第2章 高い舞台のその底辺

    1


 一睡もできなかった。

 手を伸ばせば届く範囲に(ツインのベッドが近すぎる)岡田が寝ていて、大いびきをかいていて、寝像も悪いし、いつこっちに転がって来ないかとか構えていたら。

 朝になっていた。

 せっかくなので岡田が寝ている間に温泉に。

 6時。

「あ、ちーろちゃん、おはよ~~」岡田が起きた。大あくびをしながら眼をこすっている。「温泉行くの~。いってら~~~」

 言い終わるや否や俺のベッドで寝始めた。大いびき再び。

 駄目だ。相手は寝ぼけてるんだから。

 確かに庭に温泉があった。昨夜は岡田が独占していたのでシャワーで済ませた。

 夕食はドレスコードがなくてほっとしたが、とにかく落ち着かなかった。レストランの厳かな雰囲気をぶち壊しそうな岡田を見張るのに神経を擦り減らされて。

 なんとかテーブルマナーは問題なかった(ぎりぎり)ものの、リアクションが大きくて。声こそ出ていなかったが、美味いのはわかる。わかるんだが、もう少し行動を静かに。頼む。と祈りながらだったので、味なんか憶えていない。

 これを、

 何週間繰り返せば?とか考えたら頭痛しかしなくて。

 早めに鵺を捕まえて帰ろう。

「ちーろちゃ~ん。おっは~~~」岡田が部屋から露天風呂をのぞいている。

「来るなよ」

「え、裸の付き合いしないの?」

「なんで脱いでるんだ」

「おっじゃましま~~~!!!!」

 飛び込まなくてよかった。恥ずかしい。

「なんで鵺なんだろうね」岡田が湯船に沈む。

 浴槽は大理石。壁に背中を付けて横並びになった。

「なんでって?」

「名前が付けば何でもよかったのかな~って思ってるけど」

「お前の仇には名前があるのか?」

「う~んとね、カルト教団が崇めてたやばい神様」

「神か」

「そう。だから違うかもしんない」

「やめて帰ってもいいんだぞ。俺が受けた依頼だ」

「まっさか~。ちーろちゃんだけ置いて帰るわけないじゃん。最後まで付き合うよ、相棒!!」岡田に肩をパンと叩かれた。

 湯が跳ねる。

 大理石のブロックから絶えず湯が湧き出ている。

 本当に温泉なんだろうか。水道水だろうとどっちでもいいか。

「ちーろちゃん、ホントは何する人なの?」

「探偵じゃないな、少なくとも」

「周りが勝手に~ってやつでしょ。じゃあ何して生計立ててる人?」

「お前は?」

「ん? 俺はなんでも屋さん。ゆったじゃ~~ん。でも軌道に乗るまでは退職金食い潰してるんだけどね」

「俺も似たようなもんだ」

「そうなの? てか、ダメダメ。ちーろちゃん、もっと自己開示しようよ~~。なんか俺ばっかり~」

「言いたくない」

「ええ~。じゃあ勝手に想像しとくよ」

「先上がってる」

「へい~~」

 身体を拭いて、服を着て、椅子に座る。

 京都に来ると決めたときから電源を切っていた私用のケータイを見る。

 メールと着信がヤバい数になっている。

 無視。

 ケータイを二台持っていて助かった。

「ちーろちゃん、恋人いるの?」

「いいから隠せ」岡田が真っ裸で歩いてきたのでタオルを投げた。

「ごめんごめん。超リラックスモードしてた~」岡田がタオルを拾って腰に巻く。

「服を着てくれていい」

「ねえねえ、恋人は?」

「なんで恋人について聞く?」

「ケータイ見てたじゃん。そんな顔で」

「何の話だ?」

「あれ?気づいてない」岡田がTシャツを着てから俺の向かいに座った。「すっごい眼が優しかったよ~」

「伊達なのか」サングラス。

 というかサングラスってフツーは度を入れないのか。

「うん、視力2.0!! 超見える」

 自分の顔が見えないから、そんな眼をしていたのかはよくわからない。

「このこの~。隅に置けないね~~」岡田が肘で肩を撫でる。

「ふざけてないで朝食行くぞ」

「さー、いえっさー!」

 7時。

 朝食はビュッフェ式。料理名もわからないくらい豪華な料理が並んでいる。

