第14話 合宿
岳斗の生活は何も変わらなかったが、岳斗の意識は大きく変わった。何の変哲もない、特に人と違ったところのない凡人だと思っていた自分が、そうではなかったと思い知らされたのだ。七歳までの記憶をずっと失っていた自分。思い出してみたら、深い悲しみを心の奥に押し込めていた自分。また、家族がずっと、他人だった自分の事を、岳斗が気づかないくらいに普通に家族として扱ってくれていた事が、衝撃だった。病気や怪我をした岳斗を、本当に心配してくれた両親。これから、自分はどうやって恩返しをしていけばいいのか分からない、と岳斗は思う。けれども、岳斗の意識がこんなに変わっても、やっぱり両親は変わらずに接してくれる。岳斗は、将来働いて、必ず恩返しをしようと心に誓った。
そんな風に意識が変わってすぐ、山岳部の合宿の日がやってきた。本当の母親が好きだった山。山岳部に入ると言った時、洋子が一瞬止まったのを思い出す。偶然なのか運命なのか、それとも血は争えないという事なのか、母親と同じ山岳部に入った岳斗。向いていると言われたのも、そういう意味があったのか。
七人で集合し、電車とバスを乗り継いで奥多摩の雲取山へ。今夜は山小屋で一泊するのだ。まずはふもとで準備運動をし、列を作って進む。時々お互いの顔色を見ながら進んで行った。山登りは苦しい事もあるが、この清々しい空気を吸う事自体、意義のある事だと岳斗は思った。無事全員怪我をする事もなく、山小屋に到着した。自炊をして、食事をする時、門倉から言われた。
「城崎君、なんか顔つきが変わったんじゃない?気のせいかな。」
皆が岳斗を見る。
「あー、そうですか?」
岳斗がそう言うと、
「そう言えば。」
「そんな気がする。」
皆が口々に言う。岳斗は、
「実は、失っていた記憶が戻ったんです。」
と言った。そもそも、失われた記憶の事を知っていた人はおらず、皆どういう事なのかと顔にはてなマークを貼り付けたまま、岳斗の次の言葉を待っている。岳斗は迷ったが、自分の素性が分かった事を皆に話した。皆、それは驚いた様子だった。
「よく話してくれたね。隠しておくという選択肢もあっただろうに。」
二年の広瀬が言った。
「今まで、兄貴と似てないとかよく言われてて。不審に思われるよりは、知ってもらった方が、気が楽ですから。」
と言いつつ、岳斗は自分が誰かに話したかったのだと気づいた。大きな変化や衝撃があった事を、心の中にとどめておくのは苦しい。皆はうんうんと頷いた。皆、海斗と岳斗が似ていないと思っていたのだろう。
「じゃあ、海斗さんは、二人が兄弟じゃないって事、前から知ってたって事?」
萌が言った。
「そう、だね。八歳の出来事だから、普通は覚えているよね。」
岳斗は苦笑いしてそう言った。今でも、自分が覚えていなかったのが不思議で仕方がない。もう、病院で海斗にしがみついた時には、忘れていたのだろうか。それとも、徐々に忘れて行ったのだろうか。それすら岳斗にも謎だった。
「それにしては、すっごく仲がいいよね、二人は。」
萌がそう言った。岳斗は曖昧に笑った。
雑魚寝していて、ふと岳斗は目を覚ました。外はうっすら明るかった。皆はまだ眠っていたが、岳斗はこっそり起きて外に出た。寒いくらいに涼しく、そして雄大な景色が広がっていた。
岳斗は大きく深呼吸をした。生きているって素晴らしい、そんな思いを抱いた。そして、ふっと海斗の顔が浮かんだ。海斗は、岳斗の事を可哀そうだと思って大事にしてくれていたのかもしれない、と思い始めた。きっとそうだ。母親を亡くして可哀そうだと思ったのだ。だから喧嘩もほとんどしないし、何でも許してくれた。それは、少しだけ残念な事だった。それは、本当に仲が良いという事にはならない気がした。何も知らない岳斗と、可哀そうだと思って接していた海斗。全然フェアじゃない。対等じゃない。兄弟は対等だとよく言われるが、その点で、二人はやっぱり兄弟ではないのだ。残念だ、と岳斗は思った。だが、海斗無しの人生は考えられない。海斗がいなかったら、この上なくつまらない、とも思う。今まで寂しくなかったのは、両親の愛情はもちろんだが、海斗の存在はすごく大きい。それは否めない。
そんな思いに逡巡していると、部のメンバーたちが次々に起き出してきた。
「おはようございます。」
「おっはよう!」
「さあ、朝ごはんにして、早々に出発するぞ!」
三年の篠山が号令をかけ、皆で朝食の準備を始めた。
疲れたけれど、最高に楽しかった登山。達成感と疲労感でいっぱいになった岳斗たちは、それぞれ家路に着いた。家に帰り着く頃には、すっかり暗くなっていた。岳斗は空腹だった。
「ただいまー。」
玄関に入り、重い荷物をどっこいしょ、と下ろし、靴を脱ぐために玄関に腰かけると、後ろからガシッとハグされた。
「岳斗、お帰り。」
海斗だった。
「あ、暑いだろっ。」
岳斗は体がカーっと熱くなり、ついそんな風に言って払いのけてしまった。いつもなら、それでも嫌がらせのように海斗はもっとくっついて来そうなものだが、今日はもうくっついて来なかった。岳斗があれ、と思って振り返ると、マジな顔をして海斗が立っていた。いや、マジな顔というより、不安そうな顔だろうか。考えてみれば、毎日一回は顔を合わせていた海斗と岳斗だが、ほぼ二日間ぶりに顔を見たのだ。海斗はだいぶ日焼けしていた。岳斗も今日は日焼けして、顔が赤い。
岳斗はとにかく靴紐をほどき、家に上がった。立ち上がると、黙って立っていた海斗と顔が近づく。相変わらず海斗は綺麗な顔立ちをしている。
「何黙ってるんだよ。」
岳斗が言うと、
「あ。」
と、海斗が言う。
「何が“あ”だ。ふざけやがって。」
岳斗がそう言ってニヤリとすると、海斗はふっと笑った。そして、二人でダイニングへと向かった。
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