。

 居場所のヒントが聞けたらすぐに移動できる。そんな眼線を感じた。

「警察が血眼になって捜してる。引き渡してもいいが、死骸を持っていくという条件でお前の正体を聞いた。そいつのところに持っていかないといけない」

「あのおんななんか」

「お前を鵺にした張本人だ。なんで鵺になったんだ」

「しょうせつよんでへんの」

「小説のためか」

「ほかにあらへん。もっとしられるべきなんや」

「宣伝のためにやるにしては命がかかりすぎてる」

「やりかたはおれしだいや」

「三千原はお前が殺したのか」

「びっくりしてあしをすべらせただけやねんな」

「事故なんだな?」

「おれをみてぜつぼうしておちたかもしれへんな」

 それだと自殺に見せかけた他殺になる。

「あけずはしんだんか」

 三千原の下の名前か。

「意識不明だ。死んではない」

「しんだとおもってたわ」

「これ以上罪を重ねるな」

「おれはやってへん」

「人側の共犯がいるのか」

「きづいたらしんでたんや。あけずとおなじやな」

「自白と見ていいか」

「どうやってつかまえはるん」

「捕まえはしない。俺の相棒が撃ち落とす」

「しにたない」

「鵺は裁判も受けられないし病院にも入れてもらえない。殺処分しかない」

「にげるわ」

「ねえ、もう終わりにしたいんじゃない?」岡田が言う。「楽になろうよ。一瞬で終わらせてやっから」

「覚悟ができたら連絡をくれ」地図のURLを送った。

「にげたる」

 電話が切れた。

「説得失敗?」岡田が言う。

「さあてな」

 三千原の意識が戻ったと田中から連絡が来た。

 12時。

 警察署から離れた市内の病院。

 集中治療室から一般個室へ移った。

 白い空間に、全身を固定された三千原が寝ていた。

「どうも。お久しぶりですな」三千原が言う。

「喋れるのか」

「胸の辺りが痛いんやけど、まあ、なんとか」

 俺はベッドサイドに座った。岡田は入り口付近に立った。

「どこまで知ってる?」

「研太郎が容疑者ゆうことでしょか」三千原が言う。

「清水寺で見たか」

 鵺。

「ひと目でわかりました。あれは研太郎ですわ。なんで、なんでこんなことに」三千原が項垂れた。両手で顔を覆いたかっただろうが生憎と両手は骨が折れているのか固定されている。「あんな、あんなの。ただの化けもんやないですか」

「別れたんじゃないのか」

「別れただけです。売り言葉に買い言葉で。仲直りしたかったんやけど」

 クリーム色のカーテンが空調で揺れる。

 来客があったが、岡田が入口で事情を言って止めてくれた。

「家族やろか」

「わかった、俺らが邪魔だ」椅子から立ち上がる。「一つだけ。あいつをどうにかしていいっていう許可はまだ有効か」

「有効なわけあらしませんよ。私はもう現場の指揮を取ってへん。それに」

「わかった。あんたの許可なしでやったことにする」

「待ってください。待って。研太郎を殺さはるんじゃ」

「あれは化けもんだ。あんたの愛した恋人じゃない」

 岡田を連れて病室を出た。

 すれ違ったのは年配の男女。三千原の両親だろう。

「うへーい、しびれた~」岡田が病院を出てから言う。「アレは化けもんだ。あんたの愛した恋人じゃない。いいね~」

「茶化すな」

 13時。

 鬼立と連絡がつかない。
















     5


「いつもそれ読んだはるね」

 面白いから。

 読んでみてよ。

「そんなことより来週の予定のことなんやけど」

 そんなことより?

 君にとってはその程度かもしれない。

 でも俺にとっては。

「俺よりだいじなん? 俺より」

 そうは言ってないけど。

「でもそうやんか。もうあかん。一緒にいられへん」

 わかった。

 君がそう言うなら。

「履歴書は見てないわ」

 面接重視なんですか。

「そ。なんでもするって聞いたけど」

 なんでもします。

 でもその代わりに。

「4人の女を扼殺? 用意すればいいのね」

 協力してくれるんですか。

「でも約束したわよ。なんでもするって」

 眼が。

 眼が痛い。

 いたいいたいいたい。

 見える。

 あけずが。

 ごめん。

 落ちた。

 見える。

 撃たれる。

 逃げないと。

 電話が来た。

 よかった。

 まだ、

 いみがわかる。

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