第22話 ヒロイン現る
朝礼で新体操部の二年生、前園桜良(まえぞのさくら)が表彰された。新人戦都大会で個人優勝したのだ。来月、インターハイに出場するという事だった。壇上に上がった前園は、ポニーテールを結っており、スタイルも姿勢も良く、美しかった。
その後岳斗の周りでは、あちこちで前園の話が出た。特に男子の間で。
「めちゃめちゃ可愛かったよなー。」
「新体操って、レオタード着るんだろ?見てみたいぜ!」
金子と栗田がそう言うと、
「おい、前園さん、毎日昼休みに体育館で練習してるらしいぜ!」
と、笠原が言った。
という事で、岳斗たち男子四人は、昼休みに体育館へ見に行く事になった。体育館は複数の部活が使うので、放課後は週に二、三回しか使えない。なので、新体操部は昼休みにも練習しているのだった。レオタードではなかったが、前園はリボンを持って練習をしていた。
「おーお、すげえ。」
皆、感動しまくりだった。リボンの動きは思いの他すさまじい。そして、前園の動きも美しい。
昼休みも終盤になり、新体操部は練習を終えた。道具を片付け、教室へ向かう前園の、だいぶ後ろから岳斗たちも歩いて行った。後を付けているわけではないのだ。教室へ帰るには同じ方向に歩くとういわけで。しかし、岳斗たちは前を美しく歩く前園に、興味津々だった。
と、そこへどこからか帰って来た海斗が現れた。数人の男子と一緒だった。海斗が前園に話し掛け、二人は並んで話しながら、歩いて行く。海斗が、女子と笑いながら話している。白石とはずいぶんと違う態度で。
「あ、海斗さんじゃん。うわ、悔しいけど、海斗さんと前園さんお似合いだなー。」
笠原が言った。
「ほんとだ。ありゃ太刀打ちできないわ。」
栗田も言う。
「もしかして、前園さんは既に岳斗の兄貴の彼女なのか?」
金子が岳斗に聞く。
「え、知らないよ。」
と、岳斗はそっけなく言った。いや、海斗にそんな暇はないはずだ、と岳斗は思った。彼女が出来た素振りなど、全然見せない。前を歩く二人。何を話しているのかは聞こえないが、声は何となく聞こえる。あの雰囲気…まさか…。岳斗はなぜか激しく動揺した。
次の日の昼休み、暇な岳斗たちは体育館へ足を運んだ。体育館の入り口にそれぞれ体をもたせかけ、何となく新体操部の練習を見る。だが、岳斗は実を言うとあまり興味がなかった。それより、海斗と前園の事が気になって仕方がない。結局昨日も海斗に聞く事はできなかった。
前園が、海斗と同じクラスだという事は、岳斗にも分かった。それなら、普段の休み時間にどんな様子なのかを見に行きたいと思った。だが、岳斗はかつて二年生の女子たちから嫌がらせを受けた身なので、とても海斗のクラスの周辺に行く気にはなれなかった。
放課後、岳斗が部活でトレーニングをしていると、今日は新体操部が体育館の外で練習していた。かつて岳斗がダンス部の体験をした所だ。そこで準備体操のような事をしていた。端の方を歩いて通り過ぎる岳斗。邪魔にならないように。
通り過ぎてから、海斗の声が聞こえたような気がした岳斗は、振り返った。すると、ユニフォーム姿の海斗がそこにいた。ダンス部の体験をした時にも、休憩をしにこの辺に来ていたから、また休憩しているのだろう。が、あの時は岳斗の事が心配でわざわざ見に来たようだった。今は?まさか、前園を見に来たのか。
岳斗は、曲がり角を曲がったところで立ち止まり、そうっとそちらの方を覗いた。何人かの後輩たちが、海斗の事を見てキャッキャとしている。前園ともう一人が、腰かけている海斗のところへ話しに行っていた。海斗は笑っている。女子と笑って話すなど、ありなのか。岳斗は無性にハラハラした。いや、イライラか。それともムカムカか。そこへ、
「ちょっと、あれは何だよ!」
と、小声で話し掛けてくる人物が現れた。岳斗が振り返ると、岳斗と一緒になって海斗の方を覗いている護がいた。帰るところで、荷物を背負っている。
「まさか、あの新体操部のスターが、君のお兄さんの彼女になったとかじゃないよね?」
