第5話

 頬をなでるやさしい風。仄かに漂う花の香。

 日差しは柔らかく、縁側に寝ころべば途端に眠りに誘われそうだ。

 実に見事なお花見日和であった。


「巫女様、巫女様。丘に着いたら、おだんご食べれる?」


 ずっとこの日を楽しみにしていたと言う女の子は巫女の着物の袖を引っ張って訊ねている。

 そして、その視線を巫女が持つ包みに入った重箱に落とす。


「ええ、着いたらみんなでお茶をしましょうね」


 花見が楽しみとはいってもやはり子供はお花よりも、珍しい甘味の方に興味津々のようだ。

 幼い少女はその言葉に嬉しそうに笑い声をあげると巫女の周りをくるくると走り回る。


「ひめちゃん、おだんご好き?」


 幼子は私のところまで走ってくると、私の腰に抱き付くなりそう訊ねた。

 あまり遊び相手にはなってくれない里の大人の代わりに一緒にいてくれる巫女にすぐに懐いたらしい。その近くにいる私にもすぐに慣れたようだ。


「ああ、私も甘いものは大好きだよ。楽しみだな」

「ババ様のおだんごは、すーーんごいの。おうじさまも褒めてくれたんだよ?」


 かく言う私もまだまだ甘いものには目がない。乙女たるもの甘いものは大好きだ。

 帝の子、皇子でさえも称賛したというこの子の祖母が作った団子の味には、正直かなり期待している。武国ではそうは甘いものは口にできなかったのだ。


「姫様、お加減はもうよろしいのですか?」


 老人は孫娘の無邪気な様子に目を細めながら私に訊ねてきた。


「ああ、大事ない。何日も寝ていたのだ、これぐらいせねば体が鈍る」


 そう答えるものの、正直なところ体が重い。気を抜けば足元はふらついてしまう。

 前日まではほぼ飲まず食わずで牢につながれていたのだ。仕方ないところはある。


 それでも気取られるわけにもいかない。

 無理がバレればここで追い返されないとも限らない。


「それにしても風土病とは恐ろしい。何日も寝たきりと聞いていたので心配でした」

「ああ、本当に。はもう二度と体験したくはない……」


 女の子の母親も話に加わる。


 隣国の姫が何日も姿を見せねば当然怪しまれる。

 巫女の手回しによりこの数日間、私は床に臥せっていたことになっているのだ。

 むろん、風土病というのは方便である。


 だが、実際にこの地にはそう言った病があるらしい。

 名を、猩々病しょうじょうびょうという。


 今まで戦の時代が長かったせいで、人々が遠くに移動するのは少なかった。

 そのため、その地の暮らしに人々は長い年月をかけ適応してきた。

 その土地の者でないものが罹ると命にかかわるような病がこの世界にはいくつもあるのだ。


「本当に、猩々病などいつ振りでしょう。罹ればほぼ助からない、数日で命を落とす危険な病。全身が血を浴びたように赤くなり高温に見舞われ、世にも恐ろしい幻覚に数日間うなされる。そして、血を吐きながら苦しみ最悪は死に至る。本当に恐ろしい病です」


 巫女は顔を伏せ首を振ると、大げさに嘆いてみせた。

 風土病というのは方便だ。

 だが、まったくの嘘でもない。実際に私は猩々病になっているのだ。


「猩々病。その正体は巫女の力、未来視の力により自身の死の瞬間を幾度と体験し苦しんでいる者の様。そして、巫女殺しの祟りの正体。かんなぎの血は神の依り代。その血を浴びた者に巫女の力、神通力が宿る。その力に耐えられぬ者は最後には命を落とす」


