第6話 完璧なる創造

ロンドンの夜は冷たく、霧が街路を覆い尽くしていた。私たちがスイスから戻った数日後、ベイカー街221Bには異様な静けさが漂っていた。ホームズは机に広げたフランケンシュタイン博士の記録を眺めながら、何か深い考えに沈んでいるようだった。


「ホームズ、あの洞窟での出来事が今も頭から離れない。」私は暖炉の前に座りながら呟いた。「あの装置、そして日誌に記された『影の協力者』……一体何が真実なのだ?」


彼は視線を上げることなく静かに答えた。「ワトソン、我々が目にしたのはただの断片だ。この物語の全貌を知るには、さらなる手掛かりが必要だ。そして、必ずそれが我々の前に現れる。」


その言葉が終わるや否や、ドアのノックが響いた。その音は、通常の訪問者のものとは異なり、急いでいるように聞こえた。私は立ち上がり、扉を開けた。


そこに立っていたのは、中年の男だった。彼の顔には汗が浮かび、目には恐怖が宿っていた。


「シャーロック・ホームズ様……助けてください。」彼は声を震わせながら言った。


「何があった?」ホームズが素早く尋ねた。


男は足元に封筒を置き、それを私たちに手渡した。「これを……今朝、私のオフィスに置いてあったんです……誰が置いたのかも、なぜなのかもわかりません……ただ……恐ろしいことが書かれている。」


ホームズは封筒を開け、中に入っていた紙を広げた。その文字は手書きで、不気味なほど整然としていた。


「完璧な創造は間近に迫っている。ロンドンは、新たな未来の幕開けを目撃するだろう。」


その一文には、発信者の名前も署名もなかった。ただ、その文字から漂う冷たい威圧感が、部屋の空気を一変させた。


「これは……誰が書いたものだ?」私は尋ねた。


「間違いない。」ホームズは紙を折り直しながら言った。「影の協力者が動き出したのだ。」


男は再び震える声で言った。「私は、ロンドンの科学研究施設で働いています。この手紙が置かれていた場所は、極秘の研究が行われる部門の入り口です。どうか、助けてください……」


「その施設で何が行われているのか、詳しく話していただけますか?」ホームズは男の目をじっと見つめながら尋ねた。


男は一瞬ためらったが、意を決したように答えた。「施設では、政府の依頼で新しい技術を開発しています。ただ、その一部は私にも明かされていません。けれど、最近になって、誰も知らない人物が夜間に出入りしているのを見たという噂を聞きました。あるいは……彼らが関係しているのではないかと……」


「その人物について何か他にわかることは?」ホームズがさらに質問を重ねた。


「何も……顔を見ることはありませんでした。ただ、一つだけ。彼らは、施設の最深部にあるラボに何かを持ち込んでいるようです。」


ホームズは静かに椅子から立ち上がった。「ワトソン、準備をするぞ。我々はすぐにその施設を訪れる必要がある。」


「今から行くのか?」私は驚きながら尋ねた。


「時間がない。」ホームズの目は鋭く光っていた。「この警告は脅迫ではなく、計画の開始を示している。行動を起こさなければ、手遅れになるだろう。」


夜のロンドン。霧が街を包み込み、ガス灯のかすかな光が揺れている。私たちは匿名の男が示した科学研究施設に向かっていた。馬車が止まると、目の前には巨大な鉄門が立ちはだかり、その向こうには厳重な警備が施された建物がそびえていた。


「ここが施設か……」私は建物を見上げながら呟いた。「どうやって中に入るつもりだ、ホームズ?」


彼はポケットから一枚の紙を取り出した。それは先ほど男が渡してくれた施設の簡易な設計図だった。


「この施設は、政府機関と繋がりがあるが、監視の網にいくつかの穴がある。」ホームズは設計図の一部を指しながら言った。「この裏手にある補給口からなら侵入できるはずだ。」


私は不安を感じながらも彼に続くことにした。私たちは施設の裏手に回り、壁際に隠れて動き出した。補給口は小さな鉄製の扉だったが、ホームズは手際よくそれを解錠した。


「鍵の技術は進化しても、その欠陥は相変わらずだな。」ホームズは呟きながら扉を開けた。


施設の中は静寂に包まれていたが、その冷たい空気には何か異様なものを感じた。廊下を進むと、壁には数多くの研究成果を示す掲示物が貼られており、それらはすべて科学の進歩を誇るような内容だった。しかし、どこか不自然な空白が散見された。


