私の旦那様は野獣でした

春森千依

第1話 婚約破棄から始まる悲劇的な物語

 純白のウェディングドレスに、長いレースのベールをかぶり、ウェディングロードを歩くのは、たいていの女の子にとっての憧れだったはずだ。


 それは私、ヴィクトリア・フォン・ブロアにとっても一月前まではそうだった。この神聖マルス王国の王太子妃になる気満々で、花嫁修業にだって余念はなかった。毎日、腹筋もしたし、腕立て伏せもして体型キープ、髪のお手入れもお肌のお手入れもばっちり。もちろん、ダンスに語学、音楽、刺繍、礼儀作法も五歳になる頃から家庭教師について学んできたのよ。


 ブロア伯爵家の令嬢として育ち、花のプリンスであるフィリップ王太子とも王立魔術学校の同級生。もちろん、私たちは周囲の誰もが認めるお似合いの婚約者同士だったわ。彼も私を愛していたし、私も彼を愛していた。主にその類い稀なる容姿をだけど。


 それなのに、どこをどう間違えたのか、一ヶ月前に突然、婚約破棄を申し渡されてしまったのよ! それも、たった一枚の手紙でよ!? ありえない。ナンセンス!

 たった一枚の手紙だけで、十五年の婚約関係を破棄しようなんて、人道主義的観点から見たって間違っている!!

 

 私は、あの顔だけのヘラヘラ男と結婚するために、私に羨望の眼差しを送ってくるあまたの男たちの誘いを一切、鉄の心で、自制心で、断り続けてきたのよ! ええ、そうよ。手ひどく振ったことも一度や二度じゃないわ。それも、私という愛してはならない高嶺の花を愛してしまった哀れな男たちに対する、せめてもの慈悲じゃない。いつまでも、未練を抱いてはいけないと思ったのよ。

 

 求愛の手紙は全部、暖炉で燃やしたし、ダンスの誘いだって、十歳以上はお断り。それもすべて、貞操と汚れないこの身を守るためだった! 本当は踊りたかったわよ。だって、私はダンスが大好きなんだもの。それなのに、一度も男性と手を繋いだことがないのよ。私のこの手に触れられるのは、婚約者であるフィリップだけと決めていたもの。


 そんなにしても守り抜いてきた愛の誓いだったのに。あの顔だけヘラヘラ男は、一枚の、短い手紙だけで、捨て去ったのよ! 


 この時の私の怒りと屈辱と、絶望が、誰かにわかってもらえるかしら。

 それも、理由は――これまた最低だった。私の大親友のシルビアと結婚するからよ。シルビア・ハイゼン! あのど庶民のベーカリーの娘!!!


 認めましょう。シルビアの家のベーカリーのパンは、最高に美味しいわ。特にプレッツェルは王都随一と言ってもいい。私たちが仲良くなったきっかけも、彼女のくれたパンだった。


 でも、それとこれとは別よ。シルビアが美人で、可愛くて、ドジなところも愛嬌があって、愛されキャラで、男子受けよくて、まんまるで豊かなお尻が魅力的なことくらい、嫌というくらいにわかっているわよ!

 

 学友が少なかった私の、唯一の友達だった。どんなことでも相談したわ。学校の寮でもルームメイトだった。私は庶民だからって、他の子たちのように彼女を見下したり、嘲笑するようなことはしなかった!

 

 私はあの子を、親友として愛していたからよ。一緒のベッドで寝たこともあったわ。夜が更けるまで、自分たちの恋話に夢中になった。シルビアは好きな男子なんていないわよと笑っていたじゃない。なのに、なんで――いつ、どこで、どうやって人の婚約者に接触していたのよ!!


 ねぇ、シルビア。私がどれほど傷ついたのか、あなたにわかって?

 親友と婚約者を両方いっぺんに失ってしまったのよ。私はもう、大好きだったプレッツェルは食べられないじゃない。あなたの家のベーカリーにも通うことはできない。


 婚約破棄の手紙を受け取ってから一週間も経たないうちに、私のもとにはシルビアと王太子の婚約発表のパーティーの招待状が届いたわ。もちろん、すぐに山羊に食べてやったわよ! 


 だけど、こうなったからには仕方ないわ。私は荷物をまとめて、山奥の修道院に入って、残りの人生をチーズ作りや、クッキー作りに費やし、シスターの友人たちと神に奉仕する清らかな乙女として心穏やかに生きていくつもりだったのよ。


 ところが、さらに追い打ちをかけるように、我が伯爵家には王家から書簡が届いた。その内容というのが、私を絶望の淵にさらに突き落とすほものだった。


 畏まった文章で書かれていたけれど、つまりは王太子との婚約を破棄するわかりに、他の皇子と結婚させてやるから、それでチャラにしろってことよ――!

 

 なにそれ。王子ってついてりゃ、なんだっていいわけ?

 人をどれだけ侮辱すれば気が済むのよ。私の都合や気持ちは無視ってわけ?


 お断りに決まっているじゃない。だけど、それは許されなかった。

 これは王家と伯爵家の縁談で、当事者であっても私の意思は考慮されない。偉大なる国王陛下様も王妃様も、甘々な息子の我が儘は聞いてやりたい。だがしかし、伯爵家との関係を悪化させたくもないから、どこかの森の奥に捨ててきた忘れられていた王子様を見つけ出してきて、ありがたくも私と結婚させてくださるというわけよ。


 しかも、その王子様は噂では、魔女に呪われていて野獣のような怖ろしい姿をしているという――。


 これはそう、悲劇の物語だ。

 神に見放された哀れな娘が、怖ろしい野獣の姿の王子に嫁がされる悲劇の物語。

 

 

 

 

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