02

 ぶおお。車窓の向こうが真っ暗になって、顔、顔、顔、顔、顔がぼうっと浮かび上がる。

 たくさんの人の中で、自分の顔が揺れている。ひと際ぼんやり映る、僕の顔。来年、高校生になるとは思えないほど幼い。まだ、成長期がきていないような顔をしている。背は隣のおじさんを追い越すだろう。もう少し肌はがちがちとしていく。そのうちに髭が硬くなるたぶん、この声もまだまだ、低くなる。そんなことを、人の体温に揉まれながら考える。

 まただ。

 その生温さを腰あたりに感じる。それは、僕の身体のどこがどうなっているのかを知っているように、丁寧になぞっていく。

 はねた、とんだ、すべった。

 なんだか喜んでいるみたいだ。やがて、難しい手つきをして僕の中へ入ってくる。そんな手なのに、大事なものを扱うように僕はほぐされる。電車の揺れにあわせて、僕は身をよじらせる。

 この手のひらは、何を求めているんだ? 僕の長い髪に騙されているのか? それとも、本当は男だってことを、よく知っているのか? どんどん身体が熱くなってく、駄目になってく。

 ぼんやり映る、僕の顔。その造りが、僅かに歪んでいる。もう少しだけ右に、もう少しだけ左に、それぞれのパーツが動いてくれれば、美は生まれる。たったそれだけで、きっと美は作り出される。

 車内アナウンスが何かを言っているのに気づいて、手のひらは浸食をやめた。僕の顔は消えて、今はビル、ビル、ビルを映している。電車は動きを止めて、軽快なメロディとともにドアが開く。一度決壊した電車の後に、もうほとんどその熱さは残っていなかった。


 授業中、怖くなるほどの揺れがあった。はじめは先生も生徒も揺れに気づいていない様子だった。僕が気づいてから、数十秒して、教室はざわつきはじめた。地震、地震、と『さしすせそ』を急いで小さく言うみたいに声を潜めて、それでも地震の揺れと同期するように皆の声は大きくなった。声が大きくならなかったら、地震はそれほど怖くなかったのではないか、そんなことを思いながら、先生の指示に従って、机の下に閉じ込められたみたいに丸くなる。

 揺れている教室の中で、どこを見ていればいいのかわからず、安祐美のつま先を見つめた。僕とは違って、怖がっていなさそうで、目が合うと余裕の笑みをみせていた。僕たちはそんな秘密のやり取りを、揺れている間、ずっと続けていた。中学生の男女、閉じ込められた檻の中、互いに見つめあっている。

 両手で檻みたいな机の脚を掴み、互いに互いが収まっているのを確認する。振動で机の中から落ちそうな教科書が、今にも安祐美の背中に直撃しそう。ズッ、ズッ、とその姿が見えてきている。安祐美はそれに気づいていないようで、ずっとこちらを見ている。

 もしも安祐美の家で地震が起きたら、安祐美は両親に大事に守られて、怪我の一つもしないのに、それでもピアノの鍵盤の調子が悪くなったの、と嘆くのだろう。

 僕はまだ、安祐美のつま先をみていて、半分脱げた上靴はぶらんぶらんと宙を泳いでいた。視線を送っているわけでもないのに、僕が安祐美の顔に目をむけると、いつだって目があってしまう。

 頬杖をついて、わざわざこちらを見ているあの子の姿に、車窓に映る自分の顔を重ねてみる。あの子も、あんなふうに顔をつくるのだろうか。あの子のどの部分をどうしたらそうなるのだろうか。難しい数式の隣に、その顔を丁寧に描いていく。完成した顔を色んな角度で眺めてみるけれど、苦痛を感じているようにしかみえない。

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