「ホームズ、この施設では一体何を研究しているんだろう?」私は小声で尋ねた。


「それが問題だ、ワトソン。」彼は資料を一つ手に取りながら答えた。「ここで行われている研究は、単に科学の進歩のためだけではないようだ。政府や軍事機関との繋がりを利用し、秘密裏に進められている何かがある。」


その時、廊下の奥からかすかな足音が聞こえた。私は反射的に身を低くし、壁際に隠れた。ホームズもすぐに影に身を潜めた。


足音が近づき、やがて一人の男が現れた。彼は研究員のような白衣を着ており、手に小型の装置を持っていた。その装置は光を放ち、奇妙な低い音を発していた。


「何をしているんだ……?」私は小声で呟いた。


ホームズは指を唇に当て、静かに観察を続けた。その男は奥の部屋に入り、扉を閉めた。その扉には「立入禁止」の看板が掛けられており、鍵が厳重に掛けられているようだった。


「ワトソン、あの部屋に入る必要がある。」ホームズは決然と言った。


「だが、どうやって……」私は不安げに尋ねた。


「それは心配いらない。」彼は懐から細い金属の棒を取り出した。「警備が厳重だとしても、物理的な仕組みは解読可能だ。」


私たちは扉の前に進み、ホームズが鍵の解除に取り掛かった。彼の手は迷いなく動き、数分もしないうちに鍵がカチリと音を立てて外れた。


「よし、中へ入るぞ。」彼は扉を静かに開けた。


部屋の中は薄暗く、壁には無数の配線が這っていた。その中心には、大型の装置が設置されており、その周囲には奇妙な資料や薬品が散乱していた。その光景は、まさにスイスで目にしたスコットの研究室を思い起こさせた。


「これは……」私は驚愕の声を上げた。


ホームズは装置に近づき、その構造を詳しく観察していた。「この装置は生命操作の研究に関連している。しかし、スコットのものよりもさらに進化している。影の協力者がここで何を試みているのか、証拠を掴む必要がある。」


彼は資料の束を手に取り、手早く目を通した。その中に、一つの名前が記されているメモを見つけた。


「ここに記されている名前……『レイモンド・ハドリー』。」ホームズが声を潜めて言った。「影の協力者の正体かもしれない。」


「ハドリー?」私はその名前に覚えがなかった。「彼は一体何者だ?」


「それを調べるのが次の仕事だ。」ホームズはメモを懐にしまいながら答えた。「しかし、その前にこの施設の状況をさらに把握する必要がある。彼の計画がどれほど進んでいるのかを。」


その時、背後で扉が開く音がした。私たちは振り返り、そこに立っていたのは先ほどの研究員だった。彼は私たちの存在に気づき、驚愕の表情を浮かべた。


「お前たちは誰だ!」研究員が叫んだ。


「動くな!」ホームズが冷静に指示した。「騒ぎを起こすつもりはない。ただ、ここで行われている研究について話を聞かせてもらおう。」


研究員は怯えた様子で後ずさりしながら言った。「ここは危険だ……お前たちはすぐに立ち去るべきだ。さもなければ……彼が戻ってくる!」


「彼とは誰だ?」ホームズが鋭く問いかけた。


「レイモンド・ハドリー……」研究員は震えながら言った。「彼がこの全てを指揮している。そして、彼は完璧な創造を完成させる直前だ!」


その言葉に、私は息を呑んだ。「完璧な創造……?」


「そうだ!」研究員は叫んだ。「だが、彼の創造物は……制御不能になるかもしれない!早くここを出るんだ!」


研究員の言葉が静寂の中に響いた。「彼の創造物は……制御不能になるかもしれない!」

その瞬間、施設全体が低いうなり声を上げた。機械の作動音が響き渡り、足元の床が微かに震え始めた。私は無意識に身を硬くした。


「ホームズ、この音は……」私は声を震わせながら尋ねた。


「何かが起動している。」ホームズは冷静に答えた。「ハドリーがこの施設にいる可能性が高い。我々は急がなければならない。」


研究員は怯えた表情を浮かべながら後退し、再び叫んだ。「早くここを出るんだ!彼が戻ってくる前に!」


しかし、ホームズは動じることなく彼に詰め寄った。「ハドリーの目的は何だ?この施設で何を作ろうとしている?」


研究員はしばらく逡巡した後、恐る恐る口を開いた。「彼は……完璧な存在を作ろうとしている。人間を超えた力、知性、そして寿命を持つ存在を……」


「人間を超えた存在だと?」私はその言葉に戦慄した。「それが制御不能になる可能性があるとはどういうことだ?」


研究員は怯えた表情をさらに強張らせながら言った。「その存在は……ただの命令に従う機械ではない。彼は感情や意思を持ち、進化する能力を備えている。だが、それがどのような形で現れるのか、誰にもわからない!」