と、やはり護は小声で聞いてきた。岳斗は全力で否定したかったが、根拠に乏しかった。確かに文化祭までは忙しくてそれどころではなかっただろうが、最近は絶対に無理という程でもない。暗くなるのが早くなり、サッカー部も少し早く終わるようになって、岳斗とほぼ同時に帰宅する日も少なくない。部屋で電話をしていても気づかないかもしれないし、学校で仲良くしていても、岳斗には分からない。わざわざ彼女が出来た事を岳斗に知らせるとも思えない。
なぜだか、岳斗は泣きたくなってきた。なぜだろう。分からない。兄を取られる弟の気分というのは、こういうものなのだろうか。
「岳斗君?」
護が岳斗の顔を覗き込む。岳斗はやばい、と思った。本当に涙が出てしまっていた。だが、すぐに引っ込める。目をパチパチした。
「兄貴も男だな。ちょっと美人がいるとヘラヘラしちゃってさ。」
岳斗がそう言うと、護はそれこそ泣きそうな顔をした。いや、本当に泣き出した。
「ああ違う、違う。兄貴に彼女が出来た訳じゃないよ、多分。」
岳斗は手をパタパタされて否定したのだが、護が涙を手でぬぐうのが可哀そうで、可愛くて、ちょっと護を抱きしめた。
「おい!何やってんだ。」
びっくり。それこそびっくりだ。海斗がすぐ近くにいたのだ。
「何泣かしてんだ?」
怒ったような目で、岳斗を見下ろす海斗。怒っているのはこっちなのに、と思いつつ、
「泣かせてんのは海斗だろ!」
と、岳斗は言った。そして、また涙が溢れた。やばいので退散だ。岳斗は護の事も放っておいて、さっさとその場を離れた。山岳部は独りで歩けるのがいい、と岳斗は思った。岳斗はそのまま人のいない方へ、いない方へと歩いて行った。
岳斗が家に帰って夕飯を食べていると、海斗が帰って来た。海斗も夕飯を食べに来た。海斗が岳斗の顔を盗み見る。極まりの悪い岳斗は、食べ終わるとさっさと食器を片付け、部屋に戻った。
岳斗が机に向かって勉強を始めると、案の定、海斗が部屋を訪ねてきた。岳斗の胸はザワザワした。前園の事を聞こうかと考えると緊張して、手に汗をかいてしまう。だから、聞く事はできない。
「岳斗、今日お前……泣いてた?」
やはり聞かれた。岳斗はどう答えて良い物か分からず、黙っていた。泣いていたと認めたら、なぜ泣いていたのかという話になる。そんな事は自分でも分からないのだ。ここはやはり否定するしかない。
「いや、泣いてないよ。俺は。」
そう、泣いていたのは護だ。
「じゃあ、あの本条だっけ?あいつは何で泣いてたんだ?」
「それは……海斗が女子と話してたからじゃない?」
間違えてはいない。
「それで、なんでお前はあいつにハグしてたわけ?」
「それは、可哀そうだったから。」
岳斗がそう言うと、海斗は机にバンと手をついた。
「可哀そうだからって、いちいちハグするのか?……お前、ああいうのが好みなのか?」
最初はすごんでいたのに、最後は遠慮がちに聞いた海斗。岳斗は顔を上げて海斗を見た。顔が近い。
護の事は美少年だと思ったが、すぐ目の前にいるこの人の方がずっと美少年だ、と岳斗は思った。
「海斗は?前園さんみたいな人が好みなの?」
岳斗は言ってからハッとした。聞いてしまった。急にドキドキし始めた。言わなければ良かったと後悔した。だがもう遅い。目を見つめ合い、しばらく二人とも何も言わなかった。
海斗が体を起こし、顔は遠くなった。
「何を言い出すのかと思えば。別に、好みじゃないよ。」
海斗がそう言った。岳斗の胸が少し軽くなる。海斗が本当の事を言ったとは限らないが。岳斗は海斗の顔を見上げ、表情を伺った。海斗は岳斗を見下ろしていたが、そのまま何も言わずに去って行った。
(ん?怪しい?)
結局、岳斗の疑念は晴れる事なく、もやもやは消えない。けれども、とりあえず望まない言葉を聞かずに済んだのだった。
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