第5話 蘇る野心
「ようこそ、シャーロック・ホームズ。そして……医師殿。」
ジェレミー・スコットは薄暗い部屋の奥からゆっくりと姿を現した。彼の声は低く響き、その表情には奇妙な安堵と誇らしさが混じっていた。彼の手には古びた書物が握られており、その表紙にはフランケンシュタイン博士の名が記されていた。
私は身震いしながらも声を絞り出した。「あなたが……J.S.か。」
スコットは冷たく微笑んだ。「その通りだ。フランケンシュタイン博士の研究を引き継ぎ、さらに発展させた者だ。君たちが私にたどり着くとは思っていたよ。特に君だ、ホームズ。」彼はホームズに視線を向けた。
「お前がシュタイナー博士の背後にいたのか。」ホームズの声は冷静だったが、その鋭い目はスコットを見逃すことなく観察していた。
「シュタイナー?」スコットは一瞬笑みを深めた。「彼はただの駒だよ。研究のいくつかを試すために使わせてもらったに過ぎない。本当の目標はここにある。」
彼は背後の巨大な装置を指さした。その装置はフランケンシュタイン博士の実験室で見たものよりもさらに洗練されており、奇妙な光が淡く脈動していた。その中央に横たわる巨大なシルエットは、まるで眠る獣のようだった。
「それは……怪物をさらに進化させたものか?」私は思わず声を上げた。
スコットは誇らしげに頷いた。「進化、そうだ。フランケンシュタイン博士は生命の創造を夢見たが、その技術は未完成だった。私はそれを完成させ、さらに洗練させた。彼の怪物はただの試作品に過ぎない。だが、これこそが究極の生命体だ。」
「その研究がいかに危険か、お前自身が一番よく知っているはずだ。」ホームズの声には微かな怒りが込められていた。「それがもたらすのは恐怖と破壊だけだ。」
スコットは一瞬沈黙した後、低い声で言った。「恐怖と破壊?それは人間の偏見だ。私は新たな生命の可能性を追求しているのだ。この存在がどれだけの知恵と力を持つか、君たちには想像もできないだろう。」
私はその言葉に背筋が凍った。彼の語る理想には、狂気の響きがあった。だが、ホームズはその言葉に動じることなく、さらに一歩前に進んだ。
「スコット、なぜこの研究を続ける?博士の悲劇を目の当たりにしてなお、その道を歩む理由は何だ?」
スコットは目を細め、ホームズを見据えた。「理由か……それは簡単だ。私は、フランケンシュタイン博士の夢を現実にするために存在しているからだ。そして、それは単なる科学的探求ではない。この研究には、人類の未来そのものがかかっている。」
「人類の未来?」私はその言葉に憤りを感じた。「あなたの言う未来は、怪物を使って人間を支配することではないのか?」
スコットは私を軽く睨んだ。「支配ではない。人間の限界を超える存在を作り出すことだ。この存在が、我々の代わりに地球を守り、新たな進化を遂げるのだ。」
その時、装置が低く唸りを上げた。まるで何かが目覚めようとしているかのようだった。私は心臓が高鳴るのを感じ、背中に冷や汗が流れた。
「何をするつもりだ、スコット!」ホームズが鋭く問い詰めた。
「君たちにこれを見せるためだ。」スコットは装置のスイッチに手をかけた。「これが私の研究の頂点だ。そして、この存在がいかに素晴らしいかを君たち自身で目撃することになる。」
「やめろ!」私は叫んだが、スコットは冷笑を浮かべながらスイッチを押した。
その瞬間、部屋全体が震え、装置が明るい光を放ち始めた。巨大なシルエットがゆっくりと動き出し、その目がぼんやりと光を宿していくのが見えた。
部屋全体が眩い光に包まれ、装置の低いうなり声が一層大きくなった。私はその場に立ち尽くし、巨大なシルエットが動き出すのを見つめるしかなかった。怪物の体がゆっくりと起き上がり、その輪郭が徐々にはっきりと現れてきた。
「これが私の創造物だ。」
ジェレミー・スコットの声は、誇りと狂気に満ちていた。「完全なる存在。彼は、フランケンシュタイン博士の怪物とは違う。私の知識と技術を結集させた傑作だ!」
私はその言葉に戦慄を覚えた。巨大な怪物は完全に目を覚まし、その金属質の皮膚が淡い光を反射している。全身に埋め込まれた奇妙な装置が規則的に脈動し、まるで生命の鼓動のように感じられた。
「ホームズ、あれは……ただの生き物ではない!」私は声を震わせながら叫んだ。
「その通りだ、ワトソン。」ホームズは鋭い目で怪物を観察しながら答えた。「彼の体は人工的な素材で作られ、科学の力で動かされている。これは生命そのものではない。だが、生命の模倣だ。」