その時、遠くから金属がこすれるような音が聞こえた。それは徐々に近づき、まるで何か巨大な存在が施設内を歩き回っているようだった。


「ワトソン、急げ!」ホームズが鋭く声を上げた。「我々がいることが気づかれるのは時間の問題だ。」


私たちは研究員を残し、施設の奥へと向かった。廊下を進むたびに、足元の振動が強くなり、壁に設置されたライトが不規則に点滅している。


やがて私たちは、施設内で最も広い部屋にたどり着いた。そこには、見たこともないほど巨大な装置が設置され、その中心にはガラス製のカプセルが立っていた。その中には、人間のようなシルエットが横たわっている。


「これが……」私はその光景に息を呑んだ。「ハドリーが言う『完璧な創造物』なのか?」


ホームズは慎重にカプセルに近づき、その構造を観察していた。「このカプセルは、生物を維持するための生命維持装置だ。中の存在はまだ完全に目覚めていないようだが、既に活動を始めている。」


その時、装置の脇に設置されたモニターにデータが映し出された。それは異常な数値を示しており、まるで生命体が急速に成長し、変化を遂げていることを示唆しているようだった。


「ホームズ、このままでは……」私は恐怖に駆られながら言った。


「確かに危険だ。」ホームズは頷きながら言った。「だが、これを止めるにはハドリーを見つけ、その計画を完全に阻止しなければならない。」


その瞬間、部屋の反対側の扉が音を立てて開いた。そこに立っていたのは、一人の男だった。身長は高く、鋭い目つきと冷ややかな笑みを浮かべている。彼の姿からは、ただならぬ知性と冷酷さが感じられた。


「なるほど、君たちがここまで辿り着くとは思っていなかった。」彼は静かな声で言った。「初めまして、シャーロック・ホームズ。」


「レイモンド・ハドリーか。」ホームズは冷静に彼を見据えた。「お前がこの計画の中心人物だな。」


「その通りだ。」ハドリーは微笑みながら部屋に足を踏み入れた。「だが、計画を中心で動かしているのは私ではない。この存在そのものだ。私は単なる導き手に過ぎない。」


「それはどういう意味だ?」ホームズが問いかけた。


ハドリーはガラスカプセルに目を向けながら答えた。「この存在は、人間を超越した究極の生命体だ。彼らは自ら進化し、学び、我々の代わりに未来を築く存在となるだろう。彼らの中にある知恵と力は、我々には想像もできないほどだ。」


「だが、それが制御不能になるリスクをお前自身が認識しているはずだ。」ホームズは鋭く言った。「なぜそれでもこの道を進む?」


「制御不能?」ハドリーは笑いながら答えた。「君は理解していない。彼らを制御する必要などない。彼らが新しい秩序を作り出すのだ。我々人間を遥かに超えた存在が、真の未来を創造するだろう。」


ハドリーの言葉に、私は戦慄を覚えた。それは単なる科学者の野心を超えた狂気だった。


「ホームズ、彼を止めなければ……」私は急いで言った。


「その通りだ、ワトソン。」ホームズは静かに頷いた。「ハドリー、お前の計画はここで終わりだ。」


その時、カプセルが突然激しく震え始めた。装置が大きな音を立て、警告音が部屋中に響き渡った。


「ついに目覚めの時が来たか。」ハドリーは満足げに微笑んだ。「君たちも彼の誕生を目撃する栄誉を持つことになる。」


ガラスカプセルの中の存在がゆっくりと動き出し、その目がぼんやりと光を帯び始めた。


ガラスカプセルの振動がますます激しくなり、室内の装置が一斉に赤い警告灯を放ち始めた。部屋の空気は緊張で張り詰め、何か得体の知れない力が目覚めようとしているのを誰もが感じ取っていた。