 ふと岡田を確認したが、まだ眠くてテンションが平常じゃないのか思ったより静か(動きが)だった。

 なによりだ。

 お陰で昨日の夕食より味が楽しめた。

 昨夜フロントに確認したが、部屋は最低で1ヶ月予約がなされているらしい。なんという税金の無駄。

 安いビジホでシングルを二部屋用意してもらっていたほうが気が楽だった。

 滞在期間が読めないから余計に。

 いまのところ1週間に一人。

 全部で最低7人。

 すでに3人なのであと最短で1ヶ月か。長い。

 ホテルのポーチに車が横付けされていた。パトカーではなかったが、誰が乗っているかすぐにわかった。

「おはようさんです、陣内様とおまけ」三千原が運転席から降りてきた。「本日もほんまにええお日柄で」

 曇りだ。

「挨拶はいい。今日は勝手に回らせてもらう」

「せやからこれをどうぞ?」三千原が車を指し示す。

「え、いいの? これ乗っていいの?」岡田が嬉しそうに車体を撫でる。

「免許証あらはるんでしょう?」

「ちーろちゃん、行こう。俺、運転するからさ!!」岡田がテンション上げ気味で言う。すでに運転席に乗り込まん勢いだ。

「本当か」三千原に確認する。

「ええどうぞ?て先ほどからゆうとるんですが」

 ちなみに俺は免許証を持っていない。持ってくるのを忘れたんじゃなくて、運転がそもそもできない。

「わかった。ありがたく借りる」

「ああ、ゴールド免許の方」三千原が運転席に言う。「くれぐれも事故らんといてくださいね」

「まっかせて~~!!」岡田が機嫌よく返事した。「ゴールド死守するから安心してくれちゃって~~」

 俺は助手席に乗った。ナビに目的地を入力しようとしたら車が発進した。

「3件目のとこっしょ? まっかせて~。場所はなんとなくわかるから」

「なんとなくじゃ困るんだが」

 案の定、一方通行に苦しめられてやたらと時間がかかった。道も狭いし、チャリとバイクが多すぎるし、歩行者はゆっくり横断するしで散々だった。おまけに駐車場の空きがないときたらもう。

 ストレスがかかりすぎる。

 9時。

 昨日ぶりだが、相変わらずここは観光客でごった返している。

 またこれを上がるのか。

「車で行ければいいんだけどね~~」岡田が言う。

 てっぺんまで30分強らしい。とにかく黙々と上がった。曇りだったのが唯一の救いで。上に行くごとに観光客の数は減っていった。

 くだんのてっぺんの神社。

 警察のブルーシートは撤去済み。

 屋根の上までは見えないが、俺がちょうどここに立ったときに落ちてきた。

 落とした?

 俺に見せようと思って落とした。

「ちーろちゃん、見たんだっけ?」岡田が言う。

 周囲に誰もいない。山を下っていった観光客の後ろ姿は見えたが。

 すでに片付いた現場に行くより、次に出るところを探したほうが確保確率が上がるような気がする。

 おあつらえ向きに電話が来た。

「ええことがわかったので署まで来てくれへんでしょうか?」三千原の声が跳ねていた。

「電話じゃ駄目なのか」

「直接お伝えしたいんですわ」

 仕方ない。

 車で移動する。岡田の運転は上手くもなければ下手でもなかった。

 ついあいつと比べてしまう。

「ええことってなんだろうね~」岡田が言う。

 どうせ碌でもないことだろう。

 警察署は物々しい雰囲気に包まれていた。

「ああ、こっちです」三千原が言う。「詳しいことは奥で」

 応接室。煎茶だけ。お菓子はノートPCに化けたようだ。

「メッセージの内容憶えてはりますか」三千原がホワイトボードの脇に立つ。

 メッセージの短冊の写真が3つ。

 長い歴史のその周辺。

 高い蝋燭のその下辺。

 長い鳥居のその天辺。

「これと同じ文言がネット上で見つかりましてな」三千原が興奮した様子で言う。「趣味で書いてはる小説を投稿するサイト。そこにありましたわ。この文言はマスコミに流してへんので、警察しか知らへんのです。しかも投稿の日付が一年も前」