怪物は完全に立ち上がり、その巨大な体を動かし始めた。その動きは滑らかでありながらも不気味だった。彼の目は淡い光を宿しており、私たちをじっと見下ろしていた。その視線に、私はまるで心を覗かれているような感覚を覚えた。
「見ろ、彼は恐怖など感じない。痛みも苦しみもない。」スコットは狂気じみた笑みを浮かべながら言った。「彼は人間を超越した存在だ。そして、私の命令に完全に従う。」
「命令に従うだと?」ホームズはスコットに冷たく言い放った。「お前はまた同じ過ちを繰り返すつもりか?命令に従うはずだった存在が、最終的に自らの意思を持ち、人間に牙を剥く。それが、フランケンシュタイン博士の経験した結末ではなかったのか?」
スコットの笑みが一瞬消えたが、すぐに再び不敵な表情を浮かべた。「違う!彼は失敗したが、私は成功する。私の怪物は制御不能にはならない!」
その時、怪物が突然動き出した。彼の視線はジェレミー・スコットに向けられ、その目にかすかな光が宿った。そして、その大きな手がスコットの方にゆっくりと伸びていった。
「やめろ、彼を傷つけるな!」スコットは慌てて命令を叫んだ。「お前は私に従うはずだ!お前は私の命令以外には動かない!」
しかし、怪物はスコットの言葉に耳を貸すことなく、彼をつかみ上げた。その動きはゆっくりだが、迷いがなかった。
「ホームズ、止められるのか?」私は恐怖に震えながら尋ねた。
「待て、ワトソン。」ホームズは冷静に答えた。「彼の行動を観察する。ここで感情的に動けば、事態を悪化させるだけだ。」
スコットは必死にもがきながら叫び続けた。「お前は私が創り出したものだ!お前は私に逆らえない!」
しかし、怪物の目には、ただ冷たい輝きだけが宿っていた。その目に映るスコットは、彼にとって単なる「創造主」ではない何か別の存在に見えた。
「ホームズ、あれは……理性を持っているのか?」私は恐る恐る尋ねた。
「おそらくな。」ホームズは静かに答えた。「彼はスコットの命令に縛られる存在ではない。自らの意思を持ち始めている。」
その瞬間、怪物はスコットを掴んだまま一歩後ずさり、装置の方向へと視線を向けた。彼の手が装置に触れると、それが激しい火花を散らし始めた。
「何をするつもりだ?」私は息を呑んで叫んだ。
「彼は……自らの存在を否定しようとしているのかもしれない。」ホームズが低く呟いた。「自分が作り出された源を破壊しようとしているのだ。」
怪物は装置を握りつぶすように力を込めた。その瞬間、装置全体が爆発音を立て、部屋中に光が弾けた。私はとっさに身を伏せたが、その光景を目の端で見逃すことはなかった。
爆発の後、部屋は静寂に包まれた。煙が立ちこめる中、私は恐る恐る顔を上げた。そこには、完全に停止した怪物の巨大な体が横たわっていた。そして、そのすぐ隣には、気絶して動かないスコットの姿があった。
「ホームズ……終わったのか?」私は震える声で尋ねた。
ホームズはしばらく怪物を見つめていたが、やがて小さく頷いた。「彼は自らを止める決断をしたのだろう。自分が存在し続けることの危険性を理解したのかもしれない。」
私たちはスコットを救出し、地元の警察に引き渡す手続きを取った。彼は再び目を覚ますことなく、何かに取り憑かれたような表情で横たわっていた。彼の狂気と野心は、怪物自身の行動によって終止符を打たれたのだ。
その後、ホームズと私は怪物の残骸を処理し、スコットの屋敷を後にした。遠くに見える曇り空の向こうに、一筋の光が差し込んでいるのが見えた。
「ホームズ、これで全てが終わったのだろうか?」私は問いかけた。
「終わりかどうかはわからない。」ホームズは歩きながら答えた。「だが、この一連の事件を通じて、我々が科学と倫理について考えるべきことは多い。そして、怪物たちの背後にある人間の欲望と責任を、我々は忘れてはならない。」
シーン15: 過去からの呼び声
スコットの屋敷での恐ろしい事件を終え、ロンドンへ戻った私たちは、それぞれの静かな時間を取り戻そうとしていた。しかし、心のどこかで私は感じていた――この一連の出来事が完全に終わったわけではないことを。
ホームズは、事件から数日間ほとんど部屋を出ることなく、持ち帰ったフランケンシュタイン博士の記録やスコットの研究資料を精査していた。その集中力には驚嘆させられるものの、彼の顔には普段よりも深い疲労が滲んでいた。
「ホームズ、しばらく休むべきだ。」私は昼食のトレイを持って部屋に入ると、彼にそう言った。
「ありがとう、ワトソン。」ホームズは短く返事をしただけで、視線を資料から離さなかった。その目は、何か重要な手掛かりを見つけようとしているようだった。
