歴史去る暗入り巣

伏潮朱遺

第1章 長い鳥居のその天辺(てっぺん)

      0


 電車で移動すること3時間半。

 降りたホームも構内も人でごった返している。

 人を掻き分け乗り換えのホームへ移動。

 始発だがすぐに車内は混雑してしまった。

 移動は2駅。

 同じ目的の観光客が同じ駅で降りた。

 大きな朱塗りの鳥居が迎えてくれた。

 8時半。

 朝早くても人はそれなりにいる。

 狐と狐の間を通り、鳥居をくぐる。

 順番待ちをしてお参り。

 地図を見てうんざりする。

 これを上るのか。

 最初こそ鳥居のトンネルを進む神秘さがあったが、途中から階段状の鬱蒼とした山道に打って変わる。

 この地特有の湿気なのかじわりと汗が噴き出てくる。

 10月。

 秋の服装は早かったか。

 途中開けた場所に出た。市内が一望できる。

 ちょっと休憩。

 ここからまだ上がある。

 身軽な身なりの観光客がぐっと減った中、全身黒尽くめでサングラスの怪しい男が眼に入った。

 次の瞬間いなくなっていたので幻覚かもしれない。

 さて、更に上へ。

 階段が急になってきた。

 まだ上か。

 木々の合間を進むので多少涼しいような気もする。

 タオルで汗を拭いながらひたすら足を進める。

 山頂。

 石造りの鳥居をくぐった先、

 社の屋根の上。

 長い鳥居のその天辺てっぺん

 烏のような、

 獣のような、

 蛇のような。

 逆光でよくわからなかったが、屋根の上から不気味な鳴き声と共に何かが飛び立ち。

 白い。

 黒い。

 赤い。

 塊が落下した。

 ああ、ほら。

 俺が出掛けると死体に遭遇する。









   歴史去る暗入くらいり巣











第1章 長い鳥居のその天辺てっぺん



     1


「ほんならもう一遍伺いますが」

 何度目だ。

 何十回同じことを言わされている。

 俺は何も知らない。

 たまたま京都に来て観光した先で、

 眼の前に死体が落ちてきた。

 ただそれだけ。

 駆けつけた110番の立ち話で済む。

 第一発見者。

 それはそうだが。

 すでに山頂に行って戻ってきた奴らに話は聞いてないのか。

「何も見てへんかったそうです」

 部屋は窮屈で窓のない正方形。

 片側の壁から他の捜査員が見ているのだろう。

「参道の入口を封鎖して全員に話を伺っとります」

 俺を取り調べている40代前半の捜査員は一見物腰柔らかだが、ふとした違和感も見落とすまいとした鋭さがちらつく。

「刑事さん」

「はい」

「俺じゃない」

「はい」

「俺は」

 捜査員が「失礼」と言って立ち上がった。耳のイヤフォンに手を当てている。上からの指示を聞いているのだろうか。

 全部は聞き取れなかったが、他にも俺の用に連れて来られた“被害者”がいるらしい。

「ちょっと待っといてくださいね」

 関西のイントネーションが慣れない。

 メモを取る係と共に男が退室した。

 と同時にどたんばたんと暴れるような地鳴りが響く。

 俺じゃないんすよ~という間抜けな声が聞こえた。

 誰も見張ってないから悪い。

 部屋の外に出て様子を見に行く。

「だ~か~ら~、俺はただ修学旅行のときに行けなかった千本鳥居のその先を見たくって~~」

 取調室から声が漏れるほどの音量で叫んでいる。

 他の捜査員に見つかったが特に取り押さえられたりとかはなかった。

 当然か。

 こっちは第一発見者で引っ張られてるだけだから。

 再度の身分証提示で解放と相成ったが、名前を見た捜査員が首を傾げていた。

 面倒なことに気づかれる前に。

「ああ、よかった。なんやら失礼なことを」また別の捜査員に呼び止められた。「まさかあの伝説の名探偵がいたはるなんて」

 ほら言わんこっちゃない。

 スルーして帰る道がこれで絶たれた。

「申し遅れましたな。私、京都府警本部捜査第一課の三千原サンゼンバラゆうもんです。どうぞよろしう」

 年齢は30代後半。身長は170センチ前後。高級そうな生地のスーツ上下。ニヤリと笑った目元は一切笑っていない。一見丁寧そうだが、こうゆう男の方が底意地の悪さを隠し持っていたりする。 

