第4話

 未来のことは今日を生きる者にはわからない。

 巫女であってもそれは変わらない。

 巫女の少女たちは先に起こることを予見する神通力を持つ。

 それは、本当のことでもあり嘘でもある。

 巫女にこの先を見通す力などは無いのだ。


 巫女が、ある人物が石に躓き怪我をおう未来を見たとしよう。

 その人物に巫女が警告すればどうなるか。

 その人物が未来に石に躓くことはまずないだろう。

 転ぶのが分かっていて石を避けぬものがどこにいようか。そうすればどうだろう。

 巫女の視た予知の光景というのは、未来の光景などではなかったことになる。

 未来が変わりえるのだから、先のことはわからないのだ。


 進む道の先、その行きつく先で何が起きるかはわからない。


「お、おい。星詠み。これが、お前の行きつく先なのか?」


 どこか焦った声音で姫は巫女の少女にそう訊ねた。

 巫女は視線を声の聞こえる前方に向ける。


「殺せ、この鬼を殺せ!」


 老婆は髪を振り乱しながら叫び続けている。そして、巫女に石を投げつけた。

 未来の見える巫女にそんなものは本来無意味だ。

 どこに飛んでくるかわかっていれば、避けるのは造作もない。


 でも、それは出来ない。


「なぜ、お前はそんな木の柱に縛られているんだ」


 姫はそう叫ぶ。老婆の投げた石は巫女の体を強かに打った。

 巫女はその痛みに顔を歪める。

 周囲にはぼろぼろの着物を着た民衆が集まっている。

 その瞳は血走り、怨嗟の声がそこかしこから聞こえる。


「見てわからない? 私は、これから処刑されるの」


 巫女の体もボロボロだ。

 血にまみれ黒い染みをいくつも作った着物の上を幾重にも縄が締め付けている。

 都の外れの広場に磔にされていた。


 姫を監禁していたことが表ざたになったせいではない。

 そのことではこれほど多くの民が巫女に殺意を向けるはずもない。


「ひとごろしーー。おっかぁを、かえせぇーー」


 そう言いながらまだ五つかそこらの娘が巫女に石を投げる。

 幼子の投げた石は、意外にも真っ直ぐ巫女に向かっていく。

 磔にされた者が避けられるはずもなく、それは額に当たり巫女に鈍い痛みを与えるとともに血を流れさせた。


「なにが、あったんだ?」


 そう言いながら姫は周囲を見渡している。

 周りには焼け落ちたがれきが散らばり、先ほどの夢と同じ凄惨な光景だ。


「さっきも言った通り、大岩が落ちて国が滅びる。人も大勢犠牲になる。帝国だけじゃない、すべての国に甚大な被害が起きる。助かるのは一握りの者だけ。私はそれを知っていながら防げない。その咎で処刑される。ただ、それだけのことだよ。」


 これは起こることは分かっていてもどうすることもできなかったという未来の姿だ。

 天高くの岩をただの人がどうできるというのだ。

 山のような大きさの岩だ、砕きようもない。

 巫女はこの未来を視てすぐ、早く遠くの地へと逃げるようにと帝に警告をすることを考えた。そして、その結果を夢に見た。


 民はそう簡単に生まれ育った地を捨てることなどできるはずもない。

 その絶望と恐怖に国は荒れた。治安が悪くなればそこかしこで諍いが起こる。

 それを機に姫の国が攻め込み、多くの者が殺されたのだ。

 何とか隣国を追い返すことはできるものの、その恨みと悲しみからくる怒りの矛先は当然巫女に向いた。


 お前がそんな予言をしたせいだ。


 民の怒りの矛先をそらしきれず、帝も巫女の処刑を決める。

 それが一つ目の未来に迎えうる姿だった。


「警告してはダメだと悟った私は、今度は民が他所へと逃げられるぎりぎりまで黙っていることにした。時間がありすぎて選択ができないのなら選択の余地を奪えばいい。そして、国が荒れなければ戦も起きない。でも、結局他の巫女が気付いて同じ結果に。しかも、今度は兵が荒れ始めた民衆の対応に浮足立っているうちに戦になって、戦にも負ける。今度はなぜもっと早く言わなかったと責められ処刑される」


 そう、黙っていたらこのありさまだ。

 今はまだ月に薄っすらと影を落とす程度の大岩もその日が近くなれば巫女でなくともいづれは誰かに気づかれる。黙っていても意味はないのだ。


「嫌だ、死にたくない。助けて、許して。誰か……」


 未来視の中、巫女の口は勝手に言葉を紡ぐ。

 その口はいく度目かもわからない命乞いをする。

 何度も警告をする時期を変えたり、戦を早く終わらせる未来も見てみたのだ。

 しかし、どれも駄目だった。

 

 戦が起きる時点で巫女の処刑される未来は決定してしまう。

 避けられない未来を見たせいでその日、どうあっても巫女は死ぬのだ。


 こんなのはあんまりだ。何度も世界を恨んだ。


「なぜおとなしく捕まった。お前なら未来を見て、一人どこへなりと逃げることもできるだろう?」


 姫は巫女の足元で見上げながらそう訊ねてくる。


「無理だよ、他の巫女も私が逃げるのを視ればその邪魔をしてくるから」


 槍の穂先が金属同士の擦れる音をたて、巫女の目の前で交差する。

 巫女に絶望をさせるために行われる死の儀式だ。


「他の巫女が処刑されないためには、私が一人責任を負って殺されるしかないから。皆自分も処刑されると知ったらこうするよね? 本気で逃げれば処刑は免れるかもしれない。でも追手から逃げながらじゃ大岩からは逃げられない。大岩から逃げようとすれば捕まって処刑される」