 PCのモニタに表示されていた。該当部分をドラッグして目立つようになっている。

 長い歴史のその周辺。

「全文印刷したんがこっちですわ」三千原がテーブルに紙の束を置く。「タイトル『めらめら燃えるきめらが燃える』。作者名エヌヱ。身元は照会中です。一言一句たがわぬ文言ゆうのがもう」

「人間側の容疑者か」

 遺体の中にあったメッセージが、そのまま小説の章タイトルになっている。いや、順番から言うと逆か。

「いんや、これ、世界中から見れるんでしょ」岡田が言う。「ならこれを見た人間なら誰でもできたんじゃない?」

「閲覧数見てからゆうてください」三千原が言う。PCを操作しながら。「1人です。たった1人。ゆうことは作者と過去のたった一人の閲覧者に絞られるゆうわけですわ」

「え、一人」岡田が言う。

「アマチュアの投稿サイトなんてそんなもんと違いますか?」

「この一人は探せるのか」

「いま、照会中です」三千原が言う。

 小説の冒頭を斜め読みしたが、京都を舞台にしたミステリィのようだ。

「読んだのか」

「読んだおかげで今後の遺棄現場が予測できましたわ」三千原が得意げに言う。「次は清水寺です。このあと下調べに行かはったらええですよ」

「おんなじだね~」俺より先のページまで読んでいた岡田が呟く。「おんなじじゃん。これ、正解じゃん。これ書いた人か、これ読んだたった一人の人しか、事件再現できないじゃん。すご~、さっすが刑事さん。いや~、違うわ。さすがだわ」

「褒めても何も出ぇへんねんさかい」三千原が誤魔化すような咳払いをした。

 おそらく見つけたのは三千原本人じゃない。捜査はそもそも組織でやっているので誰の手柄とかはないだろうが。

 ネット小説を再現した事件。

「これのURLわかるか」保存して夜にでも読んでみよう。

「キメラ?」岡田が言う。「鵺ってそうか。キメラか。マジに鵺っているんだね」

「捜すしかない」

 そのために俺がここに来た。

 キメラ作製を趣味とする女。

 キジ=ハン。













     2


 小説の作者の本名は、江縫エヌイ瑛壱えいいち。秋田在住のバイト。24歳。

 秋田県警の協力を得て、京都府警の警察署にやってきた。

 18時。

 昼間は清水寺に行ってきた。

 岡田は修学旅行以来と言っていた。ここも観光客の数が並みでない。伏見稲荷と同じで到着するまでが遠かった。土産物屋が立ち並ぶなだらかな坂を延々登って。

 高い舞台のその底辺。

 舞台に上る必要はない。その飛び降りた先。

 いまのところ何もない。それはそうか。来週の出来事なんだから。

 起こる前に止められるだろうか。

 江縫は2週間前も、1週間前も、昨日も秋田にいたという完全なアリバイがあった。バイト先のタイムカードがそれを証明していた。

「遠隔でやらせたとしたらどうだ」

「ああ、発案――原作が彼で、現場に実行犯がいるってこと? そもそも人間と鵺の共犯だもんねぇ」岡田が言う。「そうなると、たった一人の読者じゃなくても、彼本人から計画を聞いた人間なら誰にでも可能ってことだよね。う~ん、名案?」

 応接室で待機。取調室には入れてもらえない。いまのところ。

 三千原が重い表情で戻ってきた。

「どうだった?」

「お会いにならはります?」

「黙秘ってこと?」岡田が言う。

「いえ、話はしないわけと違うんですが」

 取調室には捜査員が二人いた。三千原の合図で退室。

 俺は正面に座った。岡田は少し離れて座った。

「江縫さん」

「さっきからそう言ってますけど?」

 繰り返し同じことを聞かれて気が立っているのだろう。

 何遍も色を抜いた髪色はすでに何色かわからなくなっている。肩口が緩くなったTシャツ。ジャージのボトム。本当に普段着のまま連れて来られたようだ。どこにでもいる若者のように見えた。

