第3話 霧の中の追跡

霧がますます濃くなり、私たちの視界を覆い尽くしていた。屋敷を後にした私たちは、フランケンシュタインの実験の背後に潜む真実をさらに追うべく、シュタイナー博士の足取りを追い始めた。ホームズの表情はこれまで以上に鋭く、彼の推理の中で何かが形を成しつつあるのを感じた。


「ワトソン、シュタイナー博士がまだこの村の近くに潜伏している可能性は高い。」

「なぜそう思う?」私はその根拠を問うた。


「彼が怪物を遠隔操作していた装置は、短距離でしか機能しないだろう。この技術がまだ未完成であることを考えれば、彼はそう遠くには行けない。さらに、彼には怪物を完全に蘇らせるという目標がある。ここを離れる理由はないはずだ。」


ホームズの言葉には一切の迷いがなかった。その確信に満ちた声が、私の中に一筋の希望を与えてくれた。


村の外れにある森に入ると、霧はさらに濃くなり、まるで私たちを飲み込むかのようだった。木々は不気味にそびえ立ち、その影が揺れるたびに、私は何かが動いているのではないかと疑いの目を向けた。


「ホームズ、この霧の中で彼を見つけるのは無理だ。逃げるべきだと思う。」私は不安を隠しきれずに言った。


しかし、ホームズは私の言葉を無視し、地面に目を落としたまま、何かを探しているようだった。そして、彼は不意に立ち止まり、指を地面の一点に向けた。


「見ろ、ワトソン。ここに足跡がある。」

「足跡?」私は驚いて膝を折り、彼の指す場所を見た。そこには確かに、靴の跡と何か重いものを引きずったような痕が残っていた。


「これはシュタイナー博士のものだ。彼は何かを運んでいた可能性が高い。そして、この方向に向かっている。」ホームズは森のさらに奥を指差した。


私たちは慎重にその足跡をたどり始めた。風が葉を揺らす音と、遠くで聞こえる動物の鳴き声が、ただでさえ緊張している私の神経をさらに尖らせた。霧の中、何かが私たちを見ているような気配が絶えず感じられた。


突然、足跡が途切れた場所に出た。そこには古びた小屋が一軒、霧の中にぼんやりと姿を現していた。木の板で作られたその小屋は、すでに崩れかけており、長い間使われていないように見えた。


「ここだ、ワトソン。」ホームズは小屋に目を向け、静かに言った。「彼はこの中にいる可能性が高い。」


「本当にここに……?」私は疑わしげに小屋を見た。その佇まいには、不気味なほどの静けさが漂っていた。


「確かめるしかない。」ホームズはポケットから鍵のような道具を取り出し、扉の前に立った。そして、慎重にその錠を開けると、扉を静かに押し開けた。


中に入ると、そこは意外にも整然としていた。書類や道具が所狭しと並べられ、中央にはフランケンシュタイン博士の研究をさらに発展させたかのような装置が設置されていた。


「これは……」私は息を呑んだ。「シュタイナー博士の研究室だ!」


ホームズは何も言わず、机の上の書類を調べ始めた。その顔には厳しい表情が浮かび、彼が読み進めるにつれて、それがますます険しくなっていった。


「ワトソン、これはただの研究室ではない。ここで彼はさらに新しい怪物を作り出そうとしている。」

「新しい怪物?」私はその言葉に恐怖を感じた。


「そうだ。彼の目標は単にフランケンシュタインの研究を再現することではない。彼はその技術を進化させ、さらに強力で、完全に支配可能な生命体を作り出すことだ。」


私はその言葉に衝撃を受けた。これまでの事件だけでも十分に恐ろしいというのに、さらに新たな怪物が生まれるかもしれないという考えは、私には耐えられないものだった。


その時、背後で床が軋む音がした。私は慌てて振り返ったが、そこには誰もいなかった。しかし、確かに何かが動いたような気配を感じた。


「ホームズ、誰かがいる……!」私は声を潜めて言った。


ホームズは冷静に立ち上がり、机の上の懐中電灯を手に取った。そして、光を壁際に向けると、そこには一つの影が映し出された。


「隠れているつもりか、シュタイナー博士。」ホームズの声は鋭く響いた。


その瞬間、影が動き出し、小屋の奥から一人の男が姿を現した。その顔は痩せこけ、目は異様に輝いていた。彼の手には奇妙な装置が握られており、それが何を意味するのか、私には一目で理解できた。