「ホームズ、これは……」私は声を震わせながら尋ねた。


「新たな脅威が現れようとしている。」ホームズは冷静に装置を観察しながら言った。「だが、この誕生を止める方法がまだあるはずだ。」


「止める?」ハドリーが嘲笑を浮かべた。「君たちは理解していない。この存在を止めることなどできはしない。彼は進化そのものだ。君たち人間の小さな倫理や恐怖は、彼の存在に何の影響も与えない。」


その言葉に、私は背筋が凍るような思いをした。ハドリーの視線は、ただ一心にカプセルの中の存在を見つめていた。彼の目には狂気とも崇拝とも取れる光が宿っている。


突然、カプセルのガラスが割れるような音を立て、霧状の冷却ガスが部屋中に広がった。その中から、人型のシルエットがゆっくりと姿を現した。その存在は人間に近い外見を持ちながらも、どこか異質な雰囲気をまとっていた。目は淡く光り、その体はまるで生命と機械が融合したように見えた。


「彼が……完璧なる創造物だ。」ハドリーは興奮した声で呟いた。


その存在はゆっくりと目を開き、部屋全体を見回した。そして、まるで自分の存在を理解しようとするかのように、静かに歩みを始めた。


「ホームズ、彼をどうするつもりだ?」私は恐る恐る尋ねた。


「観察する。」ホームズは目を鋭くしながら言った。「彼が何を求め、何をしようとしているのか。それを見極める必要がある。」


その時、創造物がハドリーの方へと向きを変えた。そして、低く響く声で言葉を発した。


「お前が……私を創り出したのか?」


その声は人間らしい抑揚を持ちながらも、どこか冷たさを感じさせた。ハドリーは一歩前に出て答えた。「そうだ。私はお前を創り出した。そして、お前が人類を超越した存在となるよう導くのだ。」


しかし、創造物の目が一瞬光を増した。その瞬間、彼の声に怒りのような響きが混じった。


「お前は……何もわかっていない。」


その言葉と同時に、部屋全体が激しく揺れた。創造物が放った不可視の力が装置を破壊し、周囲の壁にひびを入れた。私はバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。


「止めるんだ!」ハドリーが叫んだが、その声は届かなかった。創造物はゆっくりとホームズの方に振り返り、彼を見つめた。


「お前は……違う。」創造物は低い声で言った。「お前は私を理解しようとしている。」


「その通りだ。」ホームズは一歩も引かずに答えた。「だが、お前が何を望むのか、それを見極めなければならない。」


創造物はしばらく沈黙した後、再びハドリーの方を向いた。


「お前の創造は間違いだ。」


その瞬間、創造物はハドリーに向けて手を伸ばし、彼を掴み上げた。そして、静かに部屋の出口へと向かって歩き出した。私は追おうとしたが、ホームズが私を止めた。


「ワトソン、今は手を出すべきではない。」彼は低い声で言った。「彼は自分の意志で行動している。我々はただ、次に何が起きるのかを見守るしかない。」


創造物が去った後、部屋は静寂に包まれた。ハドリーの研究も、彼の野望も、すべてがその背後に残された混乱の中に消えた。


「ホームズ、これで終わったのか?」私は問いかけた。


「いや、終わりではない。」ホームズは静かに答えた。「彼は自由になった。だが、その自由が何を意味するのか、我々はまだ知らない。」


私はその言葉に息を呑み、胸の中に新たな不安が広がるのを感じた。


次回予告: 「創造物の選択」


ロンドンの街に姿を消した創造物。その後、都市で次々と奇妙な事件が起こり始める。彼が何を求め、何を選択するのか――そして、それが人類にとって救いとなるのか、破滅をもたらすのか。


ホームズとワトソンは創造物の足跡を追いながら、彼の本当の目的に迫る。しかし、彼らを待ち受けていたのは、創造物を追うもう一つの存在だった。


次回、「創造物の選択」。創造された生命が下す決断が、世界の未来を変える。


読者メッセージ


最後までお読みいただき、ありがとうございます!この物語は、科学の進歩がもたらす可能性と、その影に潜む危険性を探る冒険の旅です。あなたなら、この創造物の行動をどう捉えますか?そして、ホームズとワトソンが彼をどのように導くべきだと思いますか?


次回もさらなる謎と緊張感が待ち受けています。ぜひお楽しみに!コメントや感想をお寄せいただけると、物語をさらに深める励みになります。引き続き応援よろしくお願いいたします!

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