 少なくとも外見は。

「俺は陣内という」

「俺は岡田~。よろしく~~」岡田が手をひらひらと振る。

「俺はなんもしてないんすよ」江縫が言う。

「小説を書いただろ」

「小説書いただけで捕まるんですか?」

「そうは言っていない。あんたの小説の読者、あんまり多くないみたいだが」

「大きなお世話っすよ。好きな小説書いて、見たい奴にだけ見せてるだけなんで」

「秋田弁じゃないのか」

「じじばばしか話さねえよ。もう、早く帰してください。今月のバイト代入らないと家賃が」

「本当のことを話せば帰れるんだ。たった一人の読者と交流があったか」

「さっきも言いましたけど、どこのだれが読んだかなんて」

「そっちはサイトの運営側になんとかしてもらったほうが良さそうかも」岡田が助言する。

「交流はないんだな?」

「ほんとのこと話したら帰れるんすよね?」

「ああ」

「何度か感想もらったことはあります」

 あるじゃねえか、交流。

「でも、そんだけっす。そんだけであいつ、捕まるんすか?」

「その感想って俺らにも見せてもらえる?」

「もうやってます」三千原の声が部屋に響いた。隣室から覗いている。

「あとは?」

「俺が書くと真っ先に読んでくれて、感想もくれる。でも会ったことも顔も知らない。コメントだけっす。男か女かすら知らない」

「陣内様、こちらへ」三千原が部屋の外に立っていた。

 入れ替えで先ほどの捜査員が二人入って行った。

 応接室。

「たった一人の読者の感想文。これです」三千原がテーブルに紙の束を乗せた。

 束?

「これ、全部か」

「超長文で送られとるんですわ。下手すると江縫の小説より長いのと違いますか?」

「すげ~。愛というより執念感じちゃうね」ぱらぱらと紙を捲っている岡田が言う。

 趣味で書いた小説をネットに投稿した男。

 その小説に対してこの長さの感想文を送りつける唯一の読者。

「はいはい、あんがとさん」部屋に入ってきた捜査員を三千原が手を振って送る。手元にメモが握られていた。「その情熱的な読者の身元わかりましたわ。明日にでも呼んで」きます、が口の中に消えた。

「どうした?」

「いいえ、どうも? 今日はこの辺でホテルへどうぞ。夕食なくなってしもたら申し訳ない」

 なんか。

 おかしい。

 けど追及するきっかけがつかめないまま署の外へ。

「様子変だったね」岡田が言う。運転席に乗りながら。

「なんか隠してるな」

「吐くと思う?」

「明日次第だな。戻るぞ」

 ホテルで夕食を摂って部屋へ。岡田は相変わらず内風呂が気に入っているようで、出たり入ったりを繰り返している。

 私用ケータイ。

 オンにするか否か。

「やっぱ恋人じゃないの~~?」岡田がバスローブを引っかけてニヤニヤ笑いながら椅子に座っている。

「うるさい」

「マジで誰よ。その向こうにいんの」

「俺を探偵なんかにしやがった奴」

「なにそれ~」

「警察官だ」

「警視庁?」

「警察庁だ」

「へ、エリートじゃん。ひええ~キャリア~」岡田が降参とばかりに両手を挙げる。「それが恋人?」

「なんでそうなる」

「俺別にケーベツとかしないよ? 好きになったのがたまたま同性だったってだけじゃん?」

「だからなんでそうゆう話になってる」

 岡田は鼻歌を歌いながらまた内風呂に行った。

 庭に出る。

「いいよ~、裸の付き合いパート2」湯船に浸かった岡田が自分の腕を叩く。

「黙って聞くんなら話す」

 岡田が自分の口を両手で塞いだ。

 俺は庭石の上に座る。

「変な奴でな。この世に正義てゆう絶対的なもんがあるとガチで信じてる。育った環境なのか、歪んだ遺伝子なのか。とにかく莫迦で阿呆な奴だ。行く先々で遺体と遭遇する特異体質の俺と一緒にいれば、世界が平和になると本気で思ってやがる。反吐が出る」

