第四章:きょうじん
その夜から、空模様は一転、村は吹雪に閉ざされた。
外ではひょうひょうと風の音が鳴り響き、あまりの冷たさで口元が凍ってしまうほどである。
家の中では、くぐもった空気が、赤々と燃える囲炉裏を中心に徐々に温められていっていた。
昼間のうちにすっかり睦まじい仲となった一清と正明は、今、一清の父親の前で、結婚の報告を行っていた。
十六になったばかりの娘をそう簡単に嫁にやれるかと、はじめは反対していた一清の父親であったが、正明の人となりに触れるや一気にその虜となってしまい、夜が深まる頃には、すっかり酒を酌み交わす仲となっていた。
「やぁやぁ、正明殿にはこれから長く世話になる。どれ、これは儂の守り刀じゃ。もらってくれい」
そう言うと一清の父親は、自分の懐から木彫りの鞘のついた短刀を取り出し、うやうやしく正明へと差し出した。
「いやいや、これは有難い話。親父様の守り刀、きっとこの正明がもらいうける」
両手でそれをいただく正明の様子を、隣に座る一清は、今や妻のようにほほえましく眺めていた。
そんな一清たちを見て、母も、祖母も、年端の行かない子供たちも、何かとても楽しいことがあったかのように騒ぎ立て、一緒に喜ぶのであった。
一方、村の港沿いの小屋から始まった凶事は、いよいよ広がりを見せていた。
漁に出た男たちをことごとく殺した明記は、今や狂気に取り付かれ、村の家を一件一件まわっていた。
「ごめんくだされ」
刀を背後に隠したまま、家の軒先でそのように力なく言われれば、穏やかな村人たちは誰だって目の前の老爺を家に招き入れた。
しかしその老爺が背後から村の人々を刺し殺してまわっているなど、誰一人として気づかない。
皆、力なく明記の刃に倒れていった。
その数、百幾。
今や、村のほとんどの住人が、明記によって殺されていた。
吹雪の中、一つ、また一つとその命の炎を消してゆく村人たちであったが、それを知る者は誰一人としていなかった。
皆、吹雪のため自分の家にこもっていたからである。
そうして、夜が明ける頃には、村人は明記によって、もはや数えるほどしか生きてはいないのであった。
一夜明け、あれだけ吹雪いていたのが嘘のように、空は青く晴れ渡った。
寝ずの番をつとめた一清は、すぐ隣で同じく寝ずの番をつとめていた正明と一緒に朝食を摂ると、「隣の家の様子を見てくる」と言って家を出た。
そうして一清は隣の炭さんの家に着くと、いつものように、勝手に家の中へ入って行った。
「炭さん、昨晩は大変だったねぇ」
言いながら一清は、家の奥へと進んでゆく。
しかし、いくら一清が呼びかけても、家の中はしんとしている。
人の気配が、無い。
いつもと様子が違うのに、一清もやっと気が付いた。
何かが、おかしい――。
一清は腰の短剣に手を添えた。
その場にとどまり、腰を低くする。
耳をそばだて、かすかな物音ですら聞き逃すまいとした。
すると、かさり、と、何かがこすれる音がした。
一清は目を見開くと、その音のした方へとゆっくりと歩みを進めた。
すると、地面いっぱいに血と思われる水たまりが出来ているのが目に飛び込んできた。
一清は息を飲んだ。
心臓の音が、うるさい。
もう一歩、あゆみを進めると、柱の陰に、炭さんが倒れているのが目に入った。
炭さん――。
よく見ると、背中に大きな傷を拵えている。
「炭さん!」
一清は小さく叫ぶと、血だまりの中の炭さんに駆け寄った。
口元に耳を当てるが、呼吸は感じられない。
首元にも指を当てるが、脈動も感じられない。
「そんな、なんで、一体、誰が――」
一清は呼吸を浅くしながら、それだけの言葉を振り絞った。
次に頭に浮かんだのは、炭さんを殺した犯人が、まだ近くにいるかもしれないということであった。
一清は、再び息を殺すと、腰の短刀に手をやり、その場に立ち上がった。
炭さんの家の中に、悪人が隠れているかもしれない――。
一清は宙の一点を見つめると、構えの姿勢をとったまま、じりじりと、炭さんの家を隅々まで確認してまわった。
その頃、一清の家の戸をくぐる者があった。
明記である。
「いやいや、すみませんな、皆、吹雪で家にこもって出てこないのですよ。助かりました」
そう言って、明記は一清の父が差し出した白湯に口をつける。
「困ったときはお互い様ですよ」
一清の父は、村人と同じく、明記を快く家に招き入れていた。
「どれ、何か食べるものはあったかな」
一清の父がそう言いながら、明記に背を向けた時であった。
明記は背に隠しておいた刀をぬらりと抜くと、一刀両断に明記の父を背後から斬った。
「な、に…」
自分の身に起こったことが信じられない一清の父は、振り向きざまに明記の顔を凝視した。
そこには、何の表情も浮かべない、のっぺりとした明記の顔があった。
「どうしたの、何か――」
出入口付近の異変に気付き、一清の母と子らがやってきた。
それを見て、明記はすぐさま彼女らに走り寄り、目にも止まらぬ速さで刀を振るった。
母と子らは、物言う暇すら与えられずその場に崩れ落ちた。
明記は、奥の間へと入っていった。
そこでは、正明、そして一清の祖母が囲炉裏の周りで暖をとっていた。
彼らが「あっ」と口にするのと、明記が彼らに斬りかかるのと、ほぼ同時であった。
明記はまず正明に、そして一清の祖母に斬りかかった。
正明は酒の入っていたこともあり、すぐには動きがとれず、明記の刀の前に成すすべもなく倒れていった。
血潮の飛び散る中、一清の祖母だけが、残された。
目の前の惨劇に何も言葉を発することが出来ない彼女を前に、明記は口を開いた。
「おぬし、年はいくつになる」
はじめ、一清の祖母は明記が口にした言葉を理解できないでいた。
なぜ、なにを、目の前の男が尋ねているのか、理解できなかったのである。
「おい、聞いているのか」
そう言われ、一清の祖母ははじかれるように目をぱちくりさせた。
そして、
「五十じゃ。今年、五十になる」
と答えていた。
明記の目が、すうっと光を失った。
「そうか、五十か。では、死ねい」
なぜ、明記が何を考えているのか、勿論祖母には分からない。
何も分からぬまま、一清の祖母は、正明に折り重なるようにして、息絶えた。
それらの死体の上に腰を降ろし、明記は囲炉裏にかけてあった汁をすすった。
「うむ、まだ暖かい。うまい」
そう言うと、更に汁を二杯、三杯と胃に流し込むのだった。
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