「ホームズ……」その男は不敵な笑みを浮かべながら言った。「やはり君がここまで来ると思っていたよ。」


「シュタイナー博士、これ以上の愚行を続けるつもりか。」ホームズの声は冷たく響いた。「お前の研究がどれほど危険か、理解しているはずだ。」


「危険だと?これは人類の未来を切り開く技術だ!」シュタイナー博士は興奮した声で言った。「君にはわからないだろう、この可能性の大きさが!」


「だが、その未来のためにいくつの命が犠牲になるのか、考えたことはあるのか?」ホームズの声は冷静だったが、その中には怒りが滲んでいた。


シュタイナー博士は答えず、ただ笑った。そして、その手に握られた装置のスイッチに指を伸ばした。


「やめろ、シュタイナー博士!」私は叫んだが、遅かった。彼がスイッチを押した瞬間、小屋全体が震え、床下から巨大な影が動き出した。


シュタイナー博士がスイッチを押した瞬間、小屋全体が揺れ、床下から鈍い振動音が響き始めた。私は足元が崩れるような感覚に襲われ、壁に手をついて何とか体勢を保った。ホームズは冷静にその音の発生源を見極めようとしていたが、その鋭い目の奥には警戒の色が浮かんでいた。


「博士、何をした?」ホームズが鋭く問い詰めた。


シュタイナー博士は不気味な笑みを浮かべたまま、スイッチを握りしめていた。「フランケンシュタインの研究を完成させたのだよ、ホームズ。今こそ、その成果を君たちに見せてやる時だ!」


その言葉の直後、小屋の床板が大きく割れ、下から巨大な装置がゆっくりと持ち上がってきた。その中央には、何か異様な形状のものが横たわっていた。金属製の枠に固定されたそれは、まさにフランケンシュタインの怪物をさらに進化させたかのような姿だった。


「まさか……これが新しい怪物なのか?」私は声を震わせながら言った。


「その通りだ、ワトソン先生。」シュタイナー博士は誇らしげに答えた。「彼は完全なる存在だ。今までの怪物とは違い、全てを制御可能だ。これが生命の究極の形だ!」


怪物の体は異様に大きく、筋肉質で、全身が何か奇妙な金属製の装甲で覆われていた。彼の目は閉じたままだったが、その存在感だけで私の背筋は凍りついた。まるで、その場の空気全てを支配しているかのようだった。


「博士、これ以上の愚行をやめるんだ!」ホームズが声を荒げた。「この研究は破滅をもたらすだけだ。自分でもわかっているはずだ!」


しかし、シュタイナー博士はその言葉を聞き入れる様子もなく、再び装置のスイッチに手を伸ばした。「破滅?いや、これは進化だよ。ホームズ、君にはまだわからないだろうが、人類はこうして新たな次元に進むのだ。」


彼がスイッチを押すと、怪物の目がゆっくりと開いた。その目は冷たく輝き、何か人間ではない感情を宿しているように見えた。私はその視線に圧倒され、言葉を失った。


怪物はゆっくりと体を起こし、金属製の台座から立ち上がった。その動きはぎこちなくもあり、同時に異常な力強さを感じさせた。彼が一歩足を踏み出すたびに、小屋全体が震えた。


「ホームズ、どうする……?」私は声を震わせながら尋ねた。


「冷静になれ、ワトソン。」ホームズは怪物をじっと観察しながら答えた。「彼の動きにはパターンがある。シュタイナー博士が完全に制御できるわけではないはずだ。」


その瞬間、怪物が突然ホームズと私の方を向いた。その動きは予測不能で、まるで私たちの存在を分析しているかのようだった。


「素晴らしいだろう?」シュタイナー博士は歓喜に満ちた声で叫んだ。「彼は私の命令に絶対に従う。恐れる必要はない!」


しかし、その言葉とは裏腹に、怪物はシュタイナー博士の方に向き直り、大きな手をゆっくりと伸ばした。その動きには迷いがなかった。そして、次の瞬間、彼の手が博士の体を掴み上げた。