「その優しげな眼元で言われてもさ~」岡田が口に手を当てたまま言う。

「うるさい。もう言わん」

「ごめんごめん。茶化してないよ。今回の旅行はその人に黙ってってこと?」

「言ったら付いて来るだろ」

「付いてこられたら困るんだ?」

「俺と一緒にいないほうがいい」

「相手側はそうは思ってないっしょ」

「だから困ってる」

 岡田が湯船から出て浴槽の淵に座る。

「そうゆう人、だいじにしたほうがいいと思うけどな~」

「余計なお世話だ」

「お世話も焼くよ。俺にはもうそうゆう人、いなくなちゃったから」

 仲間が皆殺し。

「悪い」

「謝ってもらうために言ってないって。まあ、こんなところで俺の入浴姿見守るより、ケータイの電源オンにするほうが先決でない?」

「相談して損した」

「いやいやどうもどうも」

「褒めてない」

 室内に戻って、私用ケータイの電源を入れる。

 着信とメールの数が初日の三倍になっていた。

「ちょっと外す」

「どぞどぞ。ごゆるりと~」岡田が風呂から手を振る。

 ホテルのラウンジまで下りた。

 電話がかかってきた。

「なんだ」

「なんだじゃない」電話口の相手が言う。「お前昨日と今日と一体どこを」

「悪かった」

「謝罪するくらいなら黙っていなくなるな。ああ、よかった。どこぞで野垂れ死んでるんじゃないかって」

「捜させてないだろうな」

「危なかったな。あと一日生存が確認できなければやるところだった」

 可能な限り小声で話しているが、ラウンジでは声が響く。仕方ない。外に出よう。

 20時。

 ライトアップされた二条城が見える。

「いる場所は言えない」

「GPSがある」

「切ってる」

「調べればわかる。なんでいなくなった」

「追いかけられるから」

「また何か事件に巻き込まれてるんだろ? 調べればわかることだ」

「じゃあ捜しに来いよ」切った。

 電源も切った。

 相手は挑戦状と受け取っただろうが、こちらとしては許可をした覚えしかない。

 見つけてくれていい。

 それまでにキジ=ハンに辿りつけばいいだけのこと。

 部屋に戻った。

 岡田が椅子に座って感想文を読んでいた。「あ、おかえり~。お話できた?」

「早く鵺をつかまえないとうるさいのが来る」

「いままでで一番いい顔してる」

「うるさいな」

 岡田のベッドを離したら、今日はよく眠れそうだった。

 二日ぶりに声を聞いた。

 鬼立キリュウ

 俺を探偵なんかにした奴。












     3


 京都に来て三日目の朝。

 呼び出しはなかったが行く場所を確認する意味で警察署に寄った。

「ああ、おはようございます」三千原の顔色が悪かった。

「大丈夫か」

「これ、大丈夫に見えはるんやったら、眼ェおかしなっとるんと違いますか」

 機嫌も悪そうだった。

「熱狂読者の素性は?」

「ああ、そうでしたな。こちらへ」

 応接室。

「昨日秋田から遙々来てもうた江縫エヌイ氏はホテルに。熱狂読者は厨府クリフ研太郎けんたろう。市内在住。36歳、会社員。住所が割れましたんでいま、迎えに行っているとこですわ」

 しかし、昼になっても厨府は見つからず。勤めていた会社によると、2週間前から無断欠勤しているという。

 2週間前。

 最初の遺体が発見された時期と重なるが。

「お前なんか隠してないか」鎌かけてみよう。

「何も」三千原が言う。

「じゃあなんで昨日あんな態度だったんだ?」

「あんなとは?」

「明らかにあのメモ見て動揺してなかったかなって」岡田が言う。「もしかして知り合いとかぁ?」

 三千原が息を吐く。

「観念しろ」

「本部には私から。そのことで担当から外れることんなりますけど、まあ調べたらわかりますわな」三千原は力なく椅子に体重を預ける。「偏見を抱かんといて欲しいんやけど、あれは、研太郎は先月別れた恋人です」