「何をよろしくするんだ」

「ほら、今回の事件の捜査に来はったんでしょう? ご協力感謝ですわ」

「1件目だろ?」

「いえ、これで3件目です。続いてて困っとるんですわ」

「3?」

 それで私服警官が来るのが早かったのか。

「続いてるなら予告状みたいなものは来てないのか」

「さっすが伝説の名探偵。よければお話は奥で」

「だから疲れちゃってそんな上まであがってないんだよ〜〜」

 間抜けな声で騒いでいる音源が見えた。

 ん?

 どこかで見覚えが。

「ちょっとそこのでっかいお兄さん、警察の横暴なんだよ。助けてよ~~」

「彼は?」

「現場をうろうろしたはった不審者ですわ」三千原が言う。「任意で引っ張ってきたんやけど」

「俺は単なる観光客だって~~~。ほら、免許証見てよ~~。ゴールドじゃん~~~」

 身長180センチ、年齢20代後半。全身黒尽くめ。黒のスーツ上下に黒のロングコートを抱え、濃いめの色のサングラス。浅黒い肌の男。

 これで職質を免れようとするほうが無理だ。

「ささ、陣内様は奥へどうぞ」三千原が言う。

 やっと思い出した。

 山の中腹でうろうろしていた幻覚。

 仕方ない。冤罪も寝覚めが悪い。

「ちょっといいか」男に声を掛ける。「あの先に上がらず、あそこで降りたんだな?」

「そうだよ~~。だからそうだって言ってるじゃん~~。だから山頂には行ってないんだから~~」男がサングラスを額にずらして俺の顔をじろりと見遣った。「てか、あれ? お兄さん、どっかで会いました~??」

「さっき山を上がってたろ? すれ違ってる」

「なるほどなるほど。て、そうじゃなくって。おたくさん、ちょっと有名人じゃない?? え、てか、でっか。2メートルくらいない??」

 俺のことを知っている人間はもれなく警察関係者なのだが。

「お前、警察か?」

「え、なんで? 善良な一般市民です~~~けど??」

 嘘くさい。

「あの、陣内様? 奥でお話を」三千原が口の端を痙攣させながら言った。

「こいつも一緒でいいなら」

「どないな意味ですやろ?」三千原が言う。

「こいつと一緒じゃないと協力しない」

 男を両側で取り押さえている屈強な捜査員が、三千原に困った顔を向ける。

「すんません、お名前と職業を」三千原が男に尋ねる。

岡田オカダ真三しんぞうっす!! 職業は、えっと、なんてゆーかね、なんでも屋さん?的な?」

 三千原が捜査員に眼線を送って手を離させた。この場は任せて照会してこい、という指示だろう。

「他ならぬ陣内様の頼みならしゃあなしですわ。わかりました。さあ、こちらへ」

 三千原に連れられて応接室に入った。岡田という男も一緒に。

 独房のような取調室と違って来客をもてなそうという意志の感じられる設えだった。ソファの座り心地も、時間差で出てきた茶も菓子も。

「連続殺人事件として調べとります」勿体つけて正面に座った三千原が言う。「1件目は2週間前、2件目は先週、おんなじ状態のご遺体が京の観光地にどーんと。写真見はります?」