「何をする!?お前は私の命令に従うはずだ!」シュタイナー博士は必死に叫んだが、怪物は全く反応しなかった。その目は冷たく輝き、博士をじっと見つめたままだった。


「ホームズ、止める手段はないのか?」私は叫びながら尋ねた。


「待て、ワトソン。」ホームズは冷静さを保ちながら答えた。「彼の行動は完全に本能的なものではない。何か意図がある。」


その言葉通り、怪物はシュタイナー博士を持ち上げた後、ゆっくりと小屋の外に向かって歩き始めた。博士の叫び声が霧の中に消えていく。


「追うぞ、ワトソン!」ホームズは私に命じ、小屋の外へと駆け出した。


霧の中、怪物の巨大なシルエットがはっきりと見えた。彼は村の外れに向かって歩いているようだった。その後ろ姿には何か哀愁のようなものが感じられたが、それが何を意味するのか、私にはわからなかった。


「ホームズ、彼はどこへ向かっているのだろうか?」


「おそらく、自分を作り出した根源に戻ろうとしているのだろう。」ホームズは答えた。「シュタイナー博士の研究は彼に命を与えたが、その命がどのような意味を持つのかを理解しようとしているのだ。」


私たちは霧の中を必死に追いかけたが、怪物の歩みは驚くほど速かった。そして、ついに彼が立ち止まった場所にたどり着いた。そこは、古びたフランケンシュタイン博士の屋敷の跡だった。


怪物は博士を地面に降ろし、ゆっくりと屋敷の方向を見つめていた。その姿は、まるで何かを思い出そうとしているかのようだった。


「これはどういうことだ?」私は小声で尋ねた。


「彼は自分の存在理由を問い始めている。」ホームズが低い声で答えた。「シュタイナー博士の命令ではなく、彼自身の意志でここに戻ってきたのだ。」


その瞬間、怪物がこちらを向いた。その目には、かすかながらも人間らしい感情が浮かんでいた。それは怒りとも悲しみともつかない、不思議な感情だった。


「ホームズ、これからどうする?」私は恐る恐る尋ねた。


「彼と対話するしかない。」ホームズは静かに答えた。「彼が何を望んでいるのか、それを知ることができれば、事態を収める手段が見つかるかもしれない。」


古びたフランケンシュタイン博士の屋敷の廃墟に立ち尽くす怪物。その巨大な体は、月明かりの下で闇に溶け込みながらも、異様な存在感を放っていた。霧がその輪郭をぼやかし、彼がここに立つ理由を知っているのは彼自身だけのように思えた。


地面に投げ出されたシュタイナー博士は、全身を震わせながら怪物を見上げていた。その目には恐怖と狂気が入り混じり、かつての科学者としての誇りは見る影もなかった。


「お前は私が作ったものだ……私の命令に従うはずだ!」博士は声を震わせて叫んだ。


しかし、怪物は彼を見下ろしながらも、全く反応を示さなかった。その目は静かで、何かを深く考えているようにも見えた。それは単なる暴力的な存在ではなく、自分の存在理由を問い始めた生命体そのものだった。


ホームズが静かに一歩前に進み出た。怪物の目が彼に向けられたが、彼は一切怯むことなく、その冷たい視線を受け止めていた。


「お前は、なぜここに戻ってきた?」ホームズの声は低く、しかし明瞭だった。


怪物はゆっくりと頭を傾け、ホームズを見つめ続けた。そして、驚くべきことに、その巨大な口がわずかに動いた。


「……わからない……」

その声は低く、轟くような響きで、言葉としては不明瞭だったが、確かに言葉を発していた。


私はその瞬間、背筋に寒気が走った。目の前の存在が、ただの狂暴な怪物ではなく、何かを考え、感じていることを示していたからだ。


「そうか……自分の存在理由を理解しようとしているのだな。」ホームズは静かに頷き、さらに一歩近づいた。


怪物はそれ以上何も言わず、ただホームズを見つめ続けた。その目には、怒りでも恐怖でもない、純粋な問いが宿っているように感じられた。


「彼は自分の存在そのものを問い始めている。」ホームズは振り返り、私に語りかけた。「彼はシュタイナー博士の命令に従う機械ではない。フランケンシュタイン博士が創り出し、博士の研究を受け継いだ人間たちが操ろうとしたが、今や彼は自らの意思を持ち始めている。」