 別れた理由はふとしたすれ違い。

 会うたびに別の男の話をされたから。

「それがまさか、江縫だったゆうて。冗談にもほどがあらしませんか」とうとう三千原は両手で顔を覆ってテーブルに突っ伏してしまった。

 しばらくして、最初に俺を取り調べた捜査員が三千原を連れて行った。

「どうする? 帰る? 車も返さないといけないね」岡田が言う。

「担当が代わっても調査は続ける」

 と、そのつもりだったが。担当が代わったことで追い出されそうになった。

 のを、絶好のタイミングであいつがやってきた。

 鬼立キリュウ木彦もくひこ

 自分の権力を使って、引き続き俺が捜査に関われるようにした。

「早かったな」

 警察署の近くの公園。

 遊具で子どもが遊んでいる。

 岡田は空気を読んで席を外した。

「調べればすぐにわかる」鬼立が言う。「京都と秋田であれだけ大事おおごとになってればな」

 本日も晴天なり。

 ダークグレイのコートを羽織り、わざわざあつらえたスーツ上下。ネクタイもばっちり。銀縁眼鏡の奥に熱いものを秘める、若干28歳の将来有望キャリア。

「お前が動きやすくなるよう言っといたからな」鬼立が言う。

「またそうやって権力を捻じ込む」

 14時。

「昼は? まだだろ」駅まで歩けば中華料理店がある。「ちょっと歩かないか」

 涼しい風が心地よい。

 鬼立は久しぶりに歩いたと呟いた。

「なんだそりゃ」

「いつもは車なんだ」鬼立が言う。「こうゆうのも悪くない」

「京都観光だろ」

「事件を解決してからな。修学旅行以来だ」

「やっぱ修学旅行で来てんのか」

「学校行ってなかった奴には関係ないだろうがな」

「うるさい」

 駅を通り越して裏路地に。何十年もこの地で続いているような街中華の店に入った。名物の肉と錦糸玉子のどんぶりを注文した。鬼立も同じものを食べた。餃子も追加で注文した。

 店内はぎゅうぎゅうに席が並んでおり、予約で入る客がいるほどの盛況ぶり。実際、順番で呼ばれるまで30分ほど店の外で並んだ。

 どうしてわざわざこの店に来たのかと言うと、岡田が事前に調べてくれていた。レビューが軒並み高い得点だと。本当は岡田と一緒に行く予定をしていたが、鬼立が来たので予定を変えた。岡田は岡田で行くだろう。