 巫女がそう答えると同時、その華奢な少女の体に異物が差し込まれる。

 灼熱感と激痛。巫女は獣が呻くように悲鳴を上げる。


「警告も駄目。他の巫女に気づかれてからでは戦に負ける。私にこの世は救えない。だからこうして処刑される。ただ、それだけの事。私を処刑したところで、無駄なのにね……」


 巫女から槍が引き抜かれると、すぐに火が放たれた。

 生きたまま炎に飲み込まれる。

 巫女の視界は赤と黒に染まり、渦巻く憎悪の炎に内から身を焼かれる。

 そのまま、意識は暗闇に沈んでいった……




 ――――――――――――――――――――――――



 暗黒の中に光が差す。巫女は幾度めかの死から目を覚ました。

 目の前にはやつれた表情の姫君が巫女の瞳を覗き込んでいた。


「どう? だから貴女に死なれては困るんだよ。戦なんてしてる場合じゃないもの」


 巫女は未来視の代償。死の痛みで痺れる体を抱きながらふらふらと立ち上がる。


「どうして、こんな未来を見てそんなに平然としていられる?」


 姫は巫女をじっと見つめたまま問いかける。


「でも、まだ夢の通りにはなってない。絶望するのはまだ早い。後悔するのは、早すぎる」

「避けられないのだろ? 人の身に何ができる?」


 確かに大岩には手が届かない。落ちるのも防げない。

 巫女一人では何もできない。神に近しい力を持ってはいても一人の少女にこの世は救えない。ただ無駄にその命を散らすだけだ。でもまだできることはあるのだ。


「だから私は貴女をこの国に招いたんだよ? 姫様、王になってくれない? 貴女が隣国の王なら戦は防げる。そうなればこの先、人々に警告することができるようになる。」


 一人ではできないならば他の人間も巻き込んでしまえ。

 巫女は人をやめることにした。悪魔だ鬼だと言われることを厭わない。

 姫を監禁し巫女に変えたのもそのためだ。非道だ、外道だと言われても仕方ない。

 もう本当に時間がない。このままでは本当に皆が死んでしまうのだ。

 あんな未来を迎えずに済むようにするには今動くほかない。


「ごめんね。貴女が巫女の暗殺をすることになったのは、全て私が仕組んだこと。息のかかった商人を武国に送って巫女の噂を流させ、巫女を殺せと唆した」


 ここまではまずまず計画通りに進んでいた。

 戦の準備をし始めた隣国に間者を送り、物資輸送を邪魔したり巫女の暗殺を企てさせた。

 巫女に成り得る、若く優しい姫君が暗殺にやってきてくれた。


 この娘を王に据えて友好を築けば、戦の危険は限りなく低くなる。

 やっとあの未来の回避に手を付けられる。星降りの警告をするのも可能になってくる。もっとも、人々の動揺を防ぐためにはそれはまだまだ先の話だ。


「ふ、ははは…… 私はなんてものを殺そうとしていたのか。はなから勝てるはずがない」


 がっくりと頭を垂れ俯いてしまった。いろいろを諦めた姫は力なく笑う。


「やっと諦めてくれた? 私がこの後なんて言うかは見えているでしょう?」

「ああ、見えている。私は、もう諦めた」


 姫は伏せていた顔をあげた。

 巫女を見つめる瞳には光が戻っている。強い意志が宿っている。


「もう死ぬのも、殺すのも諦めた。最初から、私にそんなことは出来はしなかった。さっさとこの枷を外せ。いいだろう、私が王になってやる。絶望など斬り伏せてくれるわ」

 

 笑う姫は完全に力の制御ができている。

 これでもう力に振り回されることも、苦しむこともないだろう。

 もう自身の死に囚われていた可哀そうな少女の顔ではない。

 意志無きものに未来はない。姫の言葉に巫女は不敵にほほ笑む。


『一緒に望む未来を掴み取ろう』


 二人の巫女星詠みと姫は口を揃えそう宣誓する。

 巫女にとって姫が早々に『その日』まで生き残れる可能性を見出してくれたのは幸いだった。あの未来の姫は、戦で命を落としていたのだ。

 先読みの力を与えたのもあるが、なによりも姫の心が強かったことが巫女の味方をした。

 自身の未来に絶望するような者ではそれを受け入れ、その通りになってしまうのが関の山だ。彼女はきっとこの先、生き残れる。

 巫女はそう確信した。未来など見なくてもわかった。


「すべての巫女は呪われている。この娘も、私の所為で呪われた。いつか、罰を受けるのかな」


 巫女はそうつぶやいた。まだ、巫女の死の未来は変わってはいない。

 失敗すれば、今度はこの姫にまで累が及ぶ。巫女は自身の非道を再度自覚した。

 もう、失敗が許されるときは過ぎてしまったのだ。

 この先がどうなるかわかっているだけに恐ろしい。

 それなのに、どうするべきかがわからないのだ。

 

 先のことなんか知らない方が楽だ。無駄に心を乱し、苦しむだけだ。

 未来を知っていても、どうしたらいいのかなんて誰も知らないのだから。


 そう未来は知らなくてもいい、たどり着きたい先へはまだこれから進めるのだ。

 この日、悪しき巫女と姫君は手を取り合った。

 

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