私はため息をつきながら彼の横に座った。「いったい何を探しているんだ?」
彼は一瞬目を閉じ、それから低い声で答えた。「スコットは確かに危険な存在だった。だが、彼の研究は単なる模倣に過ぎなかった。彼の背後にはさらに大きな存在が潜んでいるかもしれない。」
「さらに大きな存在?」私はその言葉に驚いた。「スコットが協力者だったのではないのか?」
「確かに彼は協力者だった。」ホームズは資料の一つを持ち上げ、私に見せた。「だが、この記録によれば、フランケンシュタイン博士の研究を最初に助けた者は、スコットではなかった。彼以外にもう一人、影のような存在がいる。それが博士に知識と技術を提供した人物だ。」
その言葉に、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。「その影のような存在が、今もどこかで動いていると?」
「可能性は高い。」ホームズは静かに頷いた。「フランケンシュタイン博士が行った実験の中には、彼自身の能力を超えた技術がいくつも存在する。それを導いた者がいると考えるのが自然だ。そして、その者が未だに暗躍している可能性がある。」
「では、次はその影を追うのか?」私は問いかけた。
ホームズは一瞬考え込み、それから立ち上がった。「いや、まずは過去を掘り下げる。フランケンシュタイン博士の記録にはいくつかの場所が記されている。その中でも特に重要なのが、彼が最初の実験を行ったスイスの山奥の研究施設だ。」
「スイス……また戻るのか?」私は驚きながらも、その意図を理解しようとした。
「そうだ、ワトソン。」ホームズは帽子とコートを手に取りながら言った。「もしその施設がまだ存在しているなら、そこにはさらなる手掛かりが残されているはずだ。そして、その施設が影の存在に繋がる鍵となるかもしれない。」
再びスイスへ
数日後、私たちは再びスイスへ向かう汽車に揺られていた。アルプスの山々が目の前に迫り、冷たい風が私たちを迎え入れた。フランケンシュタイン博士が最初にその野心を実現しようとした場所に近づいていることを思うと、胸の中に再び不安が押し寄せてきた。
「ホームズ、あの場所には何が待ち受けているのだろうか?」私は窓の外を眺めながら尋ねた。
「それは行ってみなければわからない。」彼は簡潔に答えた。「だが、私は確信している。そこには我々がまだ見ぬ真実が隠されている。そして、それを暴くことがこの事件を終わらせる唯一の方法だ。」
私たちはスイスの小さな村で馬車を借り、さらに山奥へと向かった。地元の人々に話を聞くと、フランケンシュタイン博士が活動していたという噂は、今もなお恐怖と共に語り継がれているようだった。
「博士が使っていた研究施設は、山奥の洞窟に隠されていると聞いたことがあります。」村の老人が低い声で語った。「ですが、誰もそこへ近づこうとはしません。悪魔の実験場だと言われています。」
「悪魔の実験場か。」ホームズは微かに微笑んだ。「それは調査するにはうってつけの場所だな。」
洞窟への道
馬車を降り、私たちは険しい山道を進み始めた。周囲には薄い霧が立ち込め、木々の間から冷たい風が吹き抜けていた。その道の先に、巨大な洞窟の入り口が見えたとき、私は足を止めてしまった。
「ワトソン、何をしている?」ホームズが振り返った。
「すまない、ホームズ。」私は深呼吸をしながら答えた。「ただ、この先に何が待っているのかを考えると、どうしても……」
「怖れる必要はない。」彼は私をまっすぐに見つめた。「我々の仕事は真実を解明することだ。それがどんな恐怖を伴うものであれ、目を背けることはできない。」
その言葉に力を得て、私は彼に続いて洞窟の中へと足を踏み入れた。中は暗く、湿った空気が漂っていた。懐中電灯の光が石壁を照らし、その先に何か巨大な装置が見えた。
「これは……」私は思わず声を上げた。
「フランケンシュタイン博士の遺産だ。」ホームズは静かに言った。
洞窟の奥深く、フランケンシュタイン博士がかつて使用したと思われる巨大な装置が目の前に現れた。その光景は、スコットの研究室で見た装置をさらに古びさせたもののようだったが、どこか異様な威圧感があった。巨大な金属フレームや配線の複雑さからは、単なる科学実験ではなく、禁じられた領域に踏み込んだ証拠を感じさせた。
ホームズは装置の周囲を慎重に歩き回り、冷静な目でそれを観察していた。
「これは……単なる生命再生の装置ではない。」彼は低い声で呟いた。「これは、より大規模で、より高度な何かを試みた形跡がある。」