「美味かったな」鬼立が言う。

 うるさいので奢らせた。

「京都らしいかというと違う気もするが」

「京都らしいことをしたいなら勝手にしろ。ここまでわかってる内容を共有してやるから付いて来い」

 歩いてホテルに戻った。岡田は連絡するまで別行動なので気にしなくていい。

「高そうな部屋だな」鬼立がきょろきょろしながら言う。「風呂まで付いてるのか」

「これを手配した奴が重要参考人になったから早々に追い出されるかもしれない」

 鬼立のために、ここまでの事件を整理することにした。

 鬼立はタブレットでメモを取りながら聞いていた。

 2週間前から奇妙な遺体が発見されている。

 扼殺されてから、猿に喰いつかれ、虎に引っ掻かれ、蛇に噛みつかれた遺体。

 被害者の陰部にボトルが入っており、中には短冊形のメッセージが。

 それはネット小説のタイトルの一部であり、熱狂的なファンが2週間前から行方知れず。

 しかも熱狂的なファンと一ケ月前に別れたパートナが、俺たちをついさっきまで利用していた責任者。

「小説みたいな話だな」鬼立が言う。

「実際に小説なんだよ。話聞いてたか」

「で? これが感想文か」鬼立がベッドサイドの紙の束を指差す。「読んだのか」

「小説の一文一文に言及してここはこうゆう良さがある、こう思った、感動したと事細かに書いてる。知り合いじゃない奴から送られたら一種の恐怖を感じるな」

「否定してる内容ではないのか」

「ないな。全肯定だ。褒めてばっかだった」

「じゃあこれを見て不快に思ったり殺意を抱いたりはないんだな?」

「ねえな。これ見て不快に思う奴がいたら相当自己評価が低いか性格がねじ曲がった奴だ」

 江縫の小説を読むので鬼立が時間をくれと言ってきた。

 暇なので露天風呂に入ることにした。岡田がいないからちょうどいい。

「はあ」

 自然と溜息が出た。

 鬼立が椅子に座ってタブレットを睨んでいるのがここから見える。

 湯加減は熱くも寒くもない。

 ちょうどいい。

 何時だ。

 時計を置いてきた。

 このホテルを移動になったら、適当なビジホを予約するか。

 眠い。

 たぶん夢を見た。

 壁に囲まれた暗い部屋。

 中央に円柱状の水槽。

 見慣れた後姿。

「知らないよ。君がなんとかするんだね」

 眼が覚めた。

 湯に沈みそうだった。

 寝落ちしていたのはほんの数秒だったらしい。

 鬼立はまだ読書中だった。

 邪魔をしたくなかった。

 浴槽の縁に座る。

「のぼせてないか」鬼立が庭に出てきた。

「のぼせそうだった」見られていたかもしれない。「読めたのか」

「途中までな」

 京都を舞台にしたミステリィ小説。

 長い歴史のその周辺――二条城。

 高い蝋燭のその下辺――京都タワー。

 長い鳥居のその天辺――伏見稲荷。

 高い舞台のその底辺――清水寺。

 それぞれの場所で女性の遺体が発見される。

 見た目は、色白、黒く長い髪、化粧気があまりなく、服装も地味、おまけに日本人。

 死因はすべて扼殺。

 成人男性らしき手形が残っている。

「鵺がいない」

「鵺?」鬼立が言う。「ああ、猿と虎と蛇か」

「陰部のメッセージもない」

「じゃあそれが今回の容疑者のオリジナルなんだろ」鬼立が言う。「その2週間前から行方不明の読者で決まりじゃないのか」

「じゃあなんで見つからない?」

「逃げてるからだろ。そんなに簡単に形跡は消せない」

 鬼立の見立ては大きく外れ、なかなか厨府研太郎は見つからなかった。

 3件目が起こってちょうど1週間後。

 高い舞台のその底辺。

 清水寺。清水の舞台から男が飛び降りた。

 三千原サンゼンバラ不明あけず

 救急搬送されて意識不明。ギリギリ生きているような状態。

 馬鹿野郎。

 なんでそんなことをした。

 厨府研太郎はまだ見つからない。

 三千原が飛び降りたとき、欄干に不気味な生き物が止まっていたという目撃情報があった。

 それは、猿にも虎にも蛇にも似ていたという。

 鬼立の権力が功を奏しているうちに何とかしないといけない。

「まだ何か」

 江縫は俺たちと同じホテル(いまのところまだ追い出されていないが、岡田は変な気を遣ってビジホに移った)に泊まっていた。

 毎日9時に警察署に出向くという条件付きで、ホテル住まいが許された。

「中、いいか」

 21時。

「訪ねるにはちょっと遅くないですか」江縫は寝巻姿だった。

「18時まで署だろ? んで、夕飯で、風呂で、このくらいがベストだと思ったんだがな」

 当然同行したがった鬼立は置いてきた。

 あいつは取り調べが致命的に下手くそだ。

「こいつを読んだか」感想文。紙の束を持ってきた。

「はあ、もういいです。入ってください」

