第7話

 花見の宴は終わり、帰りの道。


「それでは我々は先に村に戻っていましょうか」


 巫女の言葉に従い私たちは先に丘を下り始めた。

 集落の者たちは片付けがあるためだ。

 流石に巫女と姫である私たちが加われば気を遣わせる.

 先に戻ったほうがよいだろう。

 日はまだ高いものの木々に覆われた丘の下り坂は少しひんやりとしていた。

 花は咲き誇り周囲は薄紅色に彩られ美しい光景が集落まで続いている。


 だが先ほどから嫌な気配を感じている。背筋をざわつかせるいやな感覚だった。

 数歩先を歩いていた巫女が急に立ち止まると振り返りざまに私に尋ねる。


「姫様見えてますか?」

「ああ。そうでなくともいやな気配がする。これに気づかないのは武人の恥だ」

「そうですか、ならなおさら……」


 巫女の隣に躍り出る。皆はまだ花見の余韻に浸りにこやかに丘を下ってくる。


「皆とまれ。鬼が来るぞ」


 私は周囲にいる者たちにそう叫ぶ。


「ひい。お、鬼ですか?」


 近くにいた里のものが震えだす。人を喰らう化け物。鬼。

 今までに出会ったことはなかったがこの肌を刺す嫌な気配。

 私でも今すぐにこの場を去りたいほどだ。相当危険な存在だとわかる。

 このままでは襲われる。逃がさねば人死にも出かねない。


「どうも戦うしかなさそうですね」

「何を言うのですか星詠み様⁉」


 刹は恐れ、震えている。考えてみれば私を返り討ちにするほどの女だ。

 心配は無用だろう。だが他のものから見れば、華奢な巫女が勝てるとは到底思うまい。


「巫女様方、御下がりを」


 近くにいた巫女の侍従たちが躍り出た。すでに腰の太刀に手を据えて臨戦態勢である。

 相当の手練れであることはその立ち振る舞いからも予想できる。

 事実、この里への旅路で巫女を襲えなかった原因でもあった。

 数人の従士は剣を抜き放つ。彼等なら当然鬼も倒せよう。


 だがしかし、里のものを守りながらで上手く立ち回れるのだろうか?


 そうこうするうちに雲が空を覆い始める。突如陰り嫌な気配はより一層濃くなる。

 藪をかき分ける音が聞こえてくる。

 思っていたよりは小さいが不気味な影が目の前に現れた。

 身の丈五尺。夕日にのばされた人の影がそのまま立ち上がったかのようだった。

 細く長いいびつな人型。影の化け物。額には漆黒の角。

 この世に恨みつらみを吐き出すように呻き声を出している。


「みんな逃げて。丘の上へ」


 巫女の指示で里の者たちはもと来た道を駆け上がっていく。

 鬼の咆哮とともに戦いは始まる。一番若手の従士が太刀で切りかかる。

 早い、だが浅かった。鬼は斬られるすんでのところで後ろにはねのきその太刀を躱して見せた。

 鬼はその攻撃に怒ったのかさらに不気味な奇声をあげ始める。

 かわした鬼の首目掛け二人目の従士が突きを放つがそれを拳ひとつで払いのけた。


「なんて奴だ。拳で太刀をはじいたぞ」

「そうですね。しかも、なかなか素早いようです」


 巫女はすました顔で戦いの行方を見守っている。鬼に対して恐怖はないのだろうか?


「我らも加勢するか?」

「いいえ、なりません。邪魔になるだけです」


 私も一応武人の端くれ。得物はどこに行くにも携えている。

 いざとなれば自分の身を守れねば困るというのもあるが鍛錬も怠ってはいない。

 柄に手をやり身構えるがそれを巫女が首を振って制した。


「どういう意味だ。私も彼らに遅れはとらんぞ」


 これでも武芸にはそれなりの自信がある。

 人を斬ったことはないが足手まといにはなるまい。

 わずかながらも手助けにはなれると思うのだ。


「まあ、見ていてください」


 巫女がそういうが早いか二人の攻撃を避けた鬼のそのすぐ後ろに回り込んでいた三人目の従士が鬼の左腕を切り飛ばす。連携攻撃により鬼に深手を負わせたのだ。

 日々の研鑽もそうだろうが一人一人の役割分担が取れている。


「なるほど一人の力だけでなく、数の力か」

「そうです。鬼に人の身で対抗するには協力が必要不可欠。下手な手出しは連携を損ねかえって危険なのですよ」


 巫女の言う通り一人の力だけでは小さくとも数が合わさりその効果は何倍にもなる。

 鬼退治には協力が必要なのだ。


 手傷を負った鬼。それに怒ったのか鬼は身の毛もよだつ呻き声をあげ始めた。


「ここからが本当の戦いです。鬼もタダではやられてはくれませんから」


 刹の言葉の通り、鬼は急に大降りに腕を振り回し従士たちに迫る。

 単調な動きだが鬼の力は強い。刀で受けた一人は直撃は免れたもののそのまま後ろに跳ね飛ばされる。恐ろしい膂力。とてもじゃないが正面切って戦える相手ではない。


 鬼はさらに吠える。

 ほかの二人が左右からそれぞれ切りかかるのを拳ではじくは斬られた腕でも気にせず殴り掛かるは大暴れだ。まったく体力に衰えを感じさせない。


「なんて化け物だ。普通の生き物ならあの傷ではそう長く持たんぞ」

「鬼には血も涙もありません。斬られた痛みも感じてるのかわかりません。だからこそ厄介なのですが見ててくださいもう決まりますよ」


 荒れ狂う鬼に二人の従士は必死に食い下がる。一手でも受け損じれば大怪我は必至。

 額からは汗がしたたり落ち、力を出すために口からは怒声が漏れる。

 攻防のいく末に誰もが息をのむ。いつまでも持つものではない。

 いつこの均衡は崩れてもおかしくはなかった。

 そして、ついに従士と鬼の戦いの攻防は鬼のほうに軍配が上がる。

 姿勢を崩した従士が数歩後ずさる。鬼はそのすきを突き殴り掛かろうとする。


「まずい、あの者やられるぞ」


 そう思った瞬間。先ほど跳ね飛ばされた従士がいつの間にやら鬼の後ろに回り込んでいた。

 大きく振りかぶった太刀を鬼の首めがけ薙ぎ払った。

 首は驚くほどあっけなく落ち、塵になって消えていく。

 頭を失った本体も動きを止め、崩れ落ちると同じく塵となった。


「お見事。鬼の征伐ご苦労でした」


 巫女は笑顔で従士たちを労う。

 だがどの者も肩で呼吸をしていて、その言葉に返せるものはいない。

 自然、逃げ遅れていた里のものから拍手がわく。

 そのころになってやっと片手をあげるのが精いっぱいなのだった。

 日ごろ鍛えている武人がここまで全力でかからねばならぬ鬼。

 私はその脅威を思い知らされたのだった。

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