「より高度な何か?」私は思わず尋ねた。「どういうことだ?」
「まだ断定はできないが……」ホームズは装置に付着した埃を払いながら答えた。「おそらく、博士の初期の研究段階で構想された、完全に新しい生命体の創造、あるいはそれを超える存在の生成を目的とした装置だろう。」
その言葉に、私は再び背筋が冷たくなった。スコットや怪物の記憶が蘇り、胸の奥で恐怖が膨らんでいくのを感じた。
洞窟内には、装置以外にも書類や器具が散乱していた。それらはすべて、時間の経過とともに劣化していたが、一部はまだ読み取れる状態だった。ホームズはその中の一つ、古びた日誌を拾い上げ、ページをめくり始めた。
「ワトソン、見てくれ。」ホームズが日誌の一部を指差した。
そこには、フランケンシュタイン博士の手によるものと思われる文字が記されていた。
「新たな協力者の到着により、研究は次の段階に進んだ。彼の知識と技術は私を驚嘆させるばかりである。彼の名を伏せるよう強く求められたが、その知恵と洞察は私の想像を超えている。」
「新たな協力者……」私はその言葉を繰り返した。「これはやはりスコットではなく、別の人物のことだな?」
「その可能性が高い。」ホームズは頷いた。「さらに興味深いのは、彼が自らの名前を伏せることを求めたという点だ。彼は公にされることを恐れたか、あるいは自らの計画を隠す必要があったのだろう。」
「だが、なぜだ?」私は続けた。「フランケンシュタイン博士と共に研究を進めながら、その功績を隠す理由があるのか?」
「理由はわからないが……」ホームズは日誌の次のページをめくりながら言った。「この協力者は、単なる支援者ではない可能性がある。彼自身が別の目的を持っていたのかもしれない。」
その時、洞窟の奥から低い音が聞こえてきた。まるで、何かが動いているような音だった。
「ホームズ、今の音は……?」私は警戒しながら尋ねた。
「静かに、ワトソン。」彼は懐中電灯を手に取り、音のする方へ光を向けた。
洞窟の奥には、さらに別の通路が続いていた。その先から冷たい風が吹き出し、不気味な音がこだましている。私たちは無言のままその通路へと足を踏み入れた。
通路を進むと、さらに大きな部屋に出た。そこにはもう一つの装置が置かれており、それはさきほどのものよりもさらに巨大で複雑だった。そして、その中心には、人型のシルエットが浮かび上がっていた。
「また怪物か……?」私は恐る恐る尋ねた。
「いや、違う。」ホームズは慎重にそのシルエットに近づきながら答えた。「これは、まだ完成していない。おそらく、フランケンシュタイン博士の最終的な目標だったのだろう。」
その時、部屋の隅に何かが動く気配を感じた。私は反射的に振り返ったが、そこには何もいなかった。しかし、何かが確かに私たちを見ているような感覚があった。
「ホームズ、ここには何かがいる。」私は低い声で言った。
「その可能性は高い。」彼は冷静に答えた。「だが、ここで怯えるべきではない。我々はこの場所を調査し、真実を解き明かす必要がある。」
その瞬間、部屋全体が微かに揺れ始めた。装置が何かの影響を受けたように低いうなり声を上げ、その音が洞窟全体に響き渡った。
「ワトソン、急げ!」ホームズが叫んだ。「この場所が崩れるかもしれない!」
私たちは急いで部屋を後にし、洞窟の出口へと走った。背後からは石が崩れる音と共に、何かが追いかけてくるような気配を感じた。
洞窟を抜け出た私たちは、荒い息をつきながら振り返った。洞窟の入り口は崩れ、完全に閉ざされていた。中に残された装置や資料は二度と取り出せないだろう。
「ホームズ、あの装置は……何だったのだろうか?」私は息を整えながら尋ねた。
「おそらく、フランケンシュタイン博士の未完成の研究だ。」彼は静かに答えた。「だが、重要なのはあの場所に残されていた情報だ。影の協力者がこの研究をどこまで進めたのか、まだすべてが明らかになったわけではない。」
私はその言葉に息を呑んだ。「それでは、この事件はまだ終わっていないということか?」
「終わっていない。」ホームズの目は冷静だった。「むしろ、今が本当の始まりかもしれない。」
読者の皆様へ
「フランケンシュタインの遺産」第5話をお読みいただき、ありがとうございます。作品を楽しんでいただけたでしょうか?
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次回は、2024年12月7日(土)投稿です!
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