 立ち話でするような話じゃない。それを観念してくれたらしい。

 江縫に用意された部屋は、俺たちの部屋とはランクがだいぶ違った。シングルの、広くもなく狭くもないそれなりの内装。

「どうぞ」

 椅子も俺の部屋にあるのとはだいぶ違う。長時間の着席に向いていない。

「厨府研太郎がどこにいるか知ってるか」

「警察の人じゃないんすか」江縫が苛々した様子で言う。

 警察だったらどうして内容が共有されていないのか。それを問うて責めている。

「俺は警察じゃない。かと言って探偵でもない」

「じゃあなんなんすか」江縫が鼻で嗤う。

「お人好しで警察の協力をしてる莫迦だ。だから何の権力も強制力もない」

「じゃあ帰ってください」

「言ったろ。強制力はない。だから話すも話さないも自由だ」

 全部吐いたほうが有利だと印象付ける。

「正直、自分の小説の通りに事件が起きてるって聞いてどう思った?」

「俺の小説の通りじゃないすよね? なんで勝手に改変したのか。それが腹立たしいすね」

 なるほど。

 熱心な読者にも限度があると。

「行方不明の厨府研太郎が十中八九黒だ。そいつと連絡が取れないか」

「警察にも言われたすけど、向こうが一方的に」江縫が迷惑そうに言う。

「あのサイト、メッセージをやり取りする機能があるだろ。そこに」

「もうやらされてます。というか、とっくに家も職場もバレてるんすから今更メッセージとか」

 なんとか誘き出せないかと思ったが、今週分はすでに“終わって”しまった。

 とすると、次は。

「もうないすよ。死体は4つで終わり。てか、4件目は犯人が清水寺から飛び降りるんすけど」江縫が言う。「あんた、俺の小説読んでないっしょ」

 4件目は、犯人?

 じゃあ。

「俺を取り調べてた警察の人が飛び降りたんすよね。じゃあ、そいつなんじゃないすか?」

 部屋に戻る。

 相変わらず鬼立がタブレットと睨めっこしていた。

「どうだった」鬼立が目線を上げずに言う。

「人間側が三千原で、鵺が別にいるってことだろうか」

「ああ、いまちょうどエピローグだ。原作の通りだとそうなるが」

 容疑者は独自の要素を加えている。

「三千原だったか」鬼立がタブレットを伏せて立ち上がる。「もし飛び降りが事故じゃないのなら、相当に追い詰められていたことになる。例の鵺の目撃があったんだろ。鵺に吃驚して落ちた可能性も捨てがたいが、危険防止に欄干の傍まで行けないようになってると聞いた。とすると、鵺が無理矢理引きずって三千原を落とした可能性も捨てきれない」

「事故か自殺かってのは?」

「どっちもの可能性で進めてる」

 まだわかってないのか。

「そんなことより鵺の目撃だ」鬼立が言う。「ついに一般市民が目撃したことで報道規制が間に合わないらしい。写真こそ上がってないが、鵺の特徴がネットで拡散されてる。千年の都に鵺が跋扈。その手の面白おかしいニュースサイトや動画投稿主はこぞって騒ぎ立ててるな」

「鵺っぽい何かかもしれないくらいは出したらどうだ?」

「出してどうなる? 混乱を招くだけだ。いずれにせよ4件目で終わることになってる。もう事件が起こらないことを願いながら、三千原の意識が戻るのを待つしかないな」

「俺と臨時の相棒は、三千原から鵺をどうにかするよう言われてるんだ。俺らの調査は終わってない」

「随分と責任感に満ち溢れてるじゃないか」鬼立が驚いたように笑った。「やる気があることはいいことだ」

 鬼立がシャワーを浴びてる間に岡田に電話した。

「俺も読んだよ~」岡田が電話口で言う。「確かに4件目で終わりだけどさ」

「お前の勘は?」

「殺人は終わりだと思うけど、鵺が人間を傷つけないと決まったわけじゃないよね」

 人間に依る扼殺部分がなくなるだけ。

 猿と虎と蛇はまだ健在。

「明日レンタカー借りて市内を流してみよっかなって計画立ててるけど、どうよ、相棒」

「でっかい荷物を署に置ければだな」

 翌朝。鬼立が寝ている間にこっそり。

「どこへ行く」

 駄目だった。こいつは眠りが浅い。

 早朝5時。

「臨時の相棒が呼んでる」

「俺と一緒だと不都合なのか」

「お前はお前でできることをやりゃあいい」

「例えば?」

「このあと事件が起こらないのか見張るとか」

「具体性に欠けるな」鬼立が大きな溜息を吐く。「わかった。お前は意味のあることしかしない。単独のほうがいいこともあるんだろう。わかったよ。今回は折れる」

「助かる」

 ホテルの真正面。二条城前に車が止まっていた。

「へい、相棒。どちらまで?」岡田が運転席のウィンドウを下ろして言う。

「鵺だ。捕まえるぞ、絶対」






   めらめら燃える。きめらが燃える。

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