 昨晩、巫女の口から語られた真実。

 私は巫女と成るために猩々病にされていたのだ。

 この地へ来る時は死んでも構わないと思っていたがまったく覚悟が足りなかった。

 実際に死ぬ時の苦痛と絶望はたった一度でも恐ろしいものだった。

 それを幾度も体験したのだ。もう今は死にたいなどとは微塵も思わない。

 だからこそ、実は死んでいたかもしれないことには軽く戦慄した。


「今日ぐらいは庵で休んでいてもいいけど、どうする?」

「いいや、駄目だ。私が巫女暗殺に失敗したことは武国の人間もうすうす感づいているはずだ。ここで一人になれば殺されるのは明白。そうなれば困るのは星詠み、貴様の方だ」

「ふふ、流石。ちゃんと、のね。もう巫女の力に馴染んできている」


 私か巫女が死ねばあの災厄をおさめるものが居なくなる。

 私も国の民のため生きねばならない。早く力に慣れたいと同行を申し出たのだ。


 私には監視と連絡役を兼ねた侍従たちが何人か同行していた。

 当然暗殺の時期や方法は密に連絡されている。

 つまり、暗殺の日以降も巫女が生きている時点で暗殺の失敗は自然と知られる。

 もう暗殺の命に従う気がないことも悟られてしまう。

 そうなれば、役にも立たない私に命はない。


 いくら腕に自信はあるとはいえ、多勢に無勢。

 女の身では複数人に組み敷かれれば抵抗のしようがない。

 この国で姫の私が亡き者にされれば戦になってしまう。

 戦の混乱の最中ではどうあってもあの災厄を生き残れる者はいなくなるだろう。

 もうそう簡単に殺されてやるわけにはいかなくなったのだ。


「かといって、巫女の私が姫に殺されても戦になってしまう。無駄に死ぬわけにもいかない。暗殺は失敗してもらわないといけないし、それがばれてもいけない。戦にしたくない私は、儀式の準備を理由に社殿に姫だけを招き入れ、自分を襲わせた……」


 巫女に種明かしをされ、私はますますこの女には敵わないと気付かされた。


「その際に社殿内で急に倒れたことにしてある。巫女の言葉は絶対。疑ってはいけない。まったくもって巫女様々だけど、他の者に罹るといけないからとまで言えば、恐れて人払いにも都合がいい。だから一応、しばらくは暗殺の失敗を隠すこともできるはず。うまくやってね?」


