25
震える手をゆっくりと近づけていく。昔の、瑠衣さんの姿に、自分が重なる。喉元からゆるい吐き気に襲われるが、おれは無理やり飲み込んだ。千秋に、触れることが正しい。ここで触れることが正しい。正しいことを選ぶことが、いつだって素晴らしいことではない。それはわかっている。しかし、いまはそういうことよりも、千秋を肯定したい。
千秋の表情は見えない。呼吸が荒い。これが誰の呼吸なのかも、もうわからない。この手が、ここで、あともう少しなのに、止まってしまえばいいのにと、強く願った。この心の鼓動は、初めて会った時のような生半可な感情ではない。決して、簡単なものではない。
おれの手のひらは、右側だけの確かな感触を震えながら掴んだ。服の上から味わったはじめての感触は、微妙な失意に変わっていく。
左側の乳房が無かった。寄り添うようにして触れた手は、いまだに震えたままだ。もはや、かっこつけてみても、武者震いだなんていえない。柔らかく、例えようのない右側の感触に比べて、左側の感触は筋肉のない男子のような、硬く、残念なほど平面だった。本当にどこに失ってしまったのかと思うほど、驚いてしまった。おれは手を離していくと、ようやく千秋の表情を伺えた。
「よかった?」
何にも混じりそうにない、その表情はどんなと捉え方もできない。千秋の表情。何がそんな風に笑って見せたのだろう。
「よかったよ」
返せただけの、ただの言葉だった。悔しかった。何が悔しかったのかもわからない。何かが、おれの頭の中をぐるぐると乱暴にかき乱している。失望とは少し遠い落胆を感じた瞬間、同時に前から千秋に存在した事実が頭をよぎる。
いくらAVを見ていても、千秋は一切興奮する様子を示さなかった。ただただ、女優の乳を見つめ、揺れるばかりの乳を応えるように目に焼き付けていた。興味、誘惑。そんな簡単なものではなかったのだと気づかされる。必然、習慣。それがもっともらしい説明になるのだろうか。おれはずっと、知らないままだった。千秋は何かを期待して、何かを感じ取っていた。その不確かなものは、おれのような普通の人間を簡単に超越してしまっていたんだ。
「知らなかったでしょ」
「え?」
千秋がまるで別人のように見えて、吐く声が震えた。
「大和、どう思ったの。私をどう思ったの。今どんな気持ち。怖い? 気持ち悪い? 私を遠ざけたくなった? もう会いたくなくなった?」
言葉は出ない。必死に探すが、何も浮かばない。こういうときの言葉なんて、一体誰が考え付くんだろう。いや、そういうわけにはいかない。本当は、本当は、ありのままの、丸出しの言葉が、むき出しの言葉が、出てくるべきなんだ。
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