「意思だと?」私は驚きの声を上げた。「彼は……生命体なのか?ただの実験の産物ではなく?」


「その通りだ、ワトソン。」ホームズは断言した。「彼が考え、感じる存在である以上、我々は彼と対話するしかない。そして、彼の中にある怒りや孤独を理解し、彼を導かなければならない。」


その言葉に私は言葉を失った。ホームズの考えは正しいのかもしれない。しかし、目の前の存在がどれほど危険であるかを考えると、恐怖が私の心を支配していた。


突然、怪物が再び口を開いた。


「……なぜ……私を……作った……?」

その声は途切れ途切れで、不完全だったが、明らかに言葉としての形を成していた。


「その問いに答えられるのはシュタイナー博士、そして彼の前にいたフランケンシュタイン博士だ。」ホームズが静かに答えた。「だが、私はお前の問いに正面から向き合うつもりだ。」


シュタイナー博士は地面に座り込み、恐怖で震えながら首を振った。「お前を作ったのは……偉大な科学の進歩のためだ!人類を超越する存在を作り出すために……」


その言葉に、怪物の目が一瞬だけ鋭く光った。


「……進歩……人類……」

怪物の声は低く、そして苦しそうだった。それは彼自身の存在を否定するかのような響きだった。


ホームズがゆっくりと怪物に近づいた。


「お前が感じている苦しみや孤独、それは我々人間が引き起こしたものだ。我々はお前を理解しようとしなかった。お前の存在を恐れ、自分たちの利益のためだけにお前を利用しようとした。だが、私は違う。私はお前と対話を続けるつもりだ。お前が何を望んでいるのか、それを知りたい。」


怪物は一瞬その場で動きを止め、深く息を吐くような音を立てた。そして、ゆっくりと口を開いた。


「……私は……生きる意味を……知りたい……」


その言葉に、私は息を飲んだ。その声には明らかに苦悩と哀しみが込められていた。目の前にいるこの存在は、ただの恐怖の象徴ではなく、感情を持つ生命体だったのだ。


その時、シュタイナー博士が突然立ち上がり、ホームズの背後から怪物に向かって叫んだ。


「黙れ!お前はただ私の命令に従えばいい!お前に意思など必要ない!私はお前を完全に制御できる!」


彼はポケットから再び小型の装置を取り出し、それを操作しようとした。その瞬間、怪物の目がシュタイナー博士に向けられた。その目はもはやただの哀しみではなく、怒りに満ちていた。


「シュタイナー博士、やめるんだ!」ホームズが叫んだ。


しかし、博士は装置のスイッチを押してしまった。その瞬間、怪物の体が大きく震え、周囲の空気が歪むような圧力が発生した。


怪物はゆっくりとシュタイナー博士に近づき、彼を見下ろした。そして、再びその大きな手を持ち上げた。


「……お前は……私を……苦しめた……」


その声は静かでありながら、深い怒りを含んでいた。私は恐怖のあまり動けなかったが、ホームズが一歩前に出た。


「待て!その手を下ろせ!」ホームズが叫んだ。「彼を殺すことで、お前が探している答えが見つかるのか?」


怪物の動きが止まった。その巨大な体は静止し、しばらくの間、深い沈黙が続いた。そして、ついに怪物は手を下ろし、背を向けた。


怪物はゆっくりと屋敷を後にし、霧の中へと消えていった。その背中には、孤独と悲しみが重くのしかかっているように見えた。


「ホームズ、彼は……」私は声を震わせながら尋ねた。


「彼は自分自身を探し続けるだろう。」ホームズは静かに答えた。「そして、その答えを見つけることができるのは、彼自身だけだ。我々ができるのは、彼がその旅を邪魔しないようにすることだけだ。」


私はその言葉に頷きながらも、目の前の出来事が現実なのか夢なのか、まだ理解できていなかった。


読者の皆様へ


「フランケンシュタインの遺産」第3話をお読みいただき、ありがとうございます。作品を楽しんでいただけたでしょうか?

体調不良のため執筆を断念しておりましたが、少し体調が良くなった為、執筆を再開致します。


ぜひ、皆様の評価レビューや応援コメントをお聞かせください!ご感想やご意見は、今後の作品作りの大きな励みとなります。


次回は、2024年12月1日(土)投稿です!


皆様に楽しんでいただける物語をお届けできるよう頑張りますので、応援よろしくお願いいたします!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る