 最初からこの女の掌の上で転がされていたのだ。

 私が失敗したのが病のせいだと誤魔化せるようにまで考えていたとは恐れ入る。


「巫女さま、猩々病は若い者ほど危険と聞きます。うちの子は大丈夫なのでしょうか?」


 私に抱き付いている女の子をちらりと見ながら母親は巫女に訊ねた。

 女の子の母親はそれが気がかりでいたようだ。

 真実を知らないものが恐れるのは仕方ない。

 流石に引き離しはしなかったが、私からうつっては困ると心配そうにしている。


「大丈夫ですよ。この子がかかる未来は全く見えません。それにこの地に住む者は罹りませんから安心してください」


 当然だろう。巫女にその気がなければ誰も猩々病にかかりようもない。


「そうですか。安心しました」


 巫女がそう言えばこの国の者は疑わない。巫女の言葉は絶対。疑ってはいけない。

 それだけ星詠みの巫女というのはこの国では畏れられているのだろう。

 もうちょっと疑った方がいいと思うのは間違っているだろうか。

 おかげで助かってはいるのだが、どうしても解せぬ。


「ついた――っ‼ さあ、おだんご‼ もう食べる?」


 丘の上の開けたそこは薄紅色の花があたり一面咲き誇る。

 女の子は嬉しそうにその中心へ走っていく。

 木箱を並べ、その上を真紅の布で覆った小上りが作られていた。

 その脇にはいくつかの傘がたてられている。


「もう、食いしん坊ね。じゃあ、さっそくお茶を立てさせていただきます」


 母親はいそいそとすでに来ていた女性陣に合流し湯を沸かしだした。


「いいお天気でよかったね」


 巫女はそう言いながら空を見上げる。

 晴れた空には雲はほぼなく、丘を登ってきたので少し汗ばむほどだ。


「大岩はどこにあるんだ? まったく見えん。本当にあんな未来が来るのか?」


 巫女の横に並んだ私は小声でそう訊ねた。

 手を庇にして空を見上げるが眩しくてまったく見えない。


「駄目だよ、陽を直接見ちゃ。目を傷めちゃう。それに昼間じゃ見えっこないよ。新月に月が見えないのと同じ。空が明るすぎるもの」

「そういうものか。まあ気付かれないのならそのほうがいい」


 巫女は質問に小声で答える。まあ誰かに聞かれたところでそこまで困らない。

 巫女でなければその意味に気づけるものはそうはいまい。


「おっだんご~~‼ おっだんご‼ 巫女様、早く~~」


 女の子は歌いだした。

 小上りに膝だけで昇るなり足をぶんぶん振って草履を脱ぎすてる。

 そのまま、用意されていた席に這っていき腰かけた。

 いくら幼子とはいえ少しはしたない。


 巫女は重箱を持ったままのことに気づくと、慌てて女の子の横に腰を据えた。

 その横に私を座らせる。


「姫様も甘いものは好きでしょ?」


「ああ。とはいえ、砂糖は貴重品だ。私も数回しか口にしたことはないがな」


「姫様でもそんなものなんだ。やっぱりこの国は恵まれているのね」


 巫女はそう話しながら包みの結びを開く。

 中の重箱には綺麗に詰められた団子があった。

 外でも食べやすいよう串に刺されたそれに女の子はすぐに手を伸ばした。


「ババ様のおだんご、美味しそう。いただきま~~す」


 女の子は嬉しそうに団子を頬張る。

 途端、腕をバタバタさせ満面の笑みを咲かせる。

 周囲に咲く薄紅の花に負けず劣らず可愛らしい。

 皆がその様子を微笑ましく見つめていた。


「いやはや、今年の花見のなんと美しいこと。ここにも可憐な花が咲いている」


 どこからともなくそんな言葉が聞こえてくる。

 和やかな雰囲気の中、笑顔で団子を頬張る少女とその姿を見て微笑む星詠みの巫女。どちらも飛び切りの美少女だ。

 なるほど、とても絵になっている。

 里の者たちは皆、こちらを見つめながらその姿に見惚れていた。


「ふむ、少女の笑顔を花に例えているのか。面白い」


「何を言ってるんですか。里の者たち皆、姫様の美しさを褒めているんですよ?」


 私のつぶやきに巫女はそんなことを言いだす。

 よくよく見ると確かに里の者たちの視線は私に向いているようだった。


 並んで座った姫と巫女。

 考えてみれば好奇の目を集めるのは当然というもの。

 里の者の視線に気づけばどことなく落ち着かなくなってくる。


「どうやら皆、姫様にぞっこんの様子。少し、妬けてしまいます」。


「な、何を言う。明らかにお前と、そこの娘の様子が微笑ましくて見ていたのだ。そうでなければ、隣国の姫が珍しくて囃し立てているだけにすぎん」


 巫女は少しいたずらな笑みを浮かべて私を揶揄う。

 その言葉に反論するも、周囲の若衆からの熱のこもった視線を感じて思わずたじろぐ。