 岡田の素性がわからないのでこの場は遠慮した。それにご遺体を見たいわけじゃない。

「連続ってのは? 殺され方が同じなのか」

「それもあるんやけど、連続ですよゆうメッセージがこう、あらはって」三千原がをケータイ画面を見せた。「1件目がこれ。2件目がこっちですわ」

 短冊のように縦書きで印字してある細長い紙が写っている。

 1枚目。長い歴史のその周辺。

 2枚目。高い蝋燭のその下辺。

「ほんで、これとこれはこうつながります」

 3枚目。1枚目の紙と2枚目の紙はもともと同じ紙に印字してあったものを切り離したことがわかる。切り口がぴったり合わさっている。

「この分やとあと5件くらいは」

「うげぇ、7人も?」隣に座っている岡田が軽蔑するような声を上げて大げさに仰け反った。

「この紙がですね、言いにくいんやけど、被害者女性の陰部から発見されとるんですわ」

 4枚目。小さいガラスの瓶に先ほどの紙が丸まって入っている。蓋はコルク。

「せやけどね、被害者には変な傷があらはりまして」

 先ほど写真は遠慮すると言ったのを思い出したのか、三千原はケータイをテーブルに伏せた。

 5枚目が該当の写真だったのだろうか。

「2件とも、ああ、3件目もそうらしいんやけど、猿のようなもんに喰いつかれて、虎にようなもんに引っかかれて、蛇のようなもんに噛みつかれとるんです。不気味な鳴き声も、現場で聞かれとります」

「調べたのか」

「せやからね、犯人をぬえと呼称しとります」三千原が顔を上げた。「鵺です。鵺。京の都に鵺ですよ」

「何が言いたい?」

「いんや、なんやろね。何がしたいんか、ようわからへんので。こちらも混乱の極みですわ」三千原が祈るように顔の前で手を合わせる。「そないな折に伝説の名探偵である陣内様がいらしたと聞いて。こう、びゅんと本部から飛んできたわけです。ほんまに、ほんまどうぞよろしゅう」

 握手でもしそうな雰囲気だったが拒否した。

「鵺? 鵺なんている? 鵺だよ鵺」岡田が莫迦にしたように言う。

 ドアをノックして捜査員が入ってくる。三千原に何かを囁いて退室した。

「3件目の鑑識結果です」三千原がうんざりといった様子で言う。「お聞きにならはりますか?」

「同じ手口なんだろ? いい」

「3件目のメッセージてなんだったの?」岡田が言う。

「陣内様。ほんまにこの男を信用したはるんですか?」三千原が言う。「もうこれ以上無関係な一般市民を巻き込むんは」

「これだけ喋っといて野に放つ方が危険だろ。俺が引き取る」

「ほんまにええのですか?」三千原が言う。

 というか、岡田からは何か言い知れぬものを感じる。この先正しい局面で正しいことをしてくれそうな。

 ほとんど直感だが。

「当局としては、陣内様のご協力さえ得られれば、多少のノイズはね、眼を瞑る所存ですわ」三千原が言う。岡田を睨みながら。「いかがです? ご協力してくらはりますか?」

「一つ条件がある」

「なんでしょ?」三千原の表情がぱっと明るくなった。明るくなったように見せただけかもしれない。

「あくまでたまたま観光で来ていた京都で偶然にそんな流れになったってことにしてほしい」

 バレると困る奴がいる。

 わざわざ東京から飛んでこないといいが。













     2


 13時を回っていた。

 警察署を出て(三千原が出口まで送ってくれた)(何度か振り返ったがずっと手を振っていた)食事を摂れる場所を探す。居酒屋かラーメン屋の二択。

「ひや~、助かりましたわ~」岡田が背伸びをしながら言う。「お礼に奢りますよ、2メートルの旦那!!」

 岡田はラーメン屋を選択した。京都のラーメンは脂っぽいと聞くが、この店舗はそうでもなかった。京都のラーメンと言ってもいろんな種類があるのだろう。

「はぁ~美味かった~~」岡田が言う。お冷を飲み終えた。「んで? どっから捜査するんすか~ぁ?」

「捜査じゃない。お前やっぱり元警官だろ」

「ぎくぅ! いやいや、なんでそう決めつけるかな~ぁっと」

 岡田の前職についてはどうでもいい。

「お前なんであそこにいた?」

「だから行ったじゃないすか。修学旅行の積年の念願?を果たしに~ぃ?」

「そうじゃない。なんで、今日のこの日にそこに行こうと思った?」

「なにそれ。お兄さんが意味があったみたいな言い方じゃないすか」

「お兄さんてのをやめろ。陣内だ。自己紹介がまだだった」

「岡田っす。でもお兄さんのほうが年上っしょ? それに先輩ぽい」

「俺は刑事じゃない。勝手に警察の役に立つ便利な道具にされてるだけだ」

 店員はお冷のお代わりを聞いてきたので、会計して(岡田がどうしても払うと言ったので好きにさせた)外に出た。ラーメン屋でする話じゃない。

 陽が当たれば汗ばむが、涼しい風が吹き抜ける。

 紅葉はまだ早い。

 晴れ。

「んで? 陣内サンの。あれ? 陣内サン、下の名前何すか?」

「なんでもいいだろ」

 とりあえず現場まで行ってみるか。

 1件目。長い歴史のその周辺。

 二条城。

 地図を見たが、ここから徒歩で行けなくもない。バスに乗っても良かったが、すれ違った車内にぎゅうぎゅうにすし詰めになっているのを見てうんざりした。

「ねえねえ、なんで隠すんすか? 俺は真三。真実が三つって書いてしんぞう」

「なんで知りたい」

「なんでって、これから一時でも相棒組むってんすから、なんでも知っときたいってゆうかぁ?」

 仕方ない。

 相棒が云々というより、これからずっとこの話題を引っ張られるのが我慢ならない。

「ちーろだ。千の色」

「ちーろちゃん!??」

「ちゃん付けするな」

「ちーろちゃんはさあ」

「だから」

 割と距離があったが、なんとか着いた。

 観光バスが何台も停まっている。外国人客が目立つ。次に修学旅行生。たった2週間前に近くで遺体が発見されたようには見えない。

 メッセージには“その周辺”とあった。

 ぐるりと取り囲む松とお堀に沿って歩けばわかるだろうか。

「お堀の中にどぼんだったとか? ねえ、ちーろちゃん」

「返事しないからな」

 電話がかかってきた。

「そろそろご到着の頃かと」三千原からだった。

 なんで番号?と思ったが、連絡先として残してきたんだった。

「私用で使うな」

「公的な目的ですわ。事件解決のための最善の手段とも言いますね」

「たまたま京都観光してただけの一般市民も顎で使うってことか」

「そんなそんな滅相もあらしません」三千原が言う。「陣内様が一般市民でなんか」

 そうじゃない。訂正個所がそこじゃないがめんどくさいので放置した。

 岡田が会話を聞こうと顔を近づけてきたので、距離を取った。

「なんで~?」

「ちょっとあっち行ってろ」

「きゃんきゃんお犬のお散歩中にすんまへんね」三千原が喉を鳴らしながら言う。「二条城のお堀ゆうか、門の前にいてましてね。封鎖されとる北大手門の真ん前ですわ。いまどちらにいらっしゃいます? 東大手門やったら、そっから北側ですわ」

「北ってどっちだ」

「京都で東西南北聞いたらあきませんよ」

 京都市内の中心部は碁盤の目のように通りが交差している。通りの名前の覚え方の歌もあったはず。憶えているかどうかは別問題だが。

「正面に東大手門が見えてはるんなら、そのまま真っ直ぐ通り過ぎて、角を左ですわ。2週間前に撤収済みやさかいに。なんも残ってへん思んますけど」

「調べてほしいのかどっちなんだ」

「御手並み拝見ゆうとこです。ほんならまた。ご入り用んときに」三千原からの電話が切れた。

 調査内容を示してくれればこんな面倒くさい現場ツアーなんかしなくて済むのに。

「終わった~ぁ?」不貞腐れてヤンキー座りしていた岡田が間抜けな声を上げる。

 北大手門はすぐに見つかった。

 門自体は開け放たれているものの、1.5メートル程度の高さの木造の柵で封鎖されているので少なくとも“まともな”観光客はここから出入り出来ない。

「これよじ登れば入れなくもないね。それかこっから放り投げる」岡田がそんなジェスチュアをする。「全然ザルじゃん! なにこれ。しかもメインの入り口から離れてるから人眼に付きにくいし」

 要は、ここを通りかかれば誰にでも遺棄は可能。

 問題は、どこで殺害したのか。

「被害者の共通点て、若い女性ってくらいしかないんだっけ?」

 下の名前を明かしたときから岡田が急にため口を利いている気がするがまあいいか。

「他になんか手掛かりは~?」岡田が柵から身を乗り出す。「わっかんないな~」

「なんで一緒に調べようとしてるんだ」

 頼んだ覚えはまったくないし勝手に相棒になろうとしてるし。

「信用してもらうために言うんだけど」岡田が神妙な顔になる。視線は門の向こうを見つめながら。「確かに元警官だよ。元警官だけどもう警官じゃない。警察じゃできないって思ったから辞めた。俺さ、捜してるもんあって。それがここにいるかもって思ったから来た」

「なんだ」

「同僚の仇」

 冷たい風が吹き抜けた。

 通行人はあまりいない。ウォーキングをしている中高年と、犬の散歩の妙齢女性。

「俺の仲間はとんでもない奴に一瞬にして滅茶苦茶にされた。その仇を打つまで、俺は捜し続ける」

「人間か?」

「その質問してくれた人初めてかも。てか、この話、他人にすんの初めてだわ。そ、人間じゃない。人間だったら俺が殺してる」

 すれ違った犬が吠えた。

 岡田の狂気に反応したのかもしれない。

「ああ、ごめんごめん。ちょっと本音出しちゃった」岡田が誤魔化すように犬に手を振る。

 飼い主が訝しそうにしてすぐに立ち去った。

「今回の、絶対に人間じゃないよね」

 逆光が眩しい。

 北大手門は北の東寄りにある。

「俺の捜してるやつかもしれない」

「動機が不純じゃないことはわかった」

「なにそれ~。不純だったらどうなっちゃってたの~俺ぇ?」

 殺害場所はここじゃない気がする。そういえば死因を聞いていなかった。

 猿と虎と蛇で鵺か。

「うわ~、ご遺体の写真見せてもらったらよかったな~~」岡田が蹲る。「めっためたのぐっちゃぐちゃだったら俺の探してる奴とどんぴしゃなんだけど」

「声がでかい」

「ちーろちゃんも気にならないの?」

「返事しないからな」

 次に行こう。

 2件目。高い蝋燭のその下辺。

 京都タワー。

 電車で移動。この路線があり得ないくらい満員電車でうんざりした。1本乗り過ごして次の快速に乗った。席は確保できなかったが、快速は幾分かマシだった。

「嵐山につながってるんだ~」岡田が路線図を調べていた。「外国人に超絶人気って聞くよ~~」

 確かに。日本人より外国籍のほうが割合として多そうだった。

 着いてからがまたごった返しで、改札にたどり着くまでの距離も遠いし、終点なので乗っていた人間が全員降りるしでホームが行き違いもできないほど人で埋め尽くされている。これは設計ミスではないのか。岡田の身長が無駄に高くなければはぐれていた。

 体感5分以上はかかっただろうか。ようやっと改札を通過する。

 15時。

 改札を出て眼の前に目当てのタワーが見えていた。人がひしめき合うバスターミナルを横目に、横断歩道を渡ってそれはあった。

「ね、ね、登る?登る?登っちゃう~~??」ウキウキ顔の岡田が言う。

「憶えてないのか。下辺だ。下だ、下」

 1階部分は土産物を扱っている。遺体が店の中にあったとは考えがたい。

 電話が鳴ったので表に出た。

「お前、どこで見てるんだ」

「失礼なお方ですな」電話口で三千原が言う。「下辺ゆうとったでしょう? そこ、地下街にもつながっとりまして。地下通路ですわ。そっからやったら、地下に下りる階段があらしませんか?」

 あった。

「やっぱ見てるだろ。どこだ」岡田に眼線で合図した。

 地下に下りる。通路の構造上行ったり来たりをさせられて無駄に歩かされた。この地下階段を選ばせた三千原が笑っている気がしてひどく苛々した。

 地下も人で満ち溢れていた。合間を縫うように進んで、タワーの地下につながる入り口に着いた。

「そこですわ。早朝に通勤途中の一般市民が発見したそうです」三千原が言う。「その際に奇妙鳴き声を聞いたと。化けもんの叫びやったか、とにかく気持ちの悪い悲鳴だったらしですわ」

「鵺とやらの姿は見てないのか」

「陣内様はご覧になってはるんでしょう?」

「俺が見た奴には翼があった。遺体を屋根に置いて飛んでったんだ」

 鳴き声なら俺も聞いた。

 二度と聞きたくない不快な音色だった。

「鵺を目撃したんはいまんとこ陣内様だけです。ほら、さすがの名探偵ぶりですわ」

「お前それ褒めてないだろ」

 岡田が地下通路をうろうろ調査している。ように見えたが、手持無沙汰で何もすることがないからとりあえず歩き回っているだけだった。図体がでかいので眼障りで仕方がない。

「ここまでで何か気づかはりましたか?」三千原が言う。

「お前らが気づいた以上のことはなんも」

「謙遜は結構です。さっきの署までお戻り願えますか」

「電車代出るのか」

「御冗談を。お迎えに上がりますわ」

 地上に出て少し北に(東西南北がわかるようになってきた)行くと交番があった。この前で待てとのこと。

 パトカーが迎えに来たお陰で要らぬ人目を引くことになった。

 あいつやっぱわざとやってないか。

「京都人のいけずってやつじゃないの~?」岡田も気づき始めている。

 あいつ、性格最悪だろ。












     3


 さっきの署の入口。三千原が満面の笑みで待ちかまえていた。

 16時。

「おかえりなさいませ、陣内様」

「おかえりじゃない」

「たっだいま~~」岡田が暢気な返事をする。

 先ほどの応接室。濃い目の煎茶と饅頭が出てきた。

「いかがでした?」三千原が言う。「直接ご覧にならはったことでわからはることもあったでしょう」

「まだ全貌を聞いてなかった」

 被害者。

 死因。

 犯人像。

「やれやれ参りましたなぁ。伝説の探偵にもわからへんことがあらはるなんて」

「いい加減にしろ。協力してほしいなら行動で示せ。そうじゃないなら帰るだけだ」

「まあまあ、待ってくださいよ。落ち着いて」三千原が言う。「失礼ですが、試させてもらったんですわ。伝説の名探偵の名がほんまなんかどうか。だってそんな小説や漫画みたいな、私立探偵が、ああ、陣内様はそう看板を掲げたはるわけでもないんやったね。せやったら陣内様はほんまは」

「うるさいから帰る」

「ちょお、ちょっと待ってください」三千原が立ち上がって通せんぼする。「ほんますんません。すんません、言葉違いですわ。まあまあ、私の頭でね、落ち着いてもろて」

「頭をどうするのか知らんが、情報を共有しろ。話はそこからだ」

 岡田は饅頭を平らげて俺のを狙っている。特に欲しくないので横流しした。

「さっすが、伝説のちーろちゃん!! いっただき~~」

「わけのわからん呼び名はやめろ」

 三千原がホワイトボードを引きずってきた。いまのところ真っ白で写真も貼られていない。さすがに捜査本部から持ち出すわけに行かなかったのだろう。

「知りたいんはなんですやろ」三千原がホワイトボードマーカーを持ちながら言う。

「被害者の共通点は判明しているのか。被害者の死因。浮かんでるなら犯人像や容疑者候補」

「順番にお話しますわ」三千原がホワイトボードに文字を書いた。

 被害者の共通点。

「近隣住民だったり、観光客だったり、若い女性ゆう以外素性に共通点はあらしません。せやけど、外見に一定の特徴がありましてな。色白、黒く長い髪、化粧気があまりなく、服装も地味、おまけに日本人。3件とも共通しとります。3件ともです。つまり容疑者はこの外見の女性を狙って犯行に及んどるゆうことですな」

「その外見、結構多くない? 意味ある?」岡田が言う。

「次、行きますね」三千原が無視してホワイトボードにまた文字を書いた。

 死因。

「直接の死因は扼殺です。亡くならはったあとに、猿と虎と蛇によって傷つけられとります。人間――手形からおそらく成人男性によって殺されたあとに、鵺に喰いつかれとるんですよ。つまりですね」三千原がホワイトボードに文字を書いた。

 容疑者像。

「人間と鵺の共犯です。それ以外に考えつかれへんのですわ」

「人間のほうはお前らが追い詰めればいい。俺は鵺のほうに興味がある」

「俺も~」岡田が顔の横で小さく挙手する。

「その答えをお待ちしとりました」三千原がマーカーを置いてぽんと手を叩く。「そないにゆうていただけでほんま感謝ですわ。そう、鵺のほうがね、困っとったんですよ。鵺なんてほんまどないして捕まえたらええんか。ほんまに陣内様がたまたま鵺と遭遇してはって助かりましたわ。いやいや、よかった」

「たまたま?」岡田が俺を見る。

「たまたまだ。たまたま」

 三千原が満足げに微笑みながら、ホワイトボードの文字を消す。「他に何かお知りになりたいこと、あらはりますでしょうか」

「鵺を見つけたらこっちでなんとかしていい許可が欲しい」

「捕まえても裁判にも病院にも行かへんでしょうし。ええですよ」三千原が言う。「その代わり二度と京の町を飛ばへんようにしてほしいんですわ。それだけが条件です」

「わかった。再起不能にすればいいんだな」

「ええ、そのように」

「やった~」岡田が小さく万歳する。

 岡田の“場違い”な行動の意図が三千原に露見したようには見えないので放っておいた。

 さて。

 許可も取れたしあとは。

「帰る」

「まあお話も切りがええですしね」三千原が言う。「続きは明日で」

「送らなくていい」

「ホテルもご用意してますよ?」

「いい。こっちで探す」

「いまから探すん大変やと思いますよ?」

「確かにね~。紅葉前とはいえ京都だしね~」岡田が俺に耳打ちポーズをする。「ちーろちゃん、ここは甘えといた方がいいよ。最悪野宿んなっちゃうよ」

 それは。

 困る。

「部屋に盗聴器とか仕掛けてないだろうな」

「まさかまさか、滅相もあらしません」三千原が言う。「お部屋の窓から二条城が見える絶好の立地をご用意しとります。庭に温泉の露天風呂を設えておりまして、絶対にご満足していただけるかと」

「一つ聞くが」

「何です」

「こいつは?」

 岡田。

「勿論同じ部屋ですが?」三千原は何か問題でも?と言った様子で言う。

「勿論じゃない。なんで」

「何か問題でも?」三千原が声音を低くして繰り返す。

「ちーろちゃん、俺は構わないよ~」岡田がひらひらと手を振る。

「お前が構わなくても俺が構う。なんで二部屋押さえない」

「もう一度聞きますわ。何か、問題でも?」

 駄目だ。部屋があっただけ有難いと思うしかない。

 念のため、ホテルに着いてから部屋の一泊二日の値段を調べて頭痛が痛くなった。

 この相場を二部屋押さえろというのはさすがに税金の無駄過ぎる。

「すご~い。あ、俺こっちね。窓際キープ~~」岡田が部屋に着くなり(部屋に着くまで大人しくしてくれていてよかった)ぴょんぴょん跳ねてはしゃぎ出した。

「好きにしていい」

「やった~。温泉一番乗り~~~」

「向こうで脱げ」

 ベッドを確認して安堵する。

 ツインで本当に良かった。

「ところで陣内様がゆわへんからの追加情報なんやけど」三千原が去り際に言っていたことを思い出した。「被害者から発見されたボトルメッセージ。あれ、やったん人間やと思いますか? それとも鵺?」

 人間だろ?

 んな七面倒くさい工作、鵺がして堪るか。

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