「珍しさなら巫女も負けてはいません。皆は絶対姫様の美しさに見惚れているのですよ?」


 巫女のこの言葉に思わず顔が熱くなる。

 こいつ、絶対に面白がっている。少し酌だ。

 巫女の顔を見つめて一度息を吐くと、今度はにやりと笑い巫女に言い返す。


「綺麗どころなら帝都からの娘も負けず劣らず。もちろん、そなたもとても愛らしい。私ならそなたを嫁にしたいところだ」


「うえぇぁ⁉ な、なにを。い、いけません。私は巫女。姫様のお気持ちは嬉しいですが、お互い立場というものもあります。今はまだそのようなこと……」


 妙なうめき声をあげると巫女は体をよじりながら頬を染めた。

 なぜか嬉しそうに頬に手をやりにやけている。

 揶揄われた意趣返しだというのに何を喜んでいるのかわからない。


「ふあぁ…… 仲睦まじい高貴なお二人の姿、なんと尊いのでしょう……」


 私たちを見つめていた里の娘がそんなことを言っている。

 他の娘たちはなぜかうっとりとした表情で私達二人を見つめ呆けていた。


「巫女様。一連の儀式でお疲れでしょうに、この度は誠にありがとうございます」


 私たちがふざけ合っていると里の長がやってきた。そして、頭を下げてくる。


「いえいえ、これも立派な交流行事。里の住人を増やすには重要なことです」


 里長の言葉に巫女は笑顔で答えた。

 この花見の宴席は里の外から新しい者を入れるために行っているらしい。

 ようは集団で行う見合いの席なのだ。そのようにしたのはこの巫女なのだという。

 この巫女の私財から他の全ての里へも宴席の費用が出されているというのだから驚きだ。いったいどれだけの金が動くと思うのだ。


「酒の力もあり、里の者と巫女様方と来た外の者との仲も深まったようです。花見の宴席で見合いとは、巫女様の考えは実に素晴らしい」


 この地で旅をするのは何かと危険を伴う。

 巫女であろうと姫であろうと、皆がある種の覚悟を持って里へ来ている。

 一度旅立てば、再び元居た地へと生きて戻れるとは限らないからだ。

 侍女や官職はまだしも荷運びや旅の食事係などの手伝い達はあまり裕福な者たちではない。

 帰りの道中の危険やらを考えれば若衆や里の娘たちとの関係次第では、この里にそのまま居つくこともあり得るのだ。


「それよりも、例の件は考えていただけましたか?」


 巫女はふっと笑顔を消し、酷く真剣な表情で里長に問いかけた。


「新たな農地開墾の件ですな。この里からも参加したいというものが数名おります」


 長の言葉に巫女は喜色を浮かべる。その話に私は聞き耳を立てる。


「それは有り難いことです。この地も重要な土地ですからね。あまり大勢に抜けられては困るでしょう。ぜひとも今回の交流で新たに里の者が増えればいいのですが」


「確かに人手が減るのは一大事。ですが、この地の収穫もここ数年は安定しとります。手馴れた者も多くなっておりますし、残った者で十分何とかなりましょう」


「そうですか。安心しました。それではお伝えしておいたように、半月後に彼の地に赴きます。その方には準備を進めておくように伝えおいてください」


「はい、皆張り切っております。準備は滞りなく済むことでしょう」


 里長はそう言うと他の者のところに去っていく。

 早速これからのことを伝えるのだろう。


「新たな里を開くか。この国はすごいな、見習いたいものだ」


 私は思わずそう呟いた。武国は力こそ誉。強き者に従うが当然。

 武を示さんと力を求め、地を耕そうとする者は稀だった。


「何に重きを置くかはその地によります。私は生きることに重きを置いているだけにすぎません。その上では食べるものが一番重要になってきます。飢えて苦しむのは嫌ですからね。美味しいものを食べて、皆で歌い語り、騒ぐのは楽しいでしょう?」


「ああ、その通りかもしれないな。皆楽しそうにしている……」


 そう言いつつも巫女も私も表情は冴えない。先ほどまでの笑顔は消え何処か暗い。

 未来さきのことを考えればどうしてもそうなってしまう。


「ただ、そのせいで宮廷の者にはいい顔をされていませんよね?」


 突如、巫女と私の会話に隣に控えていた侍女が口をはさむ。

 他の帝都から来た手伝いやらの娘たちは里の若衆と仲を深めようと酌をしに行っていたのだが、この少女だけはずっと巫女の脇に控えていた。

 肩に届くか届かないか程の藍色の髪を後ろで一房にまとめた、巫女と私よりはいくらか年上の少女だった。


 彼女の眼光は鋭く私を睨んでいるようだった。

 その瞳には私に対する明らかな殺